3、待望のお風呂
さらに一週間後。
診察を終えたラルフは、一種の緊張感をもってこちらを見ているセオに笑った。
「本日はお風呂に入られて構いません。ただし、浸かるのは三分ほどにしておいてください」
「ほんと?やったぁ!」
はしゃぐセオに、みな相好を崩す。
セオがどんなにがんばったか知っていたからだ。
「セオさま、この一週間頑張られましたね。ささやかですが、爺からの贈りものです」
「えっ、なになに?」
はしゃいでいたセオは、医師が差し出したものを見て、すん…となった。
それは、不織布のマスクだった。
口のみを覆う体で作られているようで、布の面積が小さい。
「口当てといいます。セオさまは喉が弱いようですので、口を覆ってはどうかと考えました。しゃべりにくいとは思いますが、試してみてくだされ」
「…そっか、ありがと」
テンションは下がったが、えらいセオはちゃんとお礼を言った。
試しにつけてみるが、立体的でないため口が動かしにくいし、しゃべっているとずれてしまう。
マスクの完成形を知っているセオが、さりげなくアドバイスをすると、ラルフは改善することを約束して帰って行った。
入浴の準備がされたのは、その日の午後だった。
暖かい日中に入ったほうが、冷えなくていいと判断されたのだ。
セオのテンションはだだあがりだ。
初めて足を踏み入れた脱衣所は、暖められており、メイが服を手早く脱がす。貴族の子どもが、身の回りのこと全てを使用人にやってもらうというのは本当だった。
初めの内は慣れず、身支度は自分でできると訴えたのだが、今まで細かな作業をしたことのない、五歳児の手はかなりぶきっちょだった。なんとかボタンを外すことはできたが、つけるのは難しい。
それでも、「自分でやる!」と言い張って、朝の着替え時にボタン留めに奮闘していたところ、「はくちっ」とかわいいくしゃみが出て、メイのストップが出た。
それ以降、服の用意と着脱は、メイドに任せている。
そしていざ、お風呂場へ。
身体を洗ってくれるのは、中で待機していたジョンだ。上着を脱ぎ、ズボンも膝まで託しあげられている。
素早く丁寧にセオの全身を洗い上げると、ジョンはセオを抱き上げ、子ども用の浴槽にそっと下ろした。
「あー…」
当社比おっさんみたいな声がでてしまう。
お湯はぬるめだが、久しぶりの風呂は、かなり気持ちいい。いろいろ頑張って良かった。
しっかり肩まで浸かって、お湯に包まれる幸せを噛みしめていると、「三分経ちました」と無慈悲な声がして、抱き上げられた。
脱衣所まで運ばれると、メイが大きなタオルを広げて待機していた。それで全身くまなく拭きあげられると、ジョンが保湿クリームを塗り、服を着せてくれる一方、メイが小さなタオルで髪の毛をひたすら拭いて乾かしてくれる。
最後に髪を丁寧にクシで梳かれ、完成だ。
素晴らしい連携プレイによって、多分湯船に浸かっていたのと同じくらいの短さで身支度は整った。
「ふたりとも、ありがと!お風呂、きもちよかった」
ニコニコしながら感謝を伝えると、「それはようございました」と、ふたりとも相好を崩したのだった。
メイと部屋に戻ると果実水が用意されていた。
至れり尽くせりだ。
それを飲みながら、どれだけ二人が素早かったかを別のメイドに話していると、欠伸が出た。
「少し眠られますか」
「うん、そうする。メイ、またお風呂いれてね…」
「はい、必ず」
その言葉に安心し、ベッドに入るとすぐに眠ってしまい、起きると夕方だった。
セオは何もしていないけれど、入浴は体力を使うのだ。医師が一週間も渋っていたのが分かる。
起きるとメイが待ち構えていて、体調の確認をされた。
「お変わりはないようですね」
「うん、さっぱりした。おなかも減った」
笑いながら言うと、すぐにメイが夕食を取りに行ってくれた。メニューは、温かなパン粥と野菜スープ、サラダ、果物だ。
寝込んだ直後はスープだけだったが、流動食や刻み食を経て、先日やっと普通食が食べられるようになった。
だが、セオにはあまり食べたいものがない。
その原因は、味覚と胃腸の弱さだ。
セオの味覚は瀬尾の影響が強いらしく、あっさりしたものが好みだが、この世界のデフォルトはこってりとした洋食だ。
普通食が食べられるようになった時に、「たっぷりチーズの分厚い牛肉のステーキ」、「ごろごろ野菜と牛肉のたっぷりチーズシチュー」がでてきた時には閉口した。
きっとセオドアが大好きで、料理長は喜ぶと思って作ってくれたんだろう。
そう思って頑張ったが、味つけと脂分が濃すぎて半分も食べられなかった。
おまけに胃もたれを起こして寝込み、次の食事が取れなかった時には、料理長が飛んできて謝罪とともに懇願された。
「セオ様がお食べになりたいものを作るのが仕事ですので、どうか遠慮なくおっしゃってくださいぃぃ」と。
それ以降、セオの食事はパン粥が主食で、野菜多め。あっさりした味付けにしてもらっている。
もしかしたら、とセオは思う。
融合する時に、「これだけは奪われまい」と、セオドアが食べ物の記憶と食欲をほとんど持っていってしまったのかもしれないと。
それだけ、セオドアにとっては食べることが大事で、大好きだったのだろう。
結局、瀬央がセオドアを乗っ取ってしまったのだが、全部奪うことにならなくて良かった。
…胃腸の丈夫さは、置いていってもらいたかったと、思わないでもないが。