37、お出かけ準備
夏休みが終わり、セオは王都に戻った。
久しぶりの学校だが変わりなかったが、ひとつ気になることがあった。
ハローズ公爵家の第一子、ブラッドリーに嫌がらせされているようなのだ。
ブラッドリーは、絵に描いたような爵位至上主義だ。爵位が下の子たちには偉ぶり、自分より上ーーーつまり、王族のルークには取り入ろうとする。
セオは近づかないようにしていたのだが、ルークと話している時に、ブラッドリーが会話に入ろうと、二人の間に割り込んだことがあった。
その際、ちょっと身体が当たってしまい、セオはよろけて尻もちをついてしまった。
そんなに強くは当たらなかったのだが、ブラッドリーは体格がよく、セオは痩せっぱちだったこともあるだろう。
「なにやってるんだ、君。…セオ、大丈夫か?」
ルークの手を借りて、セオは立ち上がる。
「全然痛くないし、大丈夫だよ」
ブラッドリーにも笑いかけたのだが、彼は顔を真っ赤にしてセオを睨みつけ、去っていってしまった。
ルークの前で恥をかかされたと思ったのだろう。
それに、セオが勉強ができるのも気に入らないらしい。
ブラッドリーも勉強が得意なようで、セオがクラスメイトに勉強を教えていると、「なんなら、僕が教えてあげてもいいけど?」と近寄ってきた。
「公爵家の君に教えてもらうなんて、おこがましいよ」と、遠巻きにされて以来、目が合うだけで睨まれる始末だ。
気分はよくないが、それだけなら害がないのでいいかと思っていたのだが、決定的に嫌われることが起きてしまった。
とある算術の時間。
『115+28』という、セオにとっては暗算でも解ける問題が出た。
「それでは、この問題をーーーブラッドリー君、解けますか?」
「はい」
自信満々に前に出て、書いた答えは『153』。
思わず小首をかしげてしまうと、ブラッドと視線がかち合った。
「ありがとうございます、ブラッド君。惜しいですね。答えは143です。10の位が繰り上がるときにはーーー」
と、先生が解説し始めたのだが、ブラッドは顔を真っ赤にしてセオをにらむと、足音荒く自分の席に戻ってしまった。
ーーーええ、ぼくのせいじゃないのに。
そう思ったが、まぁ自信満々に答えて間違っていたら誰かのせいにしたくもなるよなと、大人なセオは流してあげた。
ーーーのだが。
それから、あれ?と思うことが起こるようになった。
いつの間にか筆記用具やノートがなくなったり、机の中にゴミが入れられていたり。
犯人は分かっている。
ブラッドとその取り巻きたちが、なくなったものを探すセオをにやにやしながら見ていたからだ。
だが、大人なセオは、誰にも言わなかった。
証拠などもないし、大ごとになると面倒だし。
自衛を徹底して様子を見ていると、反応がないのが面白くなかったのか、やがて嫌がらせはなくなり、セオはほっとしたのだった。
なんだかんだ日々は過ぎ、冬休みが始まった、翌日。
セオは、メイが起こしに来るずいぶん前の時間に目を覚ました。
隣の私室に行くと、メイがいて用事をしているところだった。
「おはようございます。今日はお早いですね」
「おはよう、メイ。だって、今日はお出かけだからね!」
鼻息荒く返ってきた返答に、メイはかすかに微笑んだ。
体温が低くて寒いのが苦手なセオは、朝がかなり弱い。
セオ曰く、もふもふふかふかな布団が至福すぎて、『「あと五分…」を繰り返す症候群』に陥ってしまうのだそうだ。
平日はともかく、休日なのに、いつも起きる時間より早いなんて。
よほど、シリルとのお出かけを楽しみにしているのだろう。いや。「どんな本があるかなぁ?できれば地理とか歴史とかの本があればいいなぁ」とか話している辺り、古書店への期待が高まっているようだ。
「楽しみですね。ですが、あまり早いとお昼寝が必要になるかもしれません。大丈夫ですか?」
「も、もう十歳だからね!大丈夫だよ、たぶん…」
語尾が小さくなってしまうのは、今もたびたび、学校から帰ってきたらお昼寝することがあるからだ。
夜のことを考えて三十分程度なのだが、その三十分がないと夜まで持たないのだから、体力のなさは頭の痛い問題だった。
身支度を整え、軽く食事をとった後、着替えるために自室に戻る。
「今日は小雪が舞っていますし、風も強いです。温かさを第一にお召し物を用意しました」
にっこりと微笑みながら言ったのは、お化粧ばっちりの美人メイドだ。
「こちら、新しいコートとなっております」
厳寒期用のコートなので、黒に近い紺色の厚い生地で作られている。
銀の飾りボタンがおしゃれな、大人っぽいデザインだ。試しに着てみると、軽いし暖かかった。
「このコート、すごいあったかいね」
「はい。背中部分に綿を入れているのです。それに、お直しして丈を長くできますので、もしかしたら再来年まで着られるかもしれません」
「それはすごいね!いつもありがとう!!」
「喜んで頂けて光栄ですわ」
上品に笑いながら答える彼女は、心の中で歓喜していた。
理由は分からないが、幼い頃から人モノ問わず、綺麗なもの、美しいものに惹かれた。
幸いなことに、貴族の屋敷に仕えられることになって、たくさんの綺麗なドレスや宝飾品を見ることができて、この仕事は天職だと思っている頃に、セオがやってきたのだ。
一目見て、目が飛び出そうになった。
真っ白な肌に、ばら色のほっぺ。
ぱっちり二重の大きなエメラルドブルーの瞳はキラキラ輝いていて、顔立ちも整っている。
今まで出会った中で、間違いなく一番の美少年だった。
こんなに綺麗な子にお仕えできるなんて!と、彼女のテンションは爆上がりした。
豪華な宝飾品や衣装も似合うだろうし、なにより成長をそばで見守れるなんて、ロマンしかない!
そんな風に上がりきっていたテンションは、セオは一切自分を着飾ることに興味がなく、寧ろ最小限の支出しか望んでいないと聞き、地に落ちた。
しばらくは周りが気遣うほど落ち込んでいたが、不意に気づいたのだ。
ーーー自分にできることをやればいいのだと。
それから、彼女は頑張った。
髪や肌の手入れ、冷え性解消のためのマッサージを提案し、受け入れられたのだ。
特にお風呂上がりのマッサージは、体がぽかぽかしてよく眠れると、セオに大好評だった。
そのうち、セオの衣類の用意も打診されるようになった。
彼女がまず行なったのは、セオと、ずっと服を作ってくれていたというお針子への聞き取りだ。
初めて懇意の仕立て屋と作った服を、セオが喜んでくれた時のことは、強烈な感動とともに今でも鮮明に思い出せる。
これが自分の天職だと、強く思った。
ーーーすべては、セオを光り輝かせるために。
使用人みんなに好かれているセオだが、別の意味で熱狂的なファンがいることは、知る由もないのだった。




