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36、トアルの奇病③

 長一家は、家畜や畑の面倒をみるため、トアルに残った。

 地図作りのことを説明すると、長の家族全員協力してくれるそうだ。

 イアンが協力を求めたのは、今回、セオが考えた地図づくりでは、地元民の協力が不可欠だからだ。

 どういう方法かというと、まず、主要な道や中心地を書いて、それから距離を調整しながら側道や周囲の建物などを追記していくというものだ。

 多分、一番大変なのは、紙に書けるサイズまで、距離や縮尺を調整していく作業だろう。

 そう思ったから、セオが提案したのは、子どもの落書きみたいに地面に棒で書いていくことだった。

 初めに大きく書いておいて、少しずつ縮尺を小さく書き直していくのだ。

 長と場所について話しあった結果、集落の外れにある広場を活用することとなった。

 長と長男が中心になってはりきって取り組み始めたのだが、意見が合わない事が出てくると熱くなってしまい、初日は半分までしか進まなかった。

 思ったより時間かかりそうで困ったと思っていると、夕方、長の妻がにこやかに言った。

「あなたたち、この地図が何のために必要なのか、本当に理解しているのですか?」

「「え、あの、その…」」

「このままでは、一週間経っても出来上がらないでしょう。明日からは、私を含め、女性陣で行いますので、あなたたちは畑や家畜の世話をお願いしますね」

「「…はい。すみませんでした…」」

 こうして、女性陣を中心に地図づくりは進められたのだが、二日後。

 一メートル四方まで縮少できたところで紙に転記することができ、地図は完成したのだった。


 地図作りの合間を見て、イアンは、避難先の集落を訪ねて回った。

 山や村に伝わる昔話を聞くと同時に、トアルの人たちの様子を確認するためでもある。

 イアンが訪ねていくと、どの集落でも子どもたちは元気に外を走り回り、大人たちも畑仕事などに精を出していた。

 みな、イアンを見ると集まって来て、避難生活が快適であることを教えてくれる。

 昔話を聞きたいことを伝えると、我先にと教えてくれ、あっという間に情報が集まったのだった。


 三日後、地図づくりと情報をまとめ終えたイアンは、トアルを発った。

 近場の宿に戻ると、安堵したメイドに涙ながらに出迎えられて困ったが、無事、領都に戻った。

 イアンは、すぐに身支度を整えてセオの屋敷に向かう。


「ただいま戻りました、セオさま」

 執務室でイアンを出迎えたセオは、イアンが元気そうでほっとした。

 そばに控えていたジョンも、久しぶりに見た旧友の姿に安堵する。

「おかえり、イアン。無事帰ってきてくれてよかった。すぐ報告に来てくれたけど、疲れてないかな?」

「はい、大丈夫です。お気遣いありがとうございます。それでは、早速ですが、トアルの視察の結果をご報告させていただきます」

 イアンは、住民たちの避難がスムーズにできたこと、避難先でも、大きなトラブルなく暮らしていることを報告する。

「それは良かった。さすがイアンたちだね。部下の方々にも、イアンからねぎらいを伝えておいてくれる?」

「はい、必ず」

 とはいっても、セオが褒めていたとは伝えられない。

 今のところ、セオの存在は、ごく一部の上の者たちだけの秘密となっているからだ。

 だが、十数年後にはセオが侯爵になる。

 その頃にはイアンは引退し、部下たちはえらくなっているだろうが、きっと感激することだろう。

 その日が来るのを、今から楽しみに待っている。


 報告を終えたイアンは、作ってきた地図を机の上に広げた。

 高低差も分かりやすく書かれていて、かなりの出来だとセオは思う。

「すごい、とても分かり易くできているよ。大変だったよね。本当にありがとう」

「お褒めに預かり、光栄です。協力してくれた長一家にも伝えておきましょう」

「お願い。それで、開墾したっていう土地はどこ?」

「ここです」

 イアンが指したのは、とある山の裾野だった。

「この山は不思議で、頂上からふもとまで、まばらにしか木が生えていない箇所があるそうです。山林は、丁度そのふもとにあったようですね。それに、この山には、冬でも雪が積もらない、不思議な場所があるそうですよ」

「そうなんだ」

 地図を確認したセオは、昔話や山に関する資料にも目を通し、やがて呟いた。

「…なるほどね」

「なにか分かられたのですか!?」

 イアンが勢い込んで聞くと、セオは頷いた。

「今回の奇病、恐らく、その山林を開墾したことによって、火山からの有毒ガスが村にまでやってくるようになったのが原因だと思う」

「えっ!?」

「おんなじ山なのに、木が生えないところがあるのは変だよね?それに、冬に雪が降っても積もらないところがあるのは、地熱のためだと思うんだ」

「ち、地熱、ですか…?」

「うん。そしたら、もしかしたら温泉もひけるかもしれないよね?いいなぁ、温泉…」

 にこにこするセオにほっこりしそうになるが、今はそんなどころではない。

「申し訳ありません、セオさま。その地熱や火山というのは初めてお聞きしたのですが、なんのことでしょうか?」

 瀬央の知識を総動員して、セオは火山と毒ガス、地熱の関係性を説明した。

「毒ガスの種類の特定はできないけど、無味無臭なのは間違いないと思う。だからガスを吸い込んでも気付かなくて倒れてしまう」

 絶句している二人に、セオは続けた。

「ガスは、くぼ地や角などに溜まる性質があるから、倒れる場所に規則性がないなんてありえないと思ったんだ。この地図を見ると、道も曲がりくねっているし高低差も激しい。だから、風の流れも不規則になって、いろんなところで倒れる人が出てきたんだろうね」

「原因は分かったのですが…なぜ、セオさまは火山のことをご存じなのですか?」

「図書館にあった地理の本に書いてあったんだ。ブライアントには火山はないけど、他の領地にはあるみたい」

 それは本当だが、今回の件を聞いた時、すでに『火山』『有毒ガス』などの単語は思い浮かんでいた。

 瀬央の知識だ。

 だが、本当にそうか自信はなかったし、毒ガスがあるなら犠牲も多い。なんらかの形で村に伝わっていることもあるはずだろうと、昔話を聞いてもらったのだ。

 しかし、長らく噴火していないため、火山だということすら忘れられてしまい、唯一、残っていたのが『開墾したら祟りがある』という言い伝えだったようだ。

「それで、対策なんだけど、開墾した土地に森林の代わりになるものがあればいいと思うんだ。例えば、板や丸太を埋めたりしてもいいんじゃないかな。でも、風がいつ吹くか分からないから、工事自体も安全にできるかは分からない。今後、別の集落に移住するか、対策をして住み続けるのかは、トアルの人たちで話して決めたらいいと思うよ」

「さようでございますか…」

 イアンは呆然と答えた。

 この部屋に入って、まだ三十分も経っていないのに、もう解決の道筋がついてしまったらしい。



 翌日、イアンはまたトアルに向けて旅立った。

 今度は、護衛もメイドもトアルまで着いて行くと言い張ったので、みなで長の家を訪問した。

 出迎えたのは長の妻で、真っ先に報告したのは、長の禁酒が続いていることだったので、イアンは苦笑した。

 長年、飲酒による健康を心配していたらしく、いいきっかけだったとにこにこしている。

 応接間では、これまた明るい表情の長が出迎えてくれた。

 避難生活もうまくいっており、おめでたいことに、この短期間で数件の縁談もまとまったということだった。

 報告を終えた長は、目を細めて話を聞いていたイアンに、恐る恐る切り出した。

「それで、こんなに早くいらしてくれたのは、まさか、奇病の原因が…」

「はい。分かったのでやってきた次第です」

「ほっ、本当ですか?」

 前のめりの長に、イアンはセオから聞いた原因と対応策を伝えた。

「そ、それではまた、トアルに戻れる可能性があるというのですか!?」

「はい。ですが、安全に工事ができるかは分かりません。このまま移住するか戻るかは、住民たちで話し合って決めてほしいとのことです」

「分かりました。この度は本当にありがとうございました。おかげで、たくさんの命が救われましたし、これで安心して暮らすことができます」

 深々と長が頭を下げると、脇に控えていた使用人たちも同じように頭を下げる。

「そんな、顔を上げてください。皆さんにもたくさん協力していただきましたからこそです。そういえば、地図が分かりやすいって、褒めておられましたよ」

 イアンはぼかしたが、長には誰が褒めてくれているのか、すぐに分かった。

「ほ、本当ですか?それは、それは…」

 それ以上は言葉にならず、長は泣き出した。

 奇病が解決しそうなことへの安堵、セオという雲の人に褒められたことの感動。

 ありとあらゆる感情がないまぜになって、声を出しての男泣きだ。

 同席していた使用人たちも、目に涙を浮かべていた。

 

 村を去る前に、イアンは長に人払いしてもらって、あるネタバラシを行なった。

「長、気付いていましたか?」

「気づくって…なんのことです?」

「禁酒のことです。誓約書を書いて頂いてセオさまのことをお話しましたが、地図を書くのに協力してもらうだけだったら、禁酒してもらわなくても良かったんですよ」

「はっ!そう言われれば…」

 あの時は、いっぱいいっぱいだったので気づかなかったが、確かにそうだ。

「騙すような真似をしてすみません。実は、将来のことを考えて、セオさまの味方になってほしかったのです」

 イアンは、あちこちに視察に行っている。

 たくさんの村長や長の中から、信頼できると思ってくれたことに、胸に温かいものが広がってくる。 

「光栄です。私も微力ながら、セオさまをお支えしていきたいと思います」

「ありがとうございます。それでは、引き続きセオさまが侯爵になるまでの間、禁酒をお願いしますね」

「はっ!?」

 イアンの一言にハッとする。

 一生禁酒しなければと思っていたが、確かに、セオが侯爵になれば存在を隠す必要はない。

「その時が来たら、一緒に酒を酌み交わしましょう」

「はい、是非」

 いたずらが成功した子どものように笑っているイアンに、長も笑って答えた。

 


 話し合いの結果、トアルの住民たちは、半分が戻り、半分が移住をした。

 開墾をした土地には、板などの障害物を埋めると同時に、植林を始めたらしい。


 その後。

 セオの存在は秘密にされたまま、なぜか、誰かえらい人が奇病を解決してくれたという噂が広がっていったのだった。

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