34、トアルの奇病①
役人の視察が無事終わった後、セオは、以前と同じ日々を送っていた。
午前中は、奥庭に顔を出したり、散歩をして体を動かし、午後からは執務室で書類を確認したり、読書をしてすごす。
そんなある日、ジョンが一枚の報告書を持ってきた。
なんでも、「トアル」という数十人程度が暮らす小さな集落で、原因不明の奇病が発生して、犠牲者が出ているのだという。
それも、健康な者が前触れなく倒れ、呼吸ができなくなって死に至るという、不可解な病状だ。
時間も場所もばらばらで、原因や発生要因を探っているが、まだ分かっていることはほとんどないらしい。
一方で、こんな噂があるのだとか。
「なんでも、その村では『決して開墾してはいけない』といわれていた山裾の土地の開墾が終わったばかりだそうで、祟りだと言われているとか…」
「たたり…?」
「はい。なにか、対応についてのお考えなどありますでしょうか?」
ジョンの言葉に、セオは少し考えて言った。
「まずは、集落の人たちの避難が先だと思う。受け入れ先はある?」
「はい。ですが、原因が分からない以上、移住になるのではないでしょうか?」
「大きな負担になるだろうし、移住はできれば避けたいね。まずは原因を調べて、対策も難しかったら検討しよう?そうだな、期間はひと月で」
「承知致しました」
「それでね、今回の奇病、たたり云々は置いておいて、やっぱり土地を開墾したのが原因だと思うんだ」
「その可能性が高いとは思うのですが、因果関係がさっぱり分かりませんな」
「あのね、それを調べるために、トアルの詳細な地形を知りたいんだ」
「地形、ですか…?」
ジョンが首を傾げたのも無理はない。
この世界には、地図しかないのだ。
それも、旅人や商人など、移動する人のためのものなので、ざっくりと大きな道しか記載されていない。
地形が分かる資料など、残念ながらないのだ。
「本当は、ぼくが見に行けたら地形図は要らないんだけど」
「セオさま、今回ばかりは現地に行くことは許可できませんよ」
「分かってる。…でも、誰が行っても、危険があるのはいっしょだと思うよ?」
「それはそうですが…」
それきりジョンは黙り、室内に重苦しい沈黙が落ちる。
答えが出ないまま、昼食の鐘が鳴った。
セオは、呼びにきたメイと共に食堂に移動し、ジョンだけが残されたのだった。
しばらく悩んだ後、ジョンが向かったのは、イアンのもとだった。
イアンは、ジョンの気の置けない友人だ。セオも、視察に同行させてもらったことがあるため、面識がある。
自分の執務室で仕事をしていたイアンは、ジョンの表情を見ると、すぐさま人払いをした。
「それで、なにがあったんだ?」
「…」
ソファに座らせても、顔もあげない旧友に、イアンはカマをかけた。
「奇病の話しか?」
核心を突かれ、ジョンは勢いよく顔を上げた。
「やっぱりな。セオさまが素晴らしいタイミングで帰ってきて下さったから、なにか動きがあるのかと思ってたんだよ。どんな話をしたんだ?」
「…まずは、全住民の避難が先決だと」
「さすがセオさまだな」
避難にかかるお金は領地の持ち出しとになる。
無駄金を使いたくないと腰が重い領主がいる中、セオの早期判断は素晴らしい。
「それから?」
「原因究明のため、地形が分かる地図が欲しいのだそうだ」
「地形が分かる地図…?」
「地形図とおっしゃられていた。今回の件、原因は開墾してはいけないと言われていた土地を開墾したことにあると思われているらしい。だが、それがどう影響しているか分からないから、集落全体の地形をお知りになりたいそうだ」
「…なるほど」
「だが、奇病がある土地に行くのはリスクが高いだろう?」
「あぁ」
深く頷いたイアンには、なぜジョンがここに来たのか分かってしまった。
ーーー一瞬の沈黙の後。
「それなら、俺が行こう」
「だから、俺が行こうと思っている」
と、同時に言ったのだった。
思わず顔を見合わせると、どちらからともなく笑い始める。
まさか、おなじことを言うなんて。
ひとしきり笑った後、先に落ち着いたイアンが言った。
「なぁ、やっぱりおれが行くよ。もしものことがあったら、誰が屋敷を取りまとめてセオさまのサポートをするんだ?」
「それを、イアンに頼むつもりで」
「だったら、最初から俺が行った方がいいだろうが」
「だが…」
「大丈夫だ。できないことを、セオさまが言われるはずがない。おれに行かせてくれよ」
「イアン…」
「さて、俺たちも昼メシを食べて、セオさまに詳細を聞きに行こう。出るとしたら、早いほうがいいだろう」
昼食を済ませた二人は、セオのもとに行った。
イアンがトアルに行くことを聞いたセオは、ほんの一瞬辛そうな顔をしたが、次の瞬間にはパッと笑う。
それは、自分を頼んだもののために、もしかしたら他人が命をなくすかもしれないからだ。
わずか九歳の身には、これ以上ない重い決断だろうが、それを表に出さないのはさすがだと、二人は思った。
その後、イアンは、セオと改めて今回の奇病に関する情報の擦り合わせをし、地形図の書き方習った。
とはいっても、瀬尾の断片的な知識があるだけで、セオも測量なんてやったことはない。
必死に思い出しながら教えたためか、終わる頃にはすっかり疲れてしまった。
あくびをして目を擦ると、イアンに速やかにベッドまで運ばれた。
だが、まだ眠る訳にはいかない。
強い眠気に抗いながら、イアンの腕をつかんだセオは、必死で言葉を紡ぐ。
「あんまり効果ないかもしれないけど、口当てを二重につけておいて。あと、山とか集落の昔話とか言い伝えがあったら、聞いておいてほしい…」
「承知致しました」
「あと、風が強い日は、いたらだめ。くぼ地も、曲がり角も行ったらぜったい、だめ、だから…」
「くぼ地?曲がり角?それってどういう…」
イアンは聞き返したのだが、さっきまで腕をつかんでいた手からは力が抜け、眠ってしまったらしい。
セオに丁寧に布団をかけたイアンは、一礼し、仕事に戻ったのだった。
その後、もろもろを調整したイアンは、明日の早朝、トアルに向けて出発することにした。
地形図作りの前に、まずは集落の人びとを安全に避難させることが目的となる。
避難先は、同じ村の集落数カ所の予定だ。
受け入れ先の集落には、明日、イアンの部下が手分けして説明する予定だ。
視察に行くことが多いイアンは、トアル周辺の集落とも良い関係性を築いてきた。
大きな混乱もなく避難できるだろう。
奇病の地に足を踏み入れることに、不安がないと言えば嘘になる。
だが、それ以上に、重大な任務を任せされたことが誇らしかった。
自分がトアルに行くと告げた時の、セオの辛そうな表情が思い出される。
二度と、あんな顔はさせない。
きっと無事に帰ってくる。
イアンは、そう誓ったのだった。




