32、初めての買い物
本格的に授業が始まった。
ランドルフは、セオの許可を得て、二日目のホームルームの際、セオの口当てについてクラス全体に説明してくれた。
その大切さを身に沁みて分かっているルークは、「隣の席なので、僕も見ておきます」と言って、よく話しかけるようになった。
それはそれで嬉しいのだが、王族のルークは、昼食をセキュリティの整った専用の部屋で食べる。
他に話す人もいないセオは、ひとりで昼食を食べなければいけないのが、少し悲しかった。
それが解決したのは、更に一週間ほど経った頃だった。
後ろの席のシリル・ファラーと仲良くなったのだ。シリルは、ファラー伯爵家の第二子だ。
蜂蜜色の髪と赤銅色の瞳を持つ長身の男子で、セオと並ぶと、残念ながら二歳くらい離れた兄弟にしか見えない。
きっかけは、授業中、セオが消しゴムを落として、それを拾ってくれたことだ。
次の休み時間、セオは勇気を出してお礼を言った。
「あの、さっきは消しゴムありがとう」
「どういたしまして。あの、不躾な質問で申し訳ないんだけど、ブライアントくんって、勉強得意なの?先生にあてられても、ぜんぶ正解してるよね」
「セオでいいよ。そうだね、勉強は嫌いじゃないかも」
セオの言葉に、シリルは目を輝かせた。
「じゃあ、僕に勉強教えてもらえないかな?僕、そんなに勉強ができるほうじゃないのに、たまたま試験の結果が良くて、このクラスになっちゃって困ってるんだ」
「ぼくでよかったら、いいよ」
「ありがとう!ぼくのこともシリルって呼んでくれ」
シリルと話すようになると、同じように勉強を教えて欲しいという子も増え、話す子ができていく。
口当ても見慣れたのか、一歩ひいたところがなくなったように思う。
セオは、友達ができたこと、元気に学校に通っていることを手紙に書き、ジョンとレオンに送った。
それを読んだふたりは、ちゃんと通えているようだと、ほっと胸を撫で下ろしたのだった。
二ヶ月ほど経ったある日。
ルークは、公務があるということで早退していたため、セオとシリルはふたりで教室を出た。
「セオ、この近所に新しいケーキ屋ができたそうなんだけど、知ってるかな?」
「もしかして、図書館の隣にできた、かわいいお店のこと?」
徒歩で通学しているセオは、道路を挟んだ向かいの店がしばらく工事をしていて、最近オープンしたことを知っていた。
「かわいいのかい?それはちょっと行きづらいかな」
「自分で行ってみたいの?」
「うん。自分で買い物するのが好きなんだ。いろんなお店に行ってるよ」
この世界、貴族は買い物も使用人に任せるのが一般的だ。自分で買い物に行くシリルは、かなり珍しいタイプだろう。
「そうなんだ。ぼくも行ってみたいな」
セオがそう言えば、シリルは嬉しそうな顔をした。
「実は、今日行く予定だったんだ。都合がつけば、一緒に行かないかい?」
「じゃあ、護衛に聞いてみるね」
急なことだがとセオが護衛①と②に相談すると、そんなに長い時間でもないならと許可が出た。
メイが心配するだろうから、セオも長居するつもりはない。
店までは徒歩五分ほどの距離だが、シリルの馬車に同乗させてもらうことになった。
そのため、護衛②が別邸に買い物に行くことを知らせに、徒歩で別邸に戻ることになった。
セオは、多分三十分もかからないのに大げさだなぁと思っていたが、甘かった。
まず、馬車が学校から出るまでに十五分ほどかかったからだ。
聞けば、爵位が上の馬車から出ることになっているので、毎日こんな感じらしい。
ファラー家の別邸までは、ここから十五分ほどかかるそうなので、通学だけでも一時間かかるようだ。
セオは、改めて辺境伯家の別邸の近さに感謝したのだった。
やっとケーキ屋に着いた。
新しいこともありとても綺麗で、あちこちに可愛らしい雑貨が飾られていた。
そして、ショーケースにはたくさんのケーキが並べられて、目移り必至だ。
ケーキだけでなく、クッキーやマドレーヌなどの焼き菓子もあった。
「ほんとにどれもおいしそうだね。一つずつ買っていこうかな」
さすが金持ち。シリルは、ためらいなくそう言って、店員に申し付けている。
セオは悩んだが、ケーキはひとつだけ、クッキーは三種類買うことにした。
シリルがしていたように自分でお金も払って、品物を受け取る。
初めてのひとりでの買い物は、大満足で終わった。
帰りも送って行くと言われたが、家はすぐそこだ。
全部買いしたシリルの梱包の時間がかかることもあり、セオは護衛たちと一緒に徒歩で帰ることにした。
シリルは驚いていたが、毎日徒歩で通学しているので大丈夫なことを伝えると、笑って見送ってくれた。
別邸では、メイが門扉のところで待っていた。
買い物に行くとは聞いていたが、いつもより帰宅が遅いので、心配していたようだ。
「ただいま。遅くなってごめん。これ、友達とケーキ屋さんで買ってきたんだ」
セオがケーキの入った袋を渡すと、メイは笑顔になった。
「おかえりなさいませ。それはようございました。ケーキは、今、召し上がりますか」
「ううん。ご飯の後食べる」
料理人は、毎食心をこめて作ってくれている。
ケーキを食べたら残してしまうだろうから、後で食べることにしたのだ。
「かしこまりました。それでは、一旦厨房に参りますので、失礼します」
メイが厨房にケーキを持って行くと、料理長は大喜びだった。
「セオぼっちゃまがご学友と買い物に行かれたなんて…!ほんとうによかった」
彼だけでなく、別邸の使用人は、セオのことを『ぼっちゃま』と呼ぶ。
それは、オリヴィアの息子だからだ。
嫁に行ったとしても、辺境伯家の血を引いていることには変わりない。
そして、レオン一家と同じように思っていた。
「ケーキは、夕食の後、召し上がられるそうです」
「そうですか。それでは、夕食は軽めにいたしましょう」
にこにこと料理長は請け負う。
そういった配慮もあり、夕食後、セオはおなかが張りすぎることもなく、レアチーズケーキを堪能することができたのだった。
翌日のおやつの時間に食べるのは、もちろんセオが買ってきたクッキーだ。
チョコレート、キャラメル、ブルーベリーの三種類がある。
室内にいたのは、護衛①とメイ、洗濯物を持ってきていた、別邸のメイドの三人だ。
セオは、キョロキョロと辺りを見回して、「内緒だよ」とクッキーをおすそ分けする。個包装なので持って帰れるからだ。
①とメイドに選んでもらった後、メイにはチョコをこっそり渡した。
なぜなら、メイは甘いもの、とりわけチョコが好きなのを知っているからだ。
だが、そのことを隠したいのか、人前では遠慮して選ばなかったりする。
「ありがとうございます」
受け取ったメイは、ポケットに入れて業務に戻ったのだが、その口の端は上がっている。
以前に比べて、今は表情自体が柔らかい。
ーーーきっと、セオがよく笑うから、つられるのだろう。
偶然その表情を目にした護衛①は、そう思いながら、目元を柔らかくしたのだった。
その日の夜。
セオがベッドに入れば、メイと護衛①の仕事は終わりだ。
いつもは「お疲れ様でした」と解散するのだが、その日は違っていた。
護衛①がメイを呼び止め、差し出したのは、セオからもらったクッキーだった。
「おれ、甘いもの食べれなくて。断ろうと思ったんですけど、セオさまがすごく嬉しそうに「選んで」ってもって来て下さったので、断れなかったんです。苦手じゃなければ、もらってくれませんか」
「…ありがとう」
メイの細い手が、護衛①が差し出したクッキーを受け取った。ほんの少し、指先が触れる。
「では、これで。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
それぞれ自室に向かう二人の耳は、なぜだか、ほんのりと赤くなっていた。




