2、家令との対話
翌朝。
セオが目覚めると、メイではないメイドが朝の身支度についた。その手は震えており、いつ癇癪を起こされるかとびくびくしている。かわいそうになったので、最低限の身支度がすむとメイドに命じる。
「ジョンを呼んできて。後は下がっていいよ」
「かっ、かしこまりました」
メイドは走るように部屋をでて行き、しばらくすると家令であるジョンがやってきた。
先々代からの使用人である彼は、髪に白いものが多く混じっているが、燕尾服をパリッと着こなすイケオジだ。メガネもよく似合っている。
「お目覚めになられてようございました。参りますのが遅くなり、申し訳ございません」
「ぼくも昨日はすぐねちゃったから、いいよ。今日は、ないしょのお話があって呼んだんだ」
「内緒のお話、ですか?」
ジョンが目配せすると、控えていたメイドも護衛も部屋をでていった。
二人だけになる。
「お聞き致します」
「ぼくね、寝てる時に、誰かから色々教えてもらったんだ。おっきな声を出したり、壊したりするのはだめだって。人間には言葉があるから、話して伝えないといけないって。だから色々考えて、前までのぼくはだめだって思ったの。これからは怒ったりしないようにするね」
セオは、セオドアでなくなったことを信じてもらうために、寝てる間に色々教えてもらったことにしようと思ったのだ。
瀬央は前世で大人だったのだから、あながち間違いではないだろう。
神託だと思われるとめんどくさいことになりそうなので、そこら辺はぼかすことにした。
口調は、昨日ほど意識しなくても、幼いものになっている。セオの身体は五歳だから、それに引っ張られるのかもしれない。
それが自然で、いいと思っている。
「なんと…」
絶句してしまったジョンは、とても聞いたことが信じられなかった。
しかし、現に目の前の五歳児は、落ち着いて説明している。寝込む前のセオドアは、すぐに感情的になってとても自分の言葉で伝えるなんてできなかった。
まるで別人のようだ。
「でも、すぐには信じてもらえないだろうから、みんなが怖くなくなるまで、僕には誰もつかなくていいよ。驚くだろうしね。たまには呼ぶかもしれないけど、自分のことは自分でするようにする」
「それはいけません。長く寝込まれていたのですから、お一人で過ごされるのは心配です」
「そっか。じゃあ、ぼくのことがいやだったり、怖かったりする人は、やめてあげて」
「かしこまりました」
「今までたくさん困らせてごめんね。他の人にも、いつか謝れたらいいな」
その言葉に、ジョンは驚いた。
他に侯爵家の人間がいないこの屋敷で、最も立場が上なのはセオだ。
だから使用人は謝罪することを教えなかったし、セオの言うことを何でも聞いてきたのだ。
「周りの者を気づかえるようになったのですか。大きく成長なされて、ジョンは嬉しゅうございます」
寝込んでいたのだから、成長と言うのはおかしいのかもしれない。だが、他にいい言葉が浮かばなかったのだ。
ジョンは、深く頭を下げた。
最上級の礼は、深い忠誠を意味する。次に顔をあげたジョンの相好は崩れていた。
「あと、僕のことはセオって呼んでね」
「セオさま、ですか」
「うん」
「懐かしいですな。奥方様が、そう呼んでおられました」
「奥方様って、僕のお母さんのこと?」
「はい。愛しみをこめて、そう呼んでおられましたよ」
「…そうなんだ」
意外な繋がりを嬉しく感じたセオは、にっこり笑った。
ちなみに、セオに付くメイドは。
「僭越ながら、私がおつき致します」
メイがそう言って手を挙げたので、セオの懸念をよそに、あっさりと決まったのだった。
一週間が経った。
生活にはだいぶ馴染んできたが、長らく寝込んでいたからか、体調が安定しない日が続いていた。
ラルフは毎日やってきて、セオの診察をすると、苦い薬湯を調整していく。
この頃、診察が終わると、セオは必ず聞くことがあった。
「おふろ、今日は入れる?」
その問いに、ラルフは苦笑する。
「残念ながら、今日は少しお熱が高いので難しいですな。もう少し元気になってから入りましょう」
「もう!なんで毎日おんなじこと言うの」
セオは、ぷっとむくれた。怒るというより、拗ねている感じだ。大変可愛いらしい。
「もう少しご飯が食べれるようになって、お庭を歩けるようになったら、毎日でも入っていいですよ」
「ほんとに?」
「はい。爺は、嘘を言いません」
他はワガママを言わないのに、風呂にはやけにこだわる不思議なセオに、ラルフは笑った。
毎日、メイドが身体と髪を拭いてくれているが、瀬央の日本人の心がお風呂を求めているらしい。
それは仕方がない。
それから、セオはがんばった。
部屋の中で歩く練習をしたり、知っている体操もして体を動かした。
頑張ってご飯も食べ、苦い薬湯も欠かさず飲んだ。
だが、長く寝込んでいたからか、なかなか体力はつかない。一度など、風が気持ちいいからと、少し窓を開けておいただけで咳が止まらなくなり、熱が出たのだ。
なんてひ弱なのかと、セオは自分で思う。
そんなセオ付きとなったメイは、かなり優秀だった。
セオの体調の変化に敏感で、室温や湿度を調整し、水分補給を促す。一度など、セオが自覚するより前に、体調の悪化を察したことがあったくらいだ。
「メイ、ありがと」
「とんでもないことでございます」
「うぅん、ほんとにありがとう」
寝込んでいた間、時々は意識が戻ってくることがあった。
大抵、体は自由に動かなくて、高熱のため全身が痛い。只々しんどかった。
メイドのほとんどは、一週間もすれば世話も適当になった。おむつが汚れていても替えてくれないばかりか、ここぞとばかりに悪口を言い、叩いたりする者もいた。
誰も、セオの意識があると思っていなかったから。
体を拭いて着替えさせてくれ、下の世話をし、かろうじて意識がある時に水や粥を食べさせてくれたのは、メイと一部の者だけだった。
きっと彼女たちは、業務の一環だから行ってくれていたのだろうが、瀬央は深く感謝していた。
見捨てられていたら、本当に生きていけなかっただろうから。
ちなみに、それを聞いたジョンによって、ちゃんと世話をしなかった者は、全員暇を出されている。
元々、セオドアの癇癪が酷かったため、かなりの数のメイドと護衛が配置されていたのだ。
長引く闘病の後、癇癪が落ち着いたためだと説明し、希望者には紹介状も持たせると、誰も文句は言わなかった。
ジョン自身は、紹介状は必要はないと思っていたが、セオが、そうしたいと言ったのだ。
「今までたくさん迷惑をかけたし、嫌な思いをさせてしまったから」と。
今は、メイドもメイを中心に数える程しかいないが、いずれも人格に問題はなく、口も固い者たちだ。
初めはセオの変化に戸惑っていたが、今はすっかり慣れ、いい関係性を築けているのだった。