22、不器用なエドガー
話は、昨日セオが眠った後に遡る。
自室に戻ってきたレオンは、エドガーと、家令のカーターのみを残して、後を下がらせた。
エドガー自身も、なんの話かは分かっている。
「ーーーエドガー、あの子のお迎えはどうだったんだ」
「…面目次第もございません」
エドガーは、深く頭を下げた。
エドガーは、幼いころから感情表現をしたり、話をするのが苦手だった。
どうしてだか、顔の筋肉の動かし方や、声の出し方が分からなくなってしまうのだ。
しかし、前辺境伯に従う祖父であるカーターを見て、『将来は家令になりたい』という夢を持ち、努力を重ねてきた。
その甲斐あって、来客対応以外の仕事は完璧にできるようになったのだが、コミュニケーションは苦手なままだった。
それでも、みなが協力してくれて、だいぶ柔らかい表情で話せるようになってきたのだ。
セオの出迎えは、その家令への、最終試験のようなものだった。
失敗すればセオは嫌な思いをするだろうが、屋敷に来ればフォローできるし、あの子も分かってくれるだろうと、レオンも許可したのだ。
エドガーは、張り切っていた。
考えながらの会話は難しいので、この場合はこの言葉を言う、と何度もシミュレーションをした。いろんな会話のパターンを考えた。
その結果があれだ。
セオがこちらを気遣って外を見ているのも、護衛がこちらの対応をよく思っていないのも、分かっていた。
必死に声を出そうとするが、焦れば焦るほど、何一つ、思い通りに動いてはくれなかったのだ。
レオンは、言い訳ひとつしないエドガーに、深く息を吐いた。
「ーーーセオと話をしてから沙汰を伝える。それまで部屋にいろ」
それはつまり、セオが嫌かもしれないので、顔を出すなという意味だ。きっと、荷造りをしろという意味も隠されている。
「かしこまりました」
当然だと、エドガーは思った。
自分の対応は辺境伯家の迎えとしてあり得ないものだった。他の貴族なら激怒し、主のレオンが謝罪する事態になっていただろう。
エドガーは当然クビ。相手の怒りが収まらなければ相応の罰を与えられていたに違いない。
そんな大それたことをしでかしてしまったのだ。
しかし、こんな時でさえ、エドガーの表情筋はぴくりとも動いてくれない。
ただ、深く下げたままの顔から流れた汗が、床にぽたりと落ちたのだった。
それが、昨日の話で。
レオンが、セオにエドガーのことを切り出したのは、朝食をとった後だった。
事の顛末を聞くと、エドガーは挨拶しかしていないという。
思った以上の酷さにレオンは思わず額に手をやり、カーターは内心頭を抱えた。
一方、エドガーがコミュニケーションが苦手なだけだと分かったセオは、嫌われてはいなかったのだと、ほっとしていた。
「そっかあ。エドガーは、すごく話すのが苦手なだけなんだね」
「あぁ。不快な思いをさせてすまなかった」
「うぅん。怒ったり、嫌われたりしてないのが分かったから、だいじょぶだよ」
「…そうか、そう思ってたのか。じゃあ、不安だったな」
レオンにそう言われ、セオはちょっと目線を下げた。
「ちょっとだけ、歓迎されてないのかもって」
「「そんなことはない(ありえません)!」」
「うん、今はだいじょぶ」
隣りにいたカーターにも声を揃えて言われ、セオは笑う。
レオンは、ソファに深く座り、ため息を吐いた。
エドガーの対応の不味さが、しっかりセオの不安に繋がっていたことが分かったからだ。
これでは、この先もエドガーに来客対応をさせることはできないだろう。
「来客対応以外は得意なんだがなぁ…」
ぽつんとつぶやくレオンに、セオは、きょとんとする。
「それは、ぜったいエドガーがしないといけなの?」
「家令になるならな。家の采配をしたり、主に代わって客人をもてなすこともある。ジョンがそうだろう?」
「そうだけど。だったら、家令をふたりにしたらいいんじゃない?」
「は?」
「エドガーががんばりたいならがんばったらいいんだけど、がんばっても難しいことはあるよ。しんどくなるだけだったら、家令を二人にして、今回みたいな出迎えとかは、別の人がすればいいんじゃないかな?」
「……そうか、そうだな」
セオの柔軟な発想に、レオンは、頭をまるで殴られたような衝撃を受けた。
「おれは、できる者の才能を伸ばそうと思ってやってきたのに、どうして今回はそう思ってやれなかったのだろうな」
辺境伯家は、人が少ないこともあり、各々得意なことを伸ばし、苦手なことをフォローしあってきた。
エドガーも、対人以外の仕事は完璧なのだから、初らそちらを伸ばしてやればよかったのだ。
「カーター、どう思う?」
「はっ。恐れながら、別邸ではお客様の対応もほとんどありません。必要な時に人員を調整して構わなければ、家令はひとりでかまわないかと」
「もし客人が増えれば、家令とは別に来客対応する役職を作ればいいだけか。なら、決まりだな」
レオンとカーターがそんな話しをする横で、メイは、近くにいた護衛②にすっと近寄った。
そして。
「私、なんにも聞いていないんですけれど…?」
と、よく通る小さい声が響き、その場は凍りついたのだった。
なんとかその場はおさまり、エドガーのもとに行ったレオンは、セオとのやりとりを聞かせた。
「というわけで、おまえには、今まで通り、将来の家令を目指してがんばってもらいたい。来客対応はしんどいのなら無理しなくて構わない。うちはそうやってきたからな」
「…あ、ありがと、ございま…!」
礼を言い切る前に、エドガーの目からは、後から後から涙が出てきて、止まらなくなった。
昨日、エドガーは眠れなかった。
クビだと言われる未来が怖かったのもあるが、一番は後悔していたからだ。
自分が迎えにさえ行かなければ、セオは初王都を楽しめていただろうにと。
そもそも、やっと顔見知りとスムーズに喋れるようになったくらいなのに、なぜ初対面の要人の出迎えができると思ったのか。
それは、自分のことしか考えていなかったからだ。
これができたら家令になれる、と。
全くもって、おこがましい話だ。
「まぁ、あれだ。そんなに気負うなよ」
苦笑したレオンに肩を叩かれ、言葉にならなくなったエドガーは、深い深いお辞儀をした。
九十度もの角度がありそうなのに、体幹が一切ぶれないのは、ずっと練習してきたからだ。
言葉が出ないのなら、せめて態度で伝えようと。
「あと、セオには謝れよ?」
エドガーも、セオに謝りたい。
念を押されて、エドガーは何度も頷いたのだった。
早々に謝りたいと、泣き止んだエドガーは、レオンにセオのもとに連れてきてもらっていた。
ソファに座って本を読んでいたセオと目線を合わすため、エドガーは膝をついた。
エドガーはどんな罵倒も受け入れる覚悟で、ぐっと腹筋に力を入れた。
ーーーそれなのに、セオが言ったことは。
「目、どしたの?いたくしたの?」
だったものだから、再びエドガーの目からは涙が噴き出してしまう。
「えぇぇ!?」
表情が全く変わらないまま涙だけが出るのは、だいぶというかちょっと怖い。
瞼が腫れて、目も真っ赤で痛々しかったので、レオンに怒られたのだろうかと聞いただけなのに、まさかこんなことになるとは。
セオは少しひいてしまったが、メイが素早くハンカチを出してくれたので、それをエドガーに渡す。
エドガーは、セオに感謝を伝えるために口を開いたが、やはり声は出なかった。
焦るエドガーに、セオは言う。
「あのね、ぼくおこってないよ。だから、ゆっくりでいいから、深呼吸してみて?」
言われた通り、深い呼吸をしようとしたが、泣いていることもあり、なかなか思うようにいかない。
レオンがもういいのではないかと声をかけようとしたその時だった。
「ッ、でむがえのげんは、たいへんもうじわげありまぜんでじだ!ゼオざまのおやざじざは、いっじょおわずれまぜん!ほんどぉに、ぁ゙りがと、ございまじだ!」
エドガーは、唐突に声を出すことができた。
嗚咽も混じってほとんどなにを言っているか分からなかったが、セオは「うん。むりせずがんばって」と笑って答えたのだった。
その日、目が溶けるのではと思うほど泣いたエドガーは、初心に立ち返ることができた。
家令になることが目標なのではなく、目指していたのは、主から信頼される祖父の姿であったことを思い出したのだ。
そのため、家令の件は様子見にしてもらい、まずは周りとの関係性づくりから見直すことにした。
表情筋はまだ動いてくれないことが多いが、言葉の方はスムーズにでてくることも増えている。
大きく成長したエドガーを見て、周りもセオに感謝していたのだった。
ちなみに。
エドガーの出迎えのひどさを聞いたメイは、もちろん激怒した。
後日、喋るのは苦手ということは置いておいて、対応や対策の甘さをこてんぱんに叱られ、エドガーは、いかに自分が甘いのか思い知ったのだった。




