16、セオの発熱とメイの決意
使用人の騒動も落ち着いた、その日の夕方。
「…なんか、あつい」
セオがそう言い出したのは、夕飯前のことだった。
「失礼します」と言ったメイが首元に触れると、熱くなっている。
「すぐに医者を呼びます」
「うん。…いっぱいいろいろ考えたから、それでかも」
今度こそラルフが呼ばれ、セオの診察をした。
発熱以外に、風邪の諸症状はない。そして、熱が出ているのに割と元気そうだ。
「セオさま、いろいろ考えすぎたんじゃな」
「うん、ちょっとがんばったかも」
「知恵熱じゃろう。幸いにもお風邪を召されたりはしておらんようじゃ。ゆっくり眠れば、起きた頃には熱もひいていよう」
頭を撫でて言われたラルフの言葉に、セオはまっかな顔でにこにこしてうなづいた。
夕飯のメニューもパン粥に変更された。具合が悪い時のセオは食欲が落ちることが多いが、今日は喉も痛くないし、食欲はある。
セオが完食したので、メイは安堵した。
「大事ないようでよかったです。ですが、念のためメイは夜もそばにいます。安心してお眠りになってくださいね」
メイは、自分たちが号泣して驚かせてしまったことも、発熱の一端ではないかと思っていた。
ただの発熱をこじらせてしまっては大ごとだ。
この後、一時間ほど仮眠させてもらえば、体力的にも問題はないだろう。
しかし、それを聞いたセオは思った。
朝から働き、休息なしの徹夜など、どこのブラック企業なのかと。
「だめ!」
がばっと起き上がったセオは、メイが驚いている間にベッドから降り、ベッドの脚にしがみついた。
「セオさま!?」
「メイがちゃんと自分のおへやで寝ないと、ぼくも寝ない!」
「えっ!?」
安心させようと言ったひとことが、まさか逆効果になるとは。
「セオさま、私はこの後、仮眠もとらせていただきます。だいじょうぶですので、どうかベッドにお戻りに」
「やだー!」
そっと肩に触れて促すが、セオは余計にベッドにしがみついてしまう。
顔も手足も真っ赤で、目は据わっている。
先ほど食事をしたし、ほどよく眠気もあるはずだ。
多分、もうすぐ体力的には限界になるだろうが、それまで放っておくわけにはいかない。
かといって、力技で引き剥がすなどもっての他だ。
メイがおろおろしていると、護衛から連絡を受けたジョンが急いでやってきた。
両手でしっかりとベッドの脚を抱え込むセオに、そのそばにしゃがんで困り果てているメイ。
大変珍しい光景だ。
特に、寝転がっているセオは、肥料の活用法をあれだけ考えた天才と同一人物と思えない。
セオがちゃんとした子どものようでーーーちゃんとした子どもなのだがーーー思わず笑いそうになってしまったのをぐっとこらえたジョンは、ふたりから事情を聞いたのだった。
「なるほど。セオさまもメイも、お互いを心配しているのですな」
「はい」
「うん」
同時に答えた二人に微笑んだジョンは、折衷案を出した。
「それでは、セオさまが幼いころのように、隣の部屋にベッドを置き、そこでメイが休むのはどうでしょうか?扉を開けておけば、セオさまが夜中に起きられた時に、メイが気づけるでしょう」
隣の部屋とは、セオの私室だ。
「…でも、ベッドないよ?」
「すぐに持ってきましょう」
ジョンの目くばせに、護衛が部屋から出て行った。 「セオさま。体調がよくないのですから、床に寝転がるのはおやめくださいませ」
「…ぅん、ごめんなさい」
ジョンに叱られたセオは、メイをより心配させた自覚がある。素直に謝った。
「こちらこそ、ご心配をおかけすることになってしまい、申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げるメイに、セオは、「ん、」と両手をあげた。だっこのおねだりだ。
メイは、お気に入りのふわふわ毛布でセオの体を包むと、抱き上げた。
だいぶずっしりしてきたが、それは成長している証拠だ。嬉しく思う。
「…ぼくが幼いころって、なんで?」
「夜間は、メイドふたりでかわりばんこにセオさまのお世話をしていたのです。ひとりが起きている間、もうひとりがこのベッドに寝ていたのですよ。今もですが、赤ちゃんのセオさまはとてもかわいらしかったです」
答えながら、メイは思い出していた。
まだこの屋敷に来た駆け出しのころ、オリヴィアと共にセオドアの世話をしたことを。
貴族にとって、子どもの世話は乳母に任せるものなのに、オリヴィアはできる限り自分で世話をして、抱っこしたり頬ずりしたりと愛情を注いでいた。
貴族なのに気さくで、セオのように使用人のことも心配していた、優しい人だった。
起きられなくなってからも、セオドアのことを気にかけていたーーー。
メイが懐かしさに浸っていると、近くの部屋からキャスターのついた折りたたみベッドを押しながら戻ってきた。
手入れがされていないのか、車輪がキュルキュルいっている。
ベッドは、互いにベッドが見える、寝室と私室の扉のすぐそばに設置された。
「これで構いませんか?」
ジョンはそう問うたが、抱っこされて安心したこともあり、セオの眠気は限界だ。
「ぅん、あんしんした…ゆっくり、ねて…」
そう答えると同時に、セオの目が閉じ、全身から力が抜けた。
どうやら、限界を超えてしまったらしい。
メイは、毛布ごとセオをベッドに寝かせて布団をかけた。
二人は、私室に移動する。
「ジョンさま、ありがとうございました」
「いや、かまわないよ。今日は色々あったし、セオさまも心配してくれている。今日は早めに眠りなさい。客間から寝具を運ばせよう」
「いえ、そんな。私物を持ってきます」
「運ぶのも大変だし、部屋からは遠いだろう」
「…では、お言葉に甘えまして」
メイがそう言うと、護衛が部屋を出て行った。客間の布団を用意してくれるのだろう。
ふたりになると、ジョンが口を開いた。
「メイ、今回の件で、わたしは考えた。わたしたちがセオさまを心配するように、セオさまも私たちのことを気にかけてくださっているようだ。あまり過保護にしないほうがいいのかもしれない」
「……それは、そう、ですが…」
メイは、ぐっと言葉に詰まった。
メイにとって、セオはまだ幼くて体の弱い子どもだ。しんどい思いや、辛い思いはしてほしくない。
だが、一方でセオは大人びている。
自分の体調についても自分で管理できるようになって来ているし、過保護にしないようにというジョンの気持ちも分かるのだ。
ーーー分かるのだが。
また寝込んでしまったら、という思いが消えないのだ。
だが、それは本当はもってはいけない感情だ。
自分は使用人で、セオは主で貴族だ。
本来、使用人は言われたことのみをしていればいい。逆に言うと、言われたことしかしてはいけないし、そこに私情を挟んではいけない。
ーーー分かっては、いる。
その夜、ジョンのすすめどおり早めに就寝したメイだが、いろいろ考えて寝付けず、結局眠ったのはいつもと同じ時間だった。
空が明るくなり始めた頃に、目が覚めた。
目を開けて一瞬どこかわからず驚いたが、すぐにセオの部屋だったと思い出す。
すぐにベッドから降りてセオのもとに向かった。
セオは、すやすや眠っていた。そっと首元を触ると、熱くない。熱も下がったようだった。
ほっとした時、メイはふと、オリヴィアの言っていた言葉を思い出した。
「この子には、いろんなことを経験してもらいたいわ。楽しいこととかうれしいことがたくさんあったらいいけど、思い通りにならないこととか、失敗だって、いいじゃない。信じて見守らないとね」
そうか、これだったのだと、メイは思った。
これからも、セオを心配してしまう気持ちは変わらないだろう。
だが、セオの気持ちも、したいことも、メイには止められないし、止めてはいけない。
オリヴィアの代わりなんておこがましいことは思わないが、メイができるのは、セオを見守ることだ。
考えがまとまったメイは、すがすがしい気分でベッドに戻った。まだ起きるには早い。
目を閉じると、あっという間に眠ってしまう。
次に起きたのは、他のメイドがやって来る時間だった。すっかり寝過ごしてしまった。
起き出したメイがまず行ったのは、セオの様子を見ることだった。
まだよく眠っている。ホッとしたメイは、身支度を整えに自室へと行ったのだった。
昼前。
う~ん、と伸びをする声にメイが寝室に行くと、セオがにこっと笑っている。
「おはよ、メイ。よく眠れた?」
「はい。お恥ずかしながら、少し寝すごしてしまいました」
「よく眠れたならよかった。ぼくもいっぱい寝たから、おなかすいた!」
「ようございました。すぐにお食事をご用意いたしましょう」
こうして、昨日からの大騒動はやっと落着き、いつも通りの1日が始まったのだった。