10、セオのお願い
一年が過ぎた。
毎日体操や筋トレ、外の散歩を日課にしているセオは、少し体つきがしっかりしてきて、背も少し伸びた。
久しぶりに会ったレオンにも、「お、ちょっと大きくなったんじゃないか?」と言われ、「やったぁ!」とにこにこだ。
しかし、まだ寝込むこともあるセオは、同い年の子どもと比べるとまだ小柄だ。
みなそれは知っているが、わざわざ口にはしない。子どもと接する機会がないセオだけが知らないのだった。
ジョンの授業も続いている。
国語と算数は小学校で習うくらいしか発展していないのでもう学ぶことはない。
理科はというと、科学や化学の概念がないため、科目自体がなかった。
社会では、国の歴史や文化、地理を習った。領地によって特産品や弱み強みがある。セオにとっては興味深く、一番好きな科目だ。
授業が始まって分かったのだが、セオには「一度聞いたり見たりした知識は覚えられる」という特技があったようだ。そのため、授業はさくさく進む。
セオドアは勉強を嫌がって一度も取り組んだことがないようなので、これがチートなのか元々の能力なのかは分からない。
しかし、頭を使いすぎてしまうのか、授業の後に頭痛が起きたり眠気が訪れることも多い。頭がよすぎるのも考えものだと、セオは思うのだった。
貴族として必要な授業も始まっている。
まずは、礼儀作法。きれいな礼をするには、体幹や筋肉が必要になってくる。セオにはまだ両方が足りないが、何とか基本中の基本紳士の礼だけは、なんとか及第点がもらえるようになってきた。
ほかにも、貴族の文化や考え方、マナーなどが授業の多くを占めるようになってきた。初めのうちは座学だけだったが、最近は実践での会話が取り入れられている。
セオは、この授業が苦手だった。
なぜなら、貴族は基本、自分の本心を相手に明かさない。弱みにつながったら困るからだ。
そのため、相手の本心を探りながら、いかに自分の望む方向に会話をもっていくという作業が必要なのだ。
言い方ひとつとってもジョンからの訂正が入ることもあり、セオは、授業が終わると毎回ぐったりだった。
ある日の授業は、『民の生活について』だった。
貴族との格差は大きいのではないかと思っていたが、セオの想像以上だった。
農村部では、先祖代々の畑をもち、できた作物を年貢として納めている。
それ以外の商家や生産業は、貨幣で税を治める。
取り扱っている物や場所、店舗の大きさ、従業員の数などによって税が違うらしい。
そして、基本的には貴族のように血統で跡を継ぐ。
農家に生まれれば農業をし、パン屋に生まれればパン屋を継ぐのだ。
しかし、跡を継げるのは長子だけだ。
長男なら嫁をもらい、長女なら婿をもらう。
下の兄弟たちは手が足りていれば、別のところに働きに出ることになる。それも、早ければ5歳くらいで親元を離れ、住み込みで働くのだという。
立派な児童労働だと、セオはくらりとした。
そういえば、この屋敷で働く使用人たちも、朝早くから夜遅くまで働いている。セオが熱を出したときは、大抵メイが付き合ってくれるが、翌日の昼には姿を見たりする。
「夜中かんびょうしてくれてたから、しんどいでしょ?ゆっくり寝て」と言うが、
「十分お休みをいただきました」ときびきび動いているのだ。
きっと、決まった労働時間や休日、福利厚生なんてないに違いない。
前世を知っている分、セオのショックは深い。
そのショックが顔にでていたらしい。
講義をしていたジョンは、急にセオの顔色が悪くなって慌てた。
「セオさま、お加減がすぐれませんか?」
「ううん。ぼくより小さな子がもう働いていることにびっくりしたんだ。お父さまやお母様と離れるの、さみしくないかなぁ?ぼくも、ジョンたちと離れるとしたら、さみしいもの」
どうやらセオは、見知らぬ子どもたちの境遇を考えて同情したようだ。
「お休みにはおうちに帰れます。それに、手に職がつけられるので、将来はくいっぱぐれないといういい側面もあるのですよ。実力をつけて、将来、独立する者もいるようです」
「そうなんだ。じゃあ、よかった」
そう言ってセオは笑ったが、まだ気にかかっているようだったので、ジョンはその日の授業を終えた。
セオが癇癪を起こさなくなり、何の憂いもなくなるかと思ったが、ジョンには別の気がかかりがある。
セオの体が丈夫でないことが一番だが、素直で優しい心根もそうだった。
セオの場合、家族が側にいないことも原因だろうが、使用人との距離が近い。
誰かがケガをしたり体調がよくないと、「だいじょぶかなぁ?」と心配して、治るとにこにこして喜んでいる。
普通の貴族は、使用人は自分の言うことを聞く存在で、いくらでも代わりはいると考えている。
セオにもそうなってほしいわけではない。
しかし、貴族意識が低いことで、いつか足元を救われるのではないかと心配しているのだ。
その日以降、民の暮らしに関する授業はなくなり、加わったのが治世に関する授業だ。
経済的なこともがっつり関わってくる授業だが、セオには興味深かったので、毎年地方から上がってくる決算・予算報告書、それをもとに国に上げている報告書等を書庫からもって来てもらって自分で読んでいた。
二カ月後。
「領地を見に行きたい。特に農村かな」
セオがそう言ったのは、礼節の作業が終わった直後だった。
授業とは関係のないことだ。
そのため、ジョンは言われた言葉を理解するのに時間がかかった。脈絡がなかったためだ。
セオは、まばたきをしたジョンに慌てて説明した。
「えぇっとね、最近、治世に関する勉強してるでしょう?書類では色々読んだけど、実際にようすを見てみたいなぁって思って」
「外出は、今までされたことないでしょう。心配です。もう少し大きくなって、お体が丈夫になってからがいいのではないでしょうか」
「でも、いつ体が丈夫になるかわからないでしょ?それより、時期を気にしたほうがいいと思うんだ。今から暖かくなるし、外に行きやすいでしょ?」
「…」
「お願い、ジョン」
ジョンが知る限り、セオが「お願い」したのは初めてだ。心配な気持ちは強いが、何とか叶えてあげたかった。
「…分かりました。それでは、ラルフに相談してみて、許可が出れば詳細を詰めましょう」
「ほんと!?やった!ありがとうジョン!」
セオは、大喜びでぴょんと飛び上がった。
正直、断られる可能性が高いと思っていたのだ。
その日のうちにラルフに話が行くと、許可はあっさりと出た。
「家にいても外出をしても、同じです。口当てをして無理をしなければいいのです」とのことだ。
セオは、ジョンたちといつどこの領地に視察に行くか話し合った。
行くのは、期間を開けて全部で五ヵ所。
初めての視察は、馬車で二時間程度で行ける農村、エハイルに決まった。
もちろん、セオが行くのは秘密裏だ。
「街中は見るだけでいいけど、畑は様子を見てみたい」とセオが言ったので、なんとか畑を見られる方法を考えた。
同行するのはメイと二人の護衛で、シナリオはこうだ。
「メイ扮した商家の娘が、外出中に馬車酔い。やむをえず畑のそばに馬車を停め、女性使用人が馬車内で看病している間、男性使用人は外に出る。そのひとりがセオ」という設定だ。
馬車を止めている間、護衛の一人は、それらしい恰好をして馬車の前に立ち、もうひとりの護衛は、使用人の恰好をしてセオと同行することになっている。
このシナリオに決まったのは、メイが最後まで外出に反対していたからだ。
それなら同行させた方が安心するだろうと、メイ基準にシナリオが決まっていったのだった。