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第八話:未読99件

 朝の静寂を破るようにスマホが立て続けに振動する。枕元でアラームを止めようとした大川灯里おおかわ・あかりは、その通知数を見て思わず硬直した。


「え……未読、68件……?」


 画面上には「美月さん」の文字がずらりと並ぶ。灯里は寝ぼけ眼をこすりながらロックを解除するが、次の瞬間、次々と飛び込んでくるLINEメッセージの嵐に息が詰まるような感覚に襲われる。


「新着:美月さん (1)」「新着:美月さん (2)」「新着:美月さん (3)」……

 まるで止まらない。灯里は頭を抱えながらベッドから起き上がった。


(……やっぱり、昨日の顔合わせが終わったばかりなのに、この量はおかしいよ……)


 まだ睡眠の残滓が体に絡みついている中、すでに胸が重くなり始める朝の始まりだった。


 寝巻きのままキッチンへ向かい、コーヒーメーカーのスイッチを入れる。小さな「コポコポ」という音をBGMに、灯里はスマホをスクロールした。


式場候補リンク12ヶ所

ウェディングドレス比較表

ブライダルフェア日程


 ひとつひとつが数行ではなく、長文リンクや画像ファイルも山ほど貼られている。さらに「見学アポは早めに取るべき」「友人の式で失敗した例」など、まるでコンサル報告書のように長文が連投されていた。


「……朝からこんなの見せられたら、食欲もわかないって」


 とはいえ何か胃に入れないと仕事が持たない。簡単にパンをトーストしながらメッセージをざっと読み流すが、その情報量と押しつけがましさに頭がクラクラする。

 コーヒーをすすっても、いつもの香りがうまく感じられないほど、胸の奥がもやもやしていた。


 パンをかじりながら、改めて画面を見つめる。どのメッセージにも共通して感じられるのは、美月みつきの「結婚式の準備を自分が主導する」意志がにじみ出ていることだ。昨日の顔合わせの場でも、彼女は終始リードを握っていた。


(誰の結婚式なんだろう……。翔くんと私のはずなのに、気づけば“美月さん”が中心になってる。まるで私は……三人目の婚約者なの?)


 そこまで考えて、灯里は自分自身に暗い疑念を抱く。こんな感情を抱くのは、自分が心が狭いからだろうか。

 だけど、いくら姉弟が仲良しでも、ここまで“自分たちの意思”が見えない進行はおかしい。胸が苦しくなる感覚を振り払うように、灯里は頭を左右に振った。


 バタバタと身支度を整え、通勤電車に乗り込むころには、まだすべてのメッセージを読み切れていない。それどころか、グループLINEには新着が増えていた。

 美月さん → 翔&灯里:

 「式場プランA」「式場プランB」「式場プランC」の比較表が、エクセルのスクショか何かでびっしりと送られている。しかも「下記3プランから選んでください」と箇条書きが続く。


(お願いだから、少しは落ち着いて……)


 車内は通勤ラッシュで混雑しており、隣の乗客がチラリと彼女のスマホ画面を覗き込む気配がする。通知音はバイブレーションにしているものの、ひっきりなしに震えるスマホを握る手に、じわりと嫌な汗がにじむ。

 朝の雑踏の中、灯里は心底「誰か助けて」と叫びたくなった。


 会社に着いてデスクに向かうころには、メールチェックすらままならないほどSNSの通知が気になって仕方がない。ついメッセージを開いてしまうが、読むたびに気が重くなる。

 たまらず、灯里は庄司翔しょうじ・かけるに個別チャットを送る。


灯里 → 翔:

「ごめん、仕事が手につかない……。お姉さんに連投やめてもらえないかな? 私たちのペースで考えたいのに」


 しばらくして、翔からの返信が届く。


「姉さん、善意でやってるんだと思う。気持ちはわかるけど……とりあえず言ってみるね」


 けれど、その言葉にどこか歯切れの悪さを感じる。灯里は「本当に大丈夫?」と言葉を飲み込み、パソコンの画面へ視線を戻す。

 (姉さんも悪気はない)——それは理解している。だが、このままでは自分が壊れてしまう。灯里はそう感じつつも、どうにか仕事を始めようと気持ちを切り替えた。


 午前のタスクを片付け、ようやくランチタイムになったころ。自席でスマホをチェックすると、新着がさらに増えている。「美月さん」「美月さん」「美月さん」——終わりがない。

 同僚数名とランチに出たとき、軽く相談してみると「うわ、それ地獄じゃない?」「マリッジハラスメントかよ」と笑われる。思わず苦笑で返す灯里。


「ホントそうなんだよね……どうしたら止まるんだろう……」


 午後の会議中には、さらに立て続けにドレス写真が20枚送られてきた。Aラインやスレンダーなど、専門用語満載のメッセージに加え、「年齢的にはスレンダーラインが◎」「これが一番無難」といった追い打ちまで。

 挙句の果てには音声メッセージまで届き、美月の声で「失敗しないようにするためにはね……」と説教じみた口調が延々と流れてくる。


(私たちの年齢って、そんなに派手は似合わないの? ……それ以前に、勝手に私の好みまで決めないでほしい……)


 灯里は会議中にもかかわらず、内心でため息が止まらない。ここまでくると、もう精神的に追い詰められそうだ。


 午後3時を過ぎたころ、どうにも耐えきれず、灯里はトイレの個室へ駆け込んだ。自分の顔を鏡で見ても、ひどく疲れた表情をしているとわかる。


「……落ち着け、私……」


 個室に入り、背もたれに体を預ける。深呼吸を繰り返してから、意を決して「もう今日は返信しない」と打ち込もうとするが、文章がどうにもまとまらない。


(姉さんのことを否定したら、またややこしくなる。どう書けば……)


 何度も文章を打っては消す。最終的に、簡潔に送信したのはこれだけだった。


「今は仕事中で返信できません。落ち着いてから見ますね」


 トイレの個室で、そう送信したあと、灯里はスマホを鞄に放り込み、もう連絡を見ないことに決める。深呼吸をしても、胸の奥のわだかまりはまったく消えてくれなかった。


 その日、会社の残業を終え、ようやく自宅へ戻った灯里は、疲労のあまりシャワーも後回しにしてソファへどさりと座り込んだ。


「ふう……もうこんな時間か。ご飯どうしよう……」


 スマホを取り出すのが怖くて、一度も確認していない。しかし、通知音を切っておいたはずのスマホが、わずかに振動する気配を見せた。そっと画面を起動すると——


 件名:「式場仮押さえ完了のお知らせ」

 CCに美月のアドレスが入っている。


「え……勝手に、仮押さえ?……」


 灯里は一瞬、頭が真っ白になった。自分と翔で相談して決めるのではなかったのか。昨日の顔合わせの後ですら、私たちの気持ちはろくに反映されていない。

 震える手をどうにか落ち着かせようとするが、指先は言うことを聞かない。


 胃が痛むような感覚と苛立ちが募り、灯里はダイニングテーブルにスマホを叩きつけた。軽い金属音とともに画面が衝撃で微かにヒビが入る。


「もう……十分だってば……!」


 声にならない悲鳴が口をついて出る。バイブレーションがさらに続き、画面には「姉さん」と表示される未読通知が光る。ヒビの入ったガラス越しに見える通話ボタンやメッセージは、余計に絶望感を煽る。


「もう、なんなの……。こんなの、私の結婚じゃない……!」


 思わず叫んだ声が、静かな部屋の中で反響する。一人暮らしのマンションは防音がしっかりしているとはいえ、自分の声がこんなにも虚しく響くことに、自分自身が驚く。

 目頭に熱いものがこみ上げてきて、灯里は自分の膝を抱えるようにうずくまった。


 どれほど経ったかわからない。スマホからの通知音は一時的に止んだようだが、またいつ再開するかわからない。部屋にいると息苦しさを感じ、灯里は壊れたスマホを握ったままベランダへ出た。

 夜風が頬を撫で、遠くにビルの灯りが瞬く。息を荒くしていた灯里は、深く吸って深く吐く。ようやく少し落ち着いてきた。


「私の結婚は……私たちの結婚は……やっぱり私が主語じゃなきゃ意味がない」


 夜空を見上げながら、灯里は静かにそう呟く。自分を奮い立たせるように語られた言葉は、やがて決意へと変わっていく。


(私は……もう誰かの言いなりになるだけじゃ、幸せになれない)


 部屋の中では、割れた画面のスマホに再び「未読通知」が増えていく。気づけば「99+」という数字がアイコンに重なっているのが、ガラスの割れ目越しにわずかに見える。

 だが、灯里はそれを見ようとはしない。夜風が長い髪を揺らし、彼女の瞳に微かな涙の光を宿す。そして、その光は覚悟の炎へと変わりつつあった。

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