第29話 ヒズアグへの道
翌朝、俺たちはグロムを後にした。
村の人たちは「もう少し居てくれ」と言ってくれたが、ずっといるわけにもいかない。
軽い餞別を受け取り、今、イグリアと都市へと向かっている。
「こっちの道を北へ行けば、大きな街があるらしい。名前は……えっと、ヒズアグだとか」
「ヒズアグ……」
イグリアはそう呟くと、足を止めて魔界の空を見上げた。
「知ってるのか?」
「知ってる。結構大きな都市だった、かも」
イグリアはあまり魔界でのことを話さない。だからこうして何かを語ってくれるのは、少しだけ嬉しかった。
「どう? 魔界の感じは、綺麗?」
空は赤く、太陽は不気味。日食のように中央が真っ黒で、光だけがにじむ。
遠くの雲は地を這うように流れ、地平線には黒く尖った岩山がいくつもそびえ、所々に異形の樹木が生えている。
「……正直、慣れないな。特に赤い空と太陽は」
「それが普通の感想よね、きっと」
この赤い空と黒い太陽は、青い空と明るい太陽を見慣れていた俺には、どうしても馴染めない光景だった。
「私は好きじゃなかったけど......でも、改めて見ると、やっぱり戻ってきたんだなって思う」
「懐かしい?」
「どうかしらね......ここで生きてきた時間より、人間界での生活の方が落ち着いてたと思う」
イグリアは短く息をついて、すぐに前を向いた。
「行くわよ。こんな所、ずっといたくないから」
ずんずんと前を歩き出す彼女。
「ちょっ、早ッ!?」
赤い空。黒い太陽。
足元の地面は黒ずんだ赤土で、時折、小さな魔物の足跡や、砕けた骨の破片が混じっていた。
風が吹けば砂煙が舞い、遠くの岩場からは奇妙な鳴き声がこだまする。
——それが魔界。
そんな中を、俺たちは都市ヒズアグを目指して歩き出した。
■
都市ヒズアグへ向かう道中、荒れ果てた岩山の合間を抜けたところで、奇妙な構造物が目に入った。
風雨に削られた石柱。崩れかけた石段。そこにあったのは、今ではすっかり朽ちた神殿のような建物だった。天井は落ち、壁も半分以上が欠けている。それでもなお、どこか威厳のようなものを残していた。
「なんだろ、これ?」
思わず呟いた俺の隣で、イグリアも足を止めていた。
「見覚えあるか?」
「ないけど、たぶん境界戦争……人間と魔族が本格的に衝突してた頃のものね、魔族側で活躍した将軍の一人を祀った神殿だと思う」
イグリアは続ける。
「その頃の魔界では、優れた戦士を半神みたいに崇める風習が一部であって……この場所も、その名残の一つみたいね」
イグリアは静かに神殿の中を見渡し、ふっと息を吐いた。
「詳しいんだな」
「父さんがこういうの好きだったから......私の一族にも祀られた誰かがいたらしいし」
神殿の奥にぽつんと巨大な石像が立っていた。
地に突き立てられた剣に両手を添え巨大な翼をたたんだ鳥顔の戦士。
その瞳は、石でできているはずなのに今も誰かを見据えているようだった。
それはかつてここに英雄と謳われた魔族がいたことを確かに物語っていた。
イグリアは残された碑文からこの戦士の名と思わしきものを見つける。
「――剣翼将ヴァグラド」
静寂と、赤い空の下──
俺たちはしばらく、その寂れた神殿の前に佇んでいた。
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