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スケープゴートの子守歌  作者: ふとん
6/10

抱擁

 じっと椅子に座り、自分の手を見つめていた。

 家の中は隅々まで見てまわった。鍵を三回も四回も確かめ、全ての窓が閉まっているか何度も点検してまわった。夜になっても明かりをつけず、中庭に面したこの部屋の隅でじっと椅子に座っている。

 人の声が家中に響いている。

 だが、火の消えた家には誰もいない。

 聞こえてくる人の声は、この家からではない。

 外からだ。

 それも外で祭りでもしているような歓声ではなく、明らかにこの家に向けられた罵声である。

「吸血鬼! 早く姿を現せ!」

「神々の力で滅ぼしてやる!」

「吸血鬼は滅べ!」

 耳を塞いでも入り込んでくる声は防ぎようがなかった。

 何処かでガラスの割れる音が響く。

 石でも投げられているのだろうか。

 こうして椅子に座って耳を塞いでいても、何もできない。

 時間が経てば、暴力に訴えてでも人々が入り込んできて、メテリアは捕まる。

 捕まれば結末は見えていた。

 吸血鬼として、殺されるのだ。

 未練のある人生はない。むしろ早く終わってしまってくれることを誰よりも望んでいた。このまま一生、この屋敷に閉じこめられて飼い殺されるより、早々に死んでしまった方が自分にとっても他人にとっても良かったのだろう。

 それができなかったのは、わずかな希望がメテリアの後ろ髪を掴んでいたのだ。明日になれば、平凡であっても怯えない日々がくるのではないかと、望んでいたのだ。

 吸血鬼の祖父と人間の祖母の間に生まれたのがメテリアの母で、その母を愛したのがメテリアの父だった。父は正真正銘の人間で、しかもその時すでに他に子供が居た。先妻を病で亡くした父は、素性を隠して屋敷で努めていた母を見初めた。だが、メテリアを生んだ母はすぐに死に、父は正式な後妻を娶った。

 そうして、メテリアは吸血鬼の血が混じる混血児として、領地の辺境へ追いやられたのだ。

 領地の端の屋敷に暮らすようになったのは、まだ物心もつかない頃。

 ようやく一人で台所に立てるようになったばかりだった。小さな手には料理器具は全て大きく、冬には擦り傷が酷くて包丁を握れず、保存用の肉だけで過ごしたこともある。死に物狂いで家事を覚えた。ただ生きることに必死だった。

 気づけば、メテリアは孤独を共としていた。一人でいる時間が何よりも心地よく感じていた。

 そのはずだった。

 今は、一人でいることが不安でたまらない。孤独でいることが恐ろしくてたまらないのだ。

 メテリアは膝を抱えてそれに顔を埋める。

 静かになっていた。

 鼓動の音だけが大きくうねって体全てを包んでいる。

 吸血鬼を憎めばよかったのだろうか。

 村人達や親戚達のように、盲目的にただ吸血鬼を憎んでいればこんなことにはならなかったのだろうか。

 だが、吸血鬼を憎む気になれないのは、わずかに生活を共にした父が母の祖父について話していたからだろうか。

 彼等は遠い隣人なのだと教えてくれた父は、今、この場にいない。

「こんなところにいた」

 溜息が聞こえた。

 永遠に感じられなければいいと思っているのに、今この場にやってきた人の気配はメテリアに安らぎを与えた。

 この人が自分を殺しにきたのだとしても、メテリアは笑顔で迎えてしまったのかもしれない。

 だが、部屋のドア先に立っていたのは、人ではなかった。

「ミス・メテリア」

 ほっと一息ついたのは、人の形をしていて人ではないモノ。

「大丈夫?」

 吸血鬼だ。

 気がつけば、メテリアは差し出された手を振り払っていた。

 乾いた音と共に何かが壊れていくのを感じて、メテリアは恐怖にたえられなくなって叫ぶ。

「放っておいて! アンタのせいよ!」

 彼が珍しく息を呑むのを感じた。

「アンタのせいで、私は殺されなくちゃならないのよ!」

 メテリアは部屋に並べてあった写真立てを手に取っては投げた。

「吸血鬼のせいで、私は…! 私は…!」

 自分の荒い息が遠くなる。

 視界がぼやけて、次に暗闇の中が明確な像を結ぶ。

 花瓶が割れていた。

 大切にしていた写真立ても割れていた。

 その上に、何かが飛び散っている。

 眼前では、普段は見えないはずのプラチナブロンドの頭頂が揺れていた。

 後退るとそれを拒むように壁が背中を阻んだ。

 現実を直視しなければならなかった。

 僧衣を着た人ならざるモノが、額を押さえて床にうずくまっている。

 その長い指の間からは止めどなく何かが滴っている。

 彼は顔を上げた。

「気は済んだか?」

 怒るでもなく、軽蔑するでもない声は、張りつめた空気に羽根のように跳ねた。

 彼は額を押さえたまま、真っ直ぐメテリアを見据えた。

 闇よりも暗い漆黒の瞳が何よりも明るく見えた。

 彼が立ち上がる。

 メテリアは床を凝視していた。色こそ見えないが、暗闇であるはずの部屋の中が鮮明に見えている。

 普通の人間にはできないことだ。

「ミス・メテリア」

 呼びかけられても応えられなかった。

 だが、頭の上から生暖かい液体が滴ってきて咄嗟に顔を上げる。

 彼の白い額から止めどなく流れている。痛いはずだ。額が裂けている。

 それにも関わらず、彼はメテリアを見つめて離れない。

 手を伸ばす。

 しかし、それが届くはずもない。

 メテリアは駆けだした。彼の目の前まで駆け寄ると、彼が額を押さえている腕を無理矢理剥ぎ取って、睨む。

「痛いなら痛いって言いなさいよ! 見てるこっちが痛くなるわ!」

 メテリアに怒鳴られて、彼は呆れたように口を開けた。

「……いや、それほど痛くないから…」

「つべこべ言わないでよ! ほら、そこに座って!」

 先程までメテリアが座っていた椅子に彼を座らせて、彼女は棚から救急箱を取り出す。

 倒れたテーブルを起こし、その上に救急箱を乗せると中から包帯と消毒液を取り出してピンセットに綿を挟んで綿を消毒液で湿らせる。

 彼に額から手をどけさせると、小さな傷の割に出血量が多いだけだとわかった。綿で流れた血を拭き取り、再びピンセットに綿を取る。

「……どうして避けないのよ。アンタの反射神経なら避けられるんでしょう」

「アンタじゃなくて、リューク。二人で居るときぐらい名前で呼んで欲しいなぁ」

「その軽口に綿を詰め込んであげるわ。神父様」

 メテリアは溜息混じりに傷に消毒液をつけた。

「酷いな。辛い時はちゃんと呼んでくれないと。慰めることができないじゃないか」

「辛い? バカなこと言わないでよ」

 救急箱からガーゼを取り出し、メテリアは神父の額に貼り付ける。プラチナブロンドが血で汚れていたが、それはどうしようもなかった。

「アンタに慰めてもらうようなことなんかないわ」

 包帯を手に取る。広げたメテリアの目頭を、ふいに眼前の神父が触れてきた。

「何を…」

「じゃぁ、何で泣いてるのかな」

 告げられて初めて、メテリアは自分の頬が濡れているのに気がついた。

 流れているのは血では無く、涙だ。

 包帯を取り落とした。

 メテリアの手を、神父は緩やかに引き寄せた。そのまま、包み込むように彼女の体を抱き込んで頭を撫でる。

 小さな子供をあやすように背中をさすられ、メテリアは顔をしかめる。

「放して。子供じゃないのよ」

 その声がまだ鼻声になっているのを感じて、メテリアは更に気分が悪くなった。

「子供だよ。まだ生まれたばかりの」

 神父はメテリアを抱き込んだまま、彼女の耳元で囁く。

「十七の私が子供だったら、アンタは幾つなのよ」

「九十七歳」

「………」

「失礼だな。俺はまだ若いんだよ」

 冷たい指がメテリアの首筋に触れる。

「まだ伴侶も持てない若造だ」

「……アンタね。調子に乗らないでよ」

「まぁ伴侶が一人だけと決まっているわけじゃないからね。ミス・メテリアもいつか迎えにくるから待っててよ」

「最低!」

 今度こそメテリアは腕に力を入れて、神父から離れた。

「じゃぁ一番に迎えにこようか?」

「迎えに来なくていいって意味よ」

 メテリアは床に落ちた包帯を拾い上げて、即答する。

「わざわざ探してきてもらえるんだ」

「どういう理屈よ、それ!」

 悪徳詐欺師の理屈だ。

「でも、来てもらわなくても、ちゃんと迎えに行くから」

「腐っても神職のくせに」

「教会で妻帯は認められてますよ」

 包帯を神父の首に縛り付けたくなる衝動に駆られながら、メテリアは彼の額に包帯を巻き付ける。

「それに、吸血鬼のくせにどうして神職なんてついてるのよ」

「仕事ですから」

 立て板に水を流すように神父は答えるが、違和感を感じてメテリアは眉根をよせた。

「仕事?」

「そう。家を追い出されていますので、手っ取り早く生活力が欲しくて」

 確かに、神職であれば生活に困ることはない。最低限の衣食住は修行中から保証されている。だが、

「アンタ、いったい何十年その顔なの? いい加減怪しまれるわよ」

 吸血鬼の寿命と人の寿命は違う。

「心配してくれるんだね」

 およそ神職についているとは思えないような手つきで神父は包帯を巻き終わったメテリアの手を絡め取った。

「ええ、心配よ。教会の神父様方が卒倒なさらないかね」

 神父の手を払いのけて、メテリアは余った包帯をハサミで切り取る。

「こちらにも事情があってね。かれこれ五十年ほど神にお仕えしてますよ」

 にっこりと神父は微笑む。聞きたいことがあるなら言ってみろ、というようだ。好奇心はあるが、メテリアはそれ以上尋ねないことにした。

「それで、ここへは何をしにきたの? まさか私に殴られるためじゃないでしょう」

 自分でも不思議なほど落ち着いた声だった。神父に向かって暴れたお陰か、思考は冷静に保たれている。

「もちろん。君を助けるためだよ」

 そんな理由で神父が動くとは思えない。彼はもっと打算的だ。

「嘘はやめなさいよ。馬鹿馬鹿しいから」

 メテリアはさっさと包帯や消毒液を救急箱にしまい込むと、棚に戻すべくその場を離れる。

 後ろから溜息が聞こえてきた。

「本当だよ。村の人は説得したから」

「説得? そんなことができる状態じゃなかったでしょう。ジュリエッタは吸血鬼に殺されたんじゃないの?」

「ジュリエッタはまだ死んでなかったよ。血を抜かれて危ない状態ではあったけど。今頃、街の病院で輸血されている頃だね」

 咄嗟に振り返って、メテリアは顔をしかめる。

「まさか、アンタが……」

「違うよ。言っただろう? 俺は君が食事の世話をしてくれている間は人間を食べることはないって」

 神父は白い指は滑らかな顎にあてる。

「かといって、俺はこの村に新しいお客が入ったとは聞いていない」

「このままだと、アンタが血祭りになるわよ」

「その前に君が危ないと思うけどね」

 その通りだった。ジュリエッタが死んでない状態でこの騒動だ。もし死者が出ることになれば、確実にメテリアが首を切り落とされる。

「でも未来の妻の身が危ないのはいただけないからねぇ」

 メテリアは不穏当な言葉を聞き逃さなかった。

「アンタの任期が終わるまでの付き合いよ。さっさと故郷でも何処へでも帰ってちょうだい」

「そうはいかないよ。さぁ、メテリア。荷物をまとめて…」

「出て行くのはアンタよ。ひとまず教会に帰りなさい」

 是非もなくメテリアが言い放つと、神父は肩を大仰に竦める。

「駄目だよ、メテリア。君も一緒に来るんだ」

 急に親しげに名を呼ばれて、メテリアは不機嫌に神父を睨む。

「どうして…」

「村の人たちと約束したんだよ。俺と君が一週間、教会で暮らしてみるから、ここは引いてくれって」

 メテリアは未だかつてないほど、自分の出生を呪った。



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