邂逅
緑の葉が光彩を反射して、日だまりを造っていた。日だまりに踏み出すと、その場は暗く陰って煌めきがメテリアに移る。
彼女はふと瞳を細め、日だまりから抜け出た。
眼前に広がる林の向こうには、翳りを帯びた教会が見えた。彼女は教会へ続く小道を再び歩き出す。
普段は子供が遊んでいる林は死んだように静まりかえっている。
夏の陽光も冴え冴えと差し込んでいるようだった。人が歩くことによって自然とできた小道は乾いた埃を巻き上げた。
耳が痛い。
彼女は歩きながら目を伏せた。静寂は音という音を吸収し、頑強な壁で聴覚を遮っていた。自分の足音すら、聞こえない。
この辺境の村では、季節は夏と冬しかない。大半は冬で、夏はほんの数ヶ月に過ぎないが、この林は音に溢れているはずだった。夏は小鳥のさえずりや木々の葉音が、冬には積もった雪が小枝を軋ませる音が常に優しくあった。
靴が埃を舞い上げる。
いつも以上の人通りがあったのだ。
でこぼこにへこんだ道には深い轍が残っている。それは真っ直ぐ林と教会を繋ぐ。
昨日、教会の神父が死んだのだ。
各地に点在する教会には、最低一人の神父が常駐する。無論、寒村にも教会はあるので、中央部の教会から実習期間を終えた神父が派遣されてくるのだが、辺境に行きたがる神父は少ない。一度、寒村に派遣されると交替などはほとんど無く、出世の妨げになるのだ。必然的に、辺境へやって来るのは定年も間近の年老いた神父だった。
亡くなった神父も例外に漏れることなく、高齢だった。
メテリアは、本来なら昨日、彼に墓前に捧げるはずだった花束を抱えて教会に向かっている。昨日は村人が多く、葬式に参列していたために行けなかったのだ。
今日も墓へ向かう人々が朝から出かけていくのを窓越しに見つけた。 結局、メテリアは墓前へ行くことを諦めて誰も居なくなった教会へと向かっている。
教会はどんよりと淀んで見えた。
神父が健在だった頃は、暗い林すらも光が差していたはずだが、居なくなった途端にその加護が消えてしまったようだった。
メテリアは教会の石段を登り、色褪せた扉の前で足を止めた。手に持った花束を見つめて、わずかに溜息をつく。
庭で咲いていたわずかな花をかき集めたが、華やかさとは無縁の花束だった。花屋へ行けば良いのだが、またあらぬ噂を立てられて家から出られなくなるのは苦痛だった。
花束の中にくすんだ赤紫を見つけて、彼女は苦笑する。メテリアの瞳も、紅蓮に近いクリムソンなのだ。髪は目立たないブラウンのくせに、瞳の色だけが突出していて不気味だった。一般に、こんな瞳を持つ者は居ない。
彼女は静かに扉を押した。
少し開いた隙間から、忍び込むように礼拝堂へ入る。礼拝堂には大きな天窓があり、天井から陽光が降り注ぐ。わずかな空気の流れを察して、小さな埃が光の中で舞い散る。
正面の十字架は、いつもよりも濃い闇に包まれて光の先には見えなかった。幾つか並べられた、古ぼけた長いすを両脇に、天窓の下まで進み出るが、メテリアは立ち止まった。
人の気配がするのだ。
十字架のおぼろげな輪郭しか見えない闇から、こちらに気がついたように靴音が響いた。
逃げた方が良いのか、メテリアは迷った。しかし、ウロウロと光の外へ後退している間に靴音の主は彼女が立っていた光の円の中に姿を現した。
背の高い男だった。表情を探して見上げると、そこには石膏で造られた彫像のような顔があった。女性的な優美さがある眉の下に鋭利な刃物のような双眸、彫りの深さを象徴する通った鼻筋、堅く引き結ばれているが薄紅の花弁の唇、いずれも名工が彫り上げた作品のようで黄金率によって配置されている。肩まで無造作に切られているのはプラチナブロンドで、陽光を反射して光彩を放っている。ただ、闇を集めて閉じこめたような漆黒の瞳が冷めた光を帯びて、女神のような印象を払拭していた。
こんな男が寂れた教会に何の用があるのだろう。視線を巡らせると彼は僧衣姿である。
新しい派遣神父だ。
メテリアは唐突に理解して、口を開きかけた神父より先に声を出した。
「初めまして。神父様。昨日、前任の神父様が亡くなられたと人伝に聞き及びましたので参りましたの。私、どうも人と接するのが苦手で墓前へは行けなかったのです。ですからこの教会の十字架の前にお花を差し上げようと思いましたの。我が家の庭で摘んだ花ですが、手向けていただけると光栄ですわ。では、私はこれで失礼いたします」
ほとんど一息に述べ上げると、メテリアは神父の返事を待たずに花束をその場に置いて全力疾走で教会を飛び出した。