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女戦士フレイヤ

作者: YB

 肌を刺すような夜風が森を吹き抜け、焚火の炎が揺れていた。

 ラウル、ソフィア、フレイヤ、そしてグロウスの四人は、その火を囲み、決戦前夜を静かに過ごしていた。

 ラウルは焚火に小枝をくべ、焔が強まると火の音が弾ける。彼は細身でありながら屈強な体躯を持ち、黒髪が肩にかかるほどの長さだ。ラウルの顔には勇者としての自信と覚悟が滲んでいた。

「明日が決戦‥‥か。魔王を倒せばこの旅も終わり。少し寂しいな」

 ラウルは落ち着いた声で呟いた。

「そうね、長い旅だったわ」

 ソフィアが柔らかく答えた。彼女は白いドレスの上に薄いマントを羽織り、貴族らしい気品が溢れている。金髪が焚火の光を受けて美しく輝き、青い瞳には優雅さと強い意志が宿っていた。

 フレイヤは二人のやり取りを黙って見つめている。彼女の鋭い瞳は寂しげに焚火の焔を映していた。フレイヤは鍛え上げられた筋肉質な体格でいつも大剣を背中に担いでいる。短めの赤茶色の髪が風に揺れ、その横顔には荒々しさと同時に優しさも感じられた。

 ソフィアがコロコロと笑って口にする。

「明日が終わったら、私たちどうなっているのかしら」

 ラウルはソフィアを真っすぐ見つめてこう答える。

「自由な時代がやってくるんだ。みんな、好きに生きたらいい」

 フレイヤは黙ってやり過ごすつもりだったが、つい「好きにねえ」とぼやいてしまった。

 ラウルがいつもと変わらない調子でフレイヤの言葉を拾う。

「フレイヤは旅が終わったらどうするんだ?」

「俺にはこれしかねえから」

 フレイヤが背負った大剣をコンコンと叩き続ける。

「次の戦場を探してまた旅にでるさ」

「そっか‥‥フレイヤらしい」

 ラウルの答えにフレイヤは痛みを感じるが、こう口にする。

「俺は勇者でも聖女でもねえ。ただの戦士さ。あんたらとは住む世界が違うんだ」

 フレイヤはぶっきらぼうに言ってみせるが、焔のように感情は揺れていた。

 ラウルが視線を焚火の向こうへ向けた。

「グロウスはどうするんだ?」

 グロウスは焚火から離れた場所に無言で座っていた。彼は異形で青黒く変色した皮膚が不気味な光を放っている。大きく膨れ上がった筋肉と、爛れた部分がある体からは醜悪さがにじみ出ていた。頭には不自然な角が伸び、裂けた口からは鋭い牙がのぞいている。口は呪いによって閉ざされ、話すことができない。

「‥‥‥‥」

 グロウスの瞳は感情が読めない冷たい輝きを放っている。ラウルの問いかけにグロウスは何も言わず、ただ一瞥しただけだった。

「相変わらず無口だ奴だ」

 ラウルは笑みを浮かべ、再びソフィアへと目を戻す。そして、勇者と聖女は談笑を続けた。

 フレイヤは気持ちを悟られないように夜に浮かぶ星を見つめそっと息をついた。

 ラウルはソフィアと共にある。そんなこと、分かりきっていたことだ。

 勇者と聖女は女神の運命によって、混沌とした世界を安寧させることが決められているのだ。

 フレイヤはこのロクデナシな世界が少しでもまともになるならと、ラウルとソフィアを守ることを剣に誓っていた。

 フレイヤは無理やり肩の力を抜いて、焚火にこう語りかける。

「明日どうなるかはわかんねぇけど、俺がいる限りお前らは死なねえよ」

 フレイヤはラウルとソフィアに笑みを見せた。だが、その笑みはぎこちなく焚火の光に揺れて消えていった。

「フレイヤ、心強いわ」

 ソフィアの言葉に偽りはなかった。フレイヤは旅のなかでソフィアを嫌いになることはできないと悟っていた。それぐらい、ソフィアに裏表はなかった。

「そろそろ、休もう。明日がやってくる」

 ラウルの言葉を合図に三人は体を休める姿勢をとる。

 異形のグロウスだけが焚火の炎を静かに見つめていた。彼は眠ることすらできない。



   ☆   ☆   ☆



 まどろみに溶けるようにフレイヤはラウルと出会った日のことを思い出していた。

 拠点にしていた賑やかな港町は、いつも陽気な歌声が聞こえてくるような町だった。

 風に乗って潮の香りが鼻をつく。フレイヤは剣を背負って町を巡回していた。

 傭兵として町に雇われてからひと月ぐらい経っただろうか。同じような仕事にも飽きてきて、次の戦場を探しに町を出ようかと考えていた。そんな時だった。

 広場から何やらざわめきが聞こえてきた。フレイヤはまた酔っ払いが暴れているのかと思い喧騒へと急ぐ。

 フレイヤが雑踏を払いのけ広場の中心にやってくると一人の男がいた。

 男は旅人風の若造で業物の剣を腰に差している。歳は自分とそう変わらなさそうだが、顔つきには自信が溢れていた。

 女にしては体躯のいいフレイヤの存在に気づくと、町人たちが道を開ける。

 フレイヤが男に近づき口にする。

「なんだあ、お前は?」

 男はフレイヤの声に振り返ると、笑いながら手をあげた。

「俺はラウルという者だ。力試しがしたくて、この町で一番強い奴を探してまわっていたんだ」

 フレイヤは「バカだ、バカがいる」と言って、鼻で笑い飛ばした。フレイヤとラウルと囲む雑踏も笑い声をあげた。

 ラウルと名乗った男は笑いの渦中で腰の剣を抜いた。剣は聖剣で黄昏時の日の光を反射させ輝く。

「魔族は人間のように戦うと聞く。俺の剣がどれほどのものか、悪いが実験体になってくれ」

 フレイヤはとんでもないことを言い放つラウルに妙に惹かれることに驚いた。

 フレイヤは軽く肩をすくめる。

「勇者の真似事か。まあ、こんな時勢だ。ごっこ遊びにすがりたくなる気持ちも分かるぜ。だがよ‥‥町の外でやれ! 俺の仕事を増やすな!」

 フレイヤは啖呵をきって背負っていた大剣を抜いた。ラウルも聖剣を構える。殺意の間合いに雑踏がじわじわと後ずさる。

 フレイヤはラウルと対峙して驚いた。外見の軽薄さに反して、彼の構えは無駄がなく目つきも修羅場を知っている者の目であった。

「へえ、やる気だけは本物みたいだな」

 フレイヤがそう言った瞬間、ラウルが動いた!

 素早い剣撃が放たれる!

 だが、フレイヤは軽く受け流した。

「ふん、まだまだあ!」

 フレイヤは余裕な顔をしてみせ(思ったよりもやりやがる!)大剣を握る手に力を込めた。

「訓練とこんなにも違うのかっ」

 ラウルはそう叫び、再び剣を振りかざし攻撃を仕掛けてきた。

 その気迫に感心しながらも、フレイヤは力任せに思い切り剣を叩き返した。ラウルはバランスを崩し、後ろへ倒れ込む。その顔には悔しさよりも満足そうな笑みが浮かんでいた。

「ラウルとかいったか? 魔族はこんなもんじゃねえぞ」

 フレイヤは大剣を肩に担ぎながら言った。

 ラウルは地面に聖剣を突き刺し、敗者とは思えない微笑みを浮かべて手を差し出した。

「仲間になってくれ。俺に戦いかたを教えて欲しい」

「はあ? お前、正気か?」

 フレイヤは戸惑いながらそう言った。


 ───仲間? 


 フレイヤは戦士として天賦の才があった。しかし、そのせいで周囲から恐れられ、旅はいつも孤独であった。だから、手を差し出されたことも、仲間に誘われたことも初めての出来事だった。

 フレイヤは鼻先をかいて、少し考えてから口にする。

「俺に一撃でいいから当ててみろ。そしたら、仲間になってやるよ」



   ☆   ☆   ☆



 魔王城へと続く山道は霧が立ち込め、魔獣の気配が漂っていた。四人パーティーは緊張感を帯びながら進んでいく。

 突然、山崖から不気味な唸り声が響き渡った。

「待て‥‥何かいる」

 先頭のラウルが立ち止ると、フレイヤとソフィアは武器を構える。

 パーティーの頭上から巨大な影が飛び出してきた。それは、魔王の手下と思われる牙と爪を持つ魔獣だった。

 フレイヤが大剣を振り回して、前へと飛び出る。前衛で暴れることが彼女の役割だ。

 魔獣が唸り声を上げ鋭い爪で襲い掛かってくる!

「へっ! そんなもんかよ!」

 フレイヤは全身の出力を最大にして、すかさず大剣をぶつける!

 大剣に打たれた魔獣が体勢を崩し地面に吸い込まれる!

 瞬間、フレイヤは素早くその巨体の懐に潜り込み、勢いよく肘を突き上げる!

 胸の前、空いたスペースでフレイヤは剣を振り上げた!

 大剣の鋭い刃が魔獣の腹を斬り裂き、黒い液体が飛び散る!

「全然話になんねぇな!」

 フレイヤはさらにもう一撃、横に薙ぐように剣を振る!

 斬撃は魔獣の足を切り裂いた。魔獣は怒り狂いながらも前のめりに倒れ込む。

 しかし、魔獣は人間には不可能な動きで体を反転させた!

 そして、背中から生えた鋭い棘をフレイヤに向けて撃ち出した!

「しゃらくせえっ!」

 咄嗟にフレイヤは防御の構えを取ったが、全ての棘を防ぐことはできず、一本が彼女の肩を掠めた。

「フレイヤ、大丈夫か!?」

 後方で周囲を警戒していたラウルが叫んだ。

「大したことねぇよ!」

 フレイヤは肩を押さえつつも笑みを浮かべて立ち上がり構えを取った。

 その時、グロウスがフレイヤの一歩前に進み出た。グロウスの異形では言い表せられない巨大な体がゆっくりと魔獣に向かって歩み寄る。

 グロウスの歩みは重く、不気味だった。彼の青黒い筋肉が盛り上がり、爛れた皮膚が露出しているその姿はまるで化け物そのものだった。

 グロウスが近づくたびに魔獣は明らかに怯え後ずさりする。

「グロウス、どうする気だ?」

 後方のラウルが言葉を発する。さらに後ろからソフィアが不安そうに状況を見守っている。

 グロウスは問いに答えない。ただ、唸り声を上げながら両翼とも呼べる両腕を広げた。

 次の瞬間、グロウスは片腕で魔獣の首元を掴んだ。魔獣の巨体が地面から離れていく。魔獣がまるで布切れのように持ち上げられた。

「グロウス、やっちまえ!」

 フレイヤが嬉々として叫んだ。

 グロウスは低いうなり声をあげながら、魔獣を地面に叩きつけた!

 地響きと同時に魔獣は一瞬で動きを止めた。

 抜け殻になった魔獣の巨体が砕けた岩のようにひび割れる。

 死骸から湧き出る黒い霧がグロウスの足元にまとわりつき、まるで彼の一部であるかのように消えていった。

「相変わらず、とんでもねぇ怪力してんな」

 フレイヤは息をつきながら、グロウスの肩を軽く叩いて微笑む。

「ま、獲物の横取りは許さねえけど」

 フレイヤはそう口にしながらグロウスの足を蹴った。

 グロウスは反応を示さなかった。ただ、静かにフレイヤを見つめるだけだった。

 ラウルは頼もしい二人を微笑みで迎いいれ口にする。

「さすがだな。フレイヤもグロウスも」

 グロウスは答えない。フレイヤは大剣を背中の鞘に戻しながら答える。

「ラウルとソフィアじゃないと魔王は倒せない。消耗戦は俺たちに任せとけ、勇者さんよ」

 四人パーティーは魔王城へ続く道を往く。



   ☆   ☆   ☆



 最後尾を歩くフレイヤはグロウスの異形の背中を見つめ、彼との出会いを思い出していた。

 あれは、霧に包まれた廃村。フレイヤとラウルが二人で旅に出てすぐの出来事だった。

 二人が訪れた廃村は死んだように静まり返っていた。

 フレイヤとラウルが歩を進めるたび、地面に散らばる瓦礫が足元でざわめく。生きた人間の気配はない。

「人間どころか、生き物の気配すらしない。近くに魔物が出たなんて聞かなかったのに」

 ラウルが周囲を詮索しながら不安げに呟いた。

「なにも魔物だけじゃねえよ、お坊ちゃま」

 フレイヤは焼け残った家屋にいくつもの刃物の痕を確認していた。

 ラウルは目の前の悲惨な状況が、まだ人間の手による罪だということに気付いていない。

「‥‥酷いな」

 ラウルがそう口にした瞬間、フレイヤが叫んだ。

「動くなっ、何かいる!」

 フレイヤは鋭い目つきで周囲を警戒し、背負った大剣の柄を強く握った。

「何かって‥‥気配はしないが」

「馬鹿野郎! 直感なんかに頼んじゃねえっ! 節穴じゃねんだ、てめえの目で確認しやがれ!」

 フレイヤがラウルを叱責する。

 遠くとも近くとも言えない位置から低い唸り声が響く。

 突然だった───建物の影から異形の怪物が姿を現したのは。

 青黒く膨れ上がった筋肉に包まれた体。裂けた口からは鋭い牙が覗き。爪はまるで刃物のように光っている。

「こいつが村を‥‥くそっ!」

 ラウルが叫ぶと同時に、異形の怪物は猛然と突進してきた。

 フレイヤは咄嗟にラウルの前に立ちはだかり、大剣を振りかざして怪物の攻撃を受け止めた。

 重い衝撃がフレイヤを襲う。彼女は足を踏ん張り、攻撃を跳ね返した。

「っ‥‥かなりやる!」

 怪物の爪と大剣が火花を散らす。フレイヤは前足で怪物を蹴り飛ばし、距離を置いた。そして、唇を噛みしめ再び剣を構え直す。

「ラウル、下がってろ。こいつは俺がやる」

「でも、フレイヤ‥‥」

「いいから、下がれ! 今のお前じゃ、一秒ももたねえっ」

 フレイヤは大剣を振り回し「久しぶりの上物だな」と叫びながら怪物との距離を詰めた。

 異形の怪物は爪を振り上げて、落とす!

 フレイヤは寸前でそれを避け、反撃の剣を放つ!

 だが、怪物は怯むことなく押し寄せてくる。

 戦いは激しさを増していく。異形の怪力にフレイヤは徐々に追い詰められていく。

 爪がフレイヤの肩にかすり、血が滲む。

 しかし、フレイヤは攻撃をやめない。


 ───攻撃から殺意を感じない?


 フレイヤは攻撃止め回避に徹する。そして、異形の怪物から再び距離をとる。

 怪物は追撃してこなかった。間合いを保ったまま、静かなま眼差しでフレイヤを見つめるだけだ。

「殺すつもりはない‥‥か。フンッ、訳ありか」

 フレイヤは剣を構えたまま、異形の瞳をじっと見つめた。

 その瞳の奥には、微かに光を感じた。

 フレイヤは大剣を握る手を緩め、深く息を吸い込んでから叫んだ。

「一緒に来るか、怪物? 弱っちい勇者だがなかなか面白い奴だぜ」

 後方にいるラウルが慌てて声を張りあげる。

「フレイヤ、何を言ってる! そいつはこの村を‥‥」

「ばーか、村は人間の仕業だ。山賊かなんかだろう。こいつは滅びた村を根城にしていただけだ」

「何故そう言える?」

「さっきも言ったろ。自分の目で見たもんを信じろって」

 フレイヤは怪物に近づき、膨らんだ筋肉をコツンと叩いた。

「こいつは悪い奴じゃねえよ」

 異形の怪物の瞳がフレイヤを捉える。ほんの一瞬、柔らかく微笑んだように見えた。

「しかしっ」

 ラウルは剣の緊張を解こうとしなかった。フレイヤは呆れたように首を横に振る。

「ちっせえ器量のくせに、魔王を倒すなんて大口叩きやがる。怪物の一匹や二匹、本物だったら受け入れてみせろ」

 フレイヤの言葉にラウルは納得こそいかなかい表情だったが剣を下ろした。

「‥‥フレイヤがそう言うなら」

 フレイヤは「ニシシッ」と笑い、大きく頷いた。

「おっと、おめえの気持ちを聞かねえとな。こんな辺鄙な場所にいてもつまらねえだろ? どうだ、俺たちと魔王を倒す旅へと洒落込まねえか?」

 異形の怪物は怠慢な動作で、フレイヤに指輪を差し出した。

「ああん? なんだこれは」

 フレイヤが指輪を手にすると、リングの内側に『グロウス』という名前が彫ってあった。

「喋れねーのか? まあ、強けりゃなんでもいいぜ。よろしくな、グロウス!」

 フレイヤがそう言ってグロウスの肩を叩いた。

 しばらくの沈黙の後、グロウスは重々しい息を吐いた。その瞳に宿るのはどこか覚悟を決めた者の光であった。

「‥‥魔王を倒す旅だぜ。いいんだな?」

 フレイヤは指輪を投げ返しながら問いかける。指輪を手にし、グロウスは静かに頷いた。

 ラウルもフレイヤの隣に駆け寄り、警戒しながらこう口にする。

「その、なんだ‥‥よろしく頼む。共に魔王を倒して欲しい」

 こうして、異形の怪物であるグロウスがラウルとフレイヤの仲間として旅に加わることとなった。



   ☆   ☆   ☆



 魔王城に続く道は鋭い岩や死んだ木々が立ち並んでいた。

 ラウルとグロウスは前方で先導し、フレイヤとソフィアは少し後ろを歩いている。

 ラウルは随分とグロウスに懐いていた。旅が進むうちにラウルはグロウスのことを信頼していった。今では二人は出会いからは想像もできない関係を築いている。

 無口なグロウスもラウルを幾度となく守り、姿形こそ違えど二人は兄弟であり、親友でもあった。

 フレイヤは二人の関係をいつからかこう思うようになった。


 ───羨ましいな


 冷たい風が吹く中、ソフィアの声が耳にかかる。

「フレイヤ、もう少しね。長い道のりだったわ」

 ソフィアが穏やかな声で話しかけた。

「まったくだ。こんなことなら、お助け料として一億は請求しとくんだった」

 フレイヤはぶっきらぼうに応え、背負った剣を軽く叩いた。ラウルの背中が前方に見えるが、意識して見ないようにする。

「報酬なら約束するわ。魔王を倒してからもラウルの役割は終わらないんですもの」

 ソフィアはフレイヤの横顔をちらりと見つめながら言った。

「聖剣に選ばれた勇者と、それを導く聖女さま。お前らもめんどくせえもんせおっちまったな」

 フレイヤは冷静を装い笑ってみせたが、どこかぎこちない。


 ───俺はただの戦士。運命なんて感じたこともない


 ソフィアは美しい髪を揺らしながら神妙に口にする。

「ラウルにとってフレイヤの存在は本当に心強いはずよ。あなたがずっと彼を支えてきたんですもの」

「はっ、あいつを支えてんのはソフィアだろ? 俺はただの成り行きだよ」

 フレイヤは警戒する素振りでソフィアから視線を外した。

「ありがとう。私はラウルの役に立ちたいと思っているわ。でもね、フレイヤ。あなたほど近くにいられないの。あなたはいつも彼を守ため剣を振るっている。それって特別なことよ?」

 ソフィアは軽く笑みを浮かべたが、その言葉には意味以上の何かが含まれていた。

 フレイヤの胸がわずかにざわついた。ソフィアの声には有無を言わせない説得力があった。

「俺はただの剣さ。依頼されたから勇者を守るために尽くしているだけだ。別に特別なもんじゃねーよ」

「そうかしら?」

 ソフィアの声が柔らかく響くが、青く輝く瞳はフレイヤの真意を探るようだった。

「フレイヤがラウルを守る姿は、ただの仲間だけじゃないように見えるけれど?」

 フレイヤは動揺が顔に出そうになったが、すぐに押し殺して笑った。

「おいおい、何言ってんだ。ラウルは俺たちのリーダーだ。あいつを守るのは俺の務めだ!」

 フレイヤは乱暴な口調で言い返したが、ソフィアの言葉が核心に触れていることに焦りを感じていた。

 ソフィアは静かに微笑み追及を続けなかった。しかし、その瞳が何かを見透かしているのは間違いなかった。

「旅が終わったら、私はあなたと戦いたいの。正々堂々と、運命なんていうズルっこなしで。だから、私もフレイヤも死ねないわね」

 ソフィアはそう締めくくると、前方のラウルに視線を向けた。その眼差しはフレイヤも身に覚えのあるものだった。

 フレイヤはソフィアの言葉が気に喰わなかったが、心臓が音を鳴らしてしまっている。

 魔王城が近づいている今、感情を表に出すわけにはいかなかった。

「俺とソフィアが戦っても相手にもなんねえよ」

 フレイヤは荒っぽく言い放つと、それ以上何も話さなかった。



   ☆   ☆   ☆



 旅の途中、フレイヤは一度だけ死にかけたことがある。

 忘れ去られたように佇む小屋の中だった。

 フレイヤは異常な悪寒に侵され、起き上がれなくなっていた。

 かき集めた布に包まれたフレイヤをラウルが心配そうにのぞき込んでいる。

「大丈夫か、フレイヤ?」

「こんなのちょっとした風邪みてぇなもんだ」

 ラウルの問いにフレイヤは笑って答えてみせたが、顔は蒼白で目の下に窪みができていた。

 小屋の隅に立つグロウスが小さいうめき声をあげる。

「これはただの風邪じゃない。一種の呪いだ。くそっ、ルナフォスの花は荒野に咲かない」

 ラウルは険しい表情を浮かべた。

「‥‥なんとなく知っていた。俺はもう駄目だってな。フフッ‥‥戦いの果てがこんな小屋だとは」

「フレイヤ、ふざけるな! お前をこんなところで失ってたまるか!」

 フレイヤは意識が落ちていくのを感じていた。全身の力が抜けて、頭から言葉が消えていく。

「フレイヤ! 諦めるな! 俺を感じろ!」

 ラウルがフレイヤを抱きしめ温める。しかし、フレイヤの体温は急速に失なわれていく。

 それから、フレイヤは夢を見ていた。

 ロクデモナイ両親に捨てられ、ロクデモナイ傭兵に拾われ、ロクデモナイ戦場を駆け巡り、ロクデモナイ殺し合いをしてきた、そんなロクデモナイ夢だった。

 しかし、最近は悪くなかった。

 小遣い稼ぎに受けた港町の守衛をきっかけに、ラウルと出会い、ロクデモナイ世界を救う旅に出掛けたのだ。

 ロクデモナイ俺が勇者のお供をするなんてな。

 ラウルは‥‥まあ、良い奴だったよ。

 剣はまだまだだし、状況を冷静に分析できねえし。

 すぐ聖剣に頼るし、身の丈に合わねえ人助けをして死にかけちまうし。

 俺がいなかったらラウルの命はいくつあっても足りねえ。

 俺がいないと‥‥‥なんて、誰かに思ったことなかったのにな。



 フレイヤが目を覚ますと、ラウルは手を握りしめ涙を浮かべていた。

「助かった‥‥‥本当に、助かったんだ」

 ラウルはほっとしたように呟いた。

 フレイヤはゆっくりと体を起こした。まだ体は重かったが、死の淵から帰還したことをすぐに自覚する。

「俺、生きてんのか?」

 フレイヤがかすれた声で尋ねると、ラウルは笑顔で頷いた。

「グロウスがルナフォスの花を採ってきてくれたんだ。俺はフレイヤに声をかけるだけで、何もできなかった」

 フレイヤはラウルの手を握り返す。

「そんなことねえよ。ラウルの声、ずっと届いていたから」

 ラウルはフレイヤを抱きしめ「本当に良かった」と確かめるように口にした。

「‥‥やめろって。恥ずかしい」 

 異形のグロウスもどこか安心したように唸り声をあげた。


 こんな風に誰かに必要にされたことが初めてで───



 それから、一ヶ月後。

 帝都で囚われていた聖女ソフィアを助けた。



   ☆   ☆   ☆



 魔王城が目の前に迫っていた。

 城からは不気味な黒い霧が漂い、空は血のように赤く染まっていた。ラウル、ソフィア、フレイヤ、そしてグロウスは無言でその光景を見つめ、次に起こる何かを覚悟していた。

「ここまで来たんだ。もう後には引けねぇな」

 フレイヤが低く呟いた。大剣を握り締め、険しい顔で前を見据える。

「そうだ。ここが最後の戦いだ」

 ラウルが頷きながら、前方に視線を送る。ソフィアも聖杖を握りしめ、肩で息を吸う。

 瞬間、突然の轟音が響き渡った。

 地面が揺れ、パーティの四方から魔物の大軍勢が押し寄せてきた。魔王軍が彼らを待ち構えていたのだ。

「くそっ、待ち伏せか!」

 ラウルが聖剣を構えて前に立つ。

「この数じゃ、まともに戦ってたら時間がかかりすぎるわ。ラウル、私たちは先に行くべきよ。魔王を倒さないと軍勢も止まらない」

 ソフィアが冷静に状況を見極めそう言った。

「しかし‥‥‥」

 ラウルは戸惑ったが、ソフィアの言葉に納得せざるを得なかった。魔王を討つことが、この戦いの目的だからだ。

「お前らは先に行け。雑魚は俺がもらうぜ。傭兵稼業は数をこなさなきゃ儲けられねえからな」

 フレイヤが決意が込めて言った。

「何を言ってるんだ、フレイヤ?」

 ラウルが驚き言い返す。

「見て分かんねぇのか、この数だぞ。全員でこいつらと戦ってたら、魔王にたどり着く前に力尽きちまう。だから、俺がここで食い止める。お前らは魔王を倒してこい」

 フレイヤは覚悟を決めていた。なんとなくこうなることは予感していた。

「フレイヤ、それじゃお前が」

 ラウルはフレイヤの意図を理解し声が震えた。

「これも運命さ!」

 フレイヤは笑みを浮かべたが、それはいつもの無鉄砲な笑みとは違った。

 覚悟を決め、全てを笑い飛ばす強者の笑みであった。

 ラウルは言葉を失った。フレイヤの決意の重さが痛いほど伝わっていた。フレイヤが本気でここに残り、戦うつもりなのは明らかだった。

 ソフィアが青い目を伏せてこう口にする。

「ありがとう。あなたの覚悟、無駄にはしないわ。でも、これだけは覚えておいて。本当の戦いは‥‥帰ってからよ。だから、絶対に、勝手に、死んじゃいけないわ」

 フレイヤは「お前には敵わねえよ」と呟き続ける。

「礼なんていらねぇさ。さっさと行け。ラウル、お前は勇者だ。魔王を倒すのが、お前の使命だろ?」

 フレイヤはぶっきらぼうに言い放った。それがいつもの彼女だった。

 ラウルは拳を握りしめ、悔しそうにうつむいたが、最後に強く頷いた。

「絶対に魔王を倒す。約束だ。だから、フレイヤ‥‥お前も死ぬな」

「よし、そうこなくっちゃな」

 フレイヤは笑った「行け、ラウル」って言いながら。

 ラウルたちはフレイヤに背を向けて魔王城へ向かう。

 背中が見えなくなるまで、フレイヤはその場に立ち尽くしていた。

 フレイヤは魔王軍の大軍を前に、深く息を吸い込んだ。

「さてやるか‥‥来やがれ、ロクデナシども! 俺が相手だ!」

 フレイヤは剣を構え、迫り来る敵勢を見据えた。

 その時、フレイヤの後ろで静かにうなり声が聞こえた。振り向くと、そこにはグロウスが立っていた。

「お前までここで死ぬ必要はねぇだろ」

 フレイヤは呆れたように言ったが、グロウスは一歩も動かなかった。

 グロウスはただ、じっとフレイヤを見つめていた。彼から感情が読み取れないが、その行動は明確だった。グロウスはフレイヤと共にここで戦うつもりだ。

「ったく、こいつめ」

 フレイヤの心にわずかな安堵が広がる。

 グロウスは低いうなり声を上げ、巨大な両翼ともとれる両腕をゆっくりと空へ掲げる、祈るように。

 二人は横並びに立ち、迫り来る魔王軍の大軍に向かって構えを取った。

「ま、悪くねえ。二人で地獄をぶち抜こうぜ、グロウス!」

 フレイヤはそう叫び、剣を振り上げた。

 こうして、フレイヤとグロウスは命を懸けた最後の戦いに突入していった。



   ☆   ☆   ☆



 フレイヤが目を覚ます。視界はぼやけ、頭が重かった。全身が痛む中で少しずつ意識を取り戻していく。

 何か硬くて冷たい感触が伝わる。ふと自分が誰かの腕の中にいることに気づき、顔を上げた。

「グロウスか?」

 フレイヤの声はかすれていた。

 フレイヤはグロウスに抱えられていた。グロウスの青黒い体は傷だらけで、呼吸も乱れていた。

 しかし、グロウスは生きていた。

「お前も運がいいな」

 フレイヤは小さく笑みを浮かべる。そして、痛む体に鞭を打ちようやく立ち上がると、周囲の光景が目に飛び込んできた。

 そこには、魔王軍の死体が地表を埋めるほど転がっていた。血の匂いが漂い、地面は黒く染まっている。砕けた鎧、折れた武器、そして無数の魔物たちの亡骸。

「これ、俺たちがやったのか?」

 フレイヤは息を呑んだ。グロウスと二人だけで、この圧倒的な数の敵を壊滅させたという現実が信じられなかった。 

 グロウスはゆっくりと頭を動かし、フレイヤを見つめた。その目にはいつものように感情はないが、全力で戦い、生き抜いたことを教えてくれる。

「グロウスが一緒にいてくて良かった」

 フレイヤはそう言って、グロウスの肩を叩いた。

「戦いは‥‥‥もう終わりだ」

 フレイヤは剣を地面に突き立て、両手でその柄を握りながら大きく息を吐いた。

「さあ、行こうぜ。結末ぐらい見届けてやらねえとな」

 グロウスは静かに頷き、フレイヤの隣で立ち上がった。

 二人は疲れた体を引きずりながら、ゆっくり町へと歩き始めた。




 フレイヤとグロウスが町にたどり着く。拠点にしていた町の入り口には大勢の人々が集まっていた。

「って、お前がいちゃあ軽々しく町にも入れねえな」

 フレイヤは異形の見た目をしているグロウスを連れ、町の裏手にまわるため迂回する。

 その時、大きな喝采の声が響き渡った。


「おい、見ろよ! ラウル様とソフィア様が帰ってきたぞ!」


「やっぱり魔王を倒してくれたんだ! あの二人が俺たちを救ったんだ!」


 人々の歓声が湧き上がり、フレイヤは足を止めた。

 離れた場所にラウルとソフィアが立っていた。彼らは凛々しい姿で、肩を寄せ合いながら、群衆に向かって手を振った。人々はその姿に歓声を上げ、勇者と聖女の帰還を讃えていた。

「戦うまでもねえな‥‥‥」

 フレイヤはそう呟き、二人の姿を見つめていた。

 ラウルは英雄になった。魔王を倒し、世界を救った勇者として、人々を導く義務がある。そして、その隣にはソフィアがいる。彼女もまた聖女として人々を導く義務がある。


 ───二人はまるで元から一つの存在に思えた


 フレイヤはゆっくりと拳を握りしめた。

 この先、ラウルの隣に立ち入ることはできないと悟ってしまったのだ。

「そりゃそうか‥‥うん、そりゃそうだろう」

 フレイヤは冷静に、しかし心の中に痛みを感じながら背負った大剣に触れた。

 フレイヤは一歩退き、目立たないように背を向けた。

「ま、いいさ。俺の役目は終わった。報酬はそれで十分だ」

 フレイヤは自嘲気味に笑った。ふと横を見ると、グロウスが黙って隣に立っていた。

「行くぞ、グロウス。お前が静かに暮らせる場所でも探しに行こうぜ」

 フレイヤは弱さを誤魔化すように言った。

 グロウスも無言で頷いた。

 二人はそのまま歓声から遠ざかるように歩き出した。



   ☆   ☆   ☆



  花畑

  季節を忘れ

  色彩に満ちる


 フレイヤとグロウスは花畑を歩いていた。

 行く先もなく、目的もはっきりとしない。けれど、それが今のフレイヤにとっては心地よいものだった。

「さっぱり分かんねぇな‥‥」

 フレイヤがぼそりと呟いた。その言葉は穏やかさで満ちていた。

 その時、ふとグロウスの体が光を放ち始めた。最初は微かだったが、次第にその光は強くなり、全身を包み込むかのように輝き始めた。

 フレイヤは慌てて立ち止まり叫び声をあげる。

「グロウス! なんだこれは!?」

 グロウスの異形の姿が徐々に変わっていく。

 青黒い皮膚が淡い光の中で剥がれ落ち、代わりに人間の肌が現れた。

 角も爪も縮み、歪んだ顔は次第に整っていった。

 そして、グロウスはかつての人間の姿に戻っていく───静寛な面持ちの男の姿へと。

 光が落ち着くと、グロウスが立っていた場所に佇むのは影のある静かな表情を持つ男だった。

「お前、誰だ?」

 フレイヤは混乱し、思わず問いかけた。

 男はゆっくりと目を開き、低い声で答えた。

「グロウスだ。魔王を倒したことで、俺にかかっていた呪いが解けたらしい」

「おいおい、冗談だろ?」

 フレイヤは目を細め、人間になったグロウスの顔をまじまじと見つめた。

 長い黒髪を風に舞わせて、冷たさを感じる整った顔立ち。

 何より、グロウスはフレイヤよりも大きかった。

 大女とからかわれ育ったフレイヤでも、グロウスの肩ぐらいしか身長はなかった。

「本当の本当にグロウスなのか?」

「本当だ。お前に嘘はつかない」

 グロウスは軽く微笑んだ。その仕草はどこかぎこちなかった。

「これ以上、俺の頭の中をごちゃごちゃにするな!」

 フレイヤは納得いかない様子で腕を組み、眉をしかめた。

「かつて、俺は魔王に呪いをかけられた。諦めていたんだがな‥‥まさか、魔王が討たれたことで呪いが解けるなんて」

 グロウスは静かに言いながら、自らの手を見つめた。

 フレイヤはふと、これまでの戦いを思い返す。

 魔王軍との激戦の中、フレイヤが危機に陥った時、グロウスは必ず守ってくれた‥‥気がする。

 頭が勝手に思い描いたグロウスの姿は、フレイヤがラウルを守る姿と重なっていた。

「グロウス、どうして俺を‥‥?」

 フレイヤは思わずそう言った。

「当然だろう。異形に変えられ、孤独に彷徨っていた俺をフレイヤは助けてくれたんだ」

 グロウスはいつもの感情の読めない瞳をしていた。

「俺は助けたつもりは‥‥‥」

「フレイヤ、今度は受け取ってくれないか?」

 グロウスは聖騎士のように膝をつき、フレイヤに輝く物を差し出した。


「この指輪を」


 リングの内側に『グロウス』と彫ってある指輪だった。それは、フレイヤが一度受け取って、すぐに返したものだ。

 フレイヤは「え?」「あ?」「はあ?」とあたふたと身振り手振りで意味不明な動きをしてから、なんとか言葉を絞りだす。

「お、お、お‥‥俺に勝ったら受け取ってやる!」

 フレイヤの目の前で膝をつくグロウスはクスクスと笑い、ゆっくりと立ち上がった。

「お前に勝つのは骨が折れる。この体が馴染むまで、時間をくれないか?」 

 二人の目が合う───フレイヤの胸の鐘が静かに響いた。

「ほんと、変わったな」

 フレイヤが言った。

「お前と出会って変えられたんだ」

 グロウスは穏やかに答えた。


 しばらくその場に立ち尽くす。


 風が吹き抜ける花畑の中。


 フレイヤは照れくさそうに口を開く。


「これからも一緒に旅するんだろ?」


「そうだ」


 そして、二人は再び歩き始めた。


 旅は続く───彼女が素直になるまでのほんの短い間まで。





アニメ『勇者アベル伝説』にでてくる女戦士デイジィが好きです。

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