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第7話 母と少年

 娘が見知らぬ男子と、ゆきずりの関係になろうとしていると勘違いした母は、やや声を上ずらせながら私たちの間に割って入って来た。

 一人の大人として、娘の母親として、何とか冷静さと威厳を保とうとしている様子がそこかしこに窺えた。


「そちらのかたは、いったいどなたなの?」

「えっと、彼は、その……」


 私は咄嗟に握りしめていた少年の手を放して、何かひねり出そうとした。

 そして、うろたえきった私と猜疑心に溢れた母の、おかしくなった雰囲気を打開したのはあの少年だった。


「初めまして。僕、日野颯と申します。先ほど船上でお会いした星野さんに困っているところを助けてもらって、今話を聞いてもらっていたところなんです」


 先に口火を切った少年に続いて、私もすかさず畳みかけるように補足する。


「そう、そうなのよ。日野君とはさっき展望デッキでばったり再会して、お話ししてたところなの」


 朗らかに自己紹介した少年に対し、私の方はやや弁解がましくなったものの、一応話の筋を通すことができた。


「そ、そうなの? えっと、二人は学校のクラスメートとか何かかしら?」


 成る程、そう受け取るのが自然だろう。

 私が再会したと言ったことで、母の中で選択肢が絞られたわけだ。

 余計なことは隠しておかなければいけないが、この先母の協力を得なければ少年の身動きが取れないことを勘案し、ある程度まで本当のことを話しておくことにした。


「お母さん、日野君はクラスメートとかじゃないの。あの湖に落ちた時に私を助けてくれた人なの」

「本当なの!?」


 母の態度が一変した。

 さっきまでの、大人としての威厳を保とうとしていた感じが消し飛んで、大泣きしながら何度も少年にお礼を言った。


「あなたがこの子を……なんとお礼を言ったらいいか」

「いえ、僕の方こそ星野さんには親切にしていただいて、本当に感謝しております」

「お母さん、彼、お姉さんを訪ねて一人旅してるんだけど、私を助けた時に湖に財布を落としちゃったらしくて困ってるの。それでさっきお腹を空かせてた日野君に夕ご飯を食べてもらってたの」

「そうだったの……知らなかったとはいえ、娘の恩人がそんな大変な状況に陥っていた時に、私たちは観光地を周っていたなんて……」


 元々義理堅い母は、胸に手を当ててまたポロポロと涙を流した。


「船が着いたら、お姉さんのいるところまで送らせてもらいますね。それまではせめて私たちと一緒にいて下さい」

「いえ、もう十分星野さんには親切にしていただきましたので、これ以上は……姉を探すのは自分で何とかしますので」


 少年はそう言っているけれど、船を降りてからお金を持たせて分かれたとしても、姉の所在が分からない現状ではどうしようもないはずだ。さっきババ様とも連絡がつかないと言っていたことだし、このままではどう見ても世間知らずの少年を見捨てる感じになってしまう。

 何かいい方法はないのだろうか……。


「ねえ、日野君、自宅の住所なら分かるよね」

「うん。勿論だよ」

「じゃあ、手紙を書いたら? ババ様に手紙を書いて返事をもらったら、お姉さんの居場所も分かるんじゃない?」

「すごい! やっぱり星野さんは頭脳明晰だね」


 また盛り上がり始めた。ちょっと母の前ではやめて欲しかった。

 そのあと、少年がただ単に財布を落としてしまっただけではないことを母に話して協力を願い出ると、母はそう言うことならと、理解を示してくれた。


「とりあえず手紙を書いて、そのババ様からの手紙を待ちましょう。お姉さんの住所がわかったら私が日野君を送ってあげるから。日野君はその間、うちに泊まってくれたらいいからね」

「いえ、そんな、見ず知らずの人にそこまで親切にしていただくわけには……」

「いいえ、そうさせてください。もしここであなたを行かせてしまったら、私もこの子も気になって眠れなくなるわ。それに……」


 母は、私の方にチラリと視線を向けた。なんだかちょっと目つきがいやらしい。やはりちょっと日野君と私のことに関しては誤解しているみたいだ。


「なんだか二人とも意気投合してるみたいだし、もうちょっと親睦を深め合ってもいいんじゃないかしら……」


 言葉の最後にフフフと口元に笑みが浮かんだのに、私は気付かないふりを決め込んだ。

 何だか顔が熱くなってきて黙り込んでしまった私とは反対に、少年はまた朗らかにパッと顔を輝かせた。


「はい。星野さんにさっきお友達にして頂いて、実はもっと親睦を深めたいと思っていたんです。まさかお母様に心の内を見透かされていたなんて……」

「まあ……」


 母は頬に手を当てると、少女のように顔を紅く染めて目をキラキラさせた。

 こういった胸キュンな展開はこの世代にとってたまらないのだろう。


「じゃあ、決定ね。日野君、紗月をお願いしますね。紗月も日野君のこともてなしてあげるのよ」

「お母さん、誤解しないでね。そんな感じじゃないから」


 そして母は私の耳元に口を近づけてそっと囁いた。


「いいのよ。上手くやりなさい。お母さん全力で応援するね」

「いや、そんなんじゃないんだから……」


 誤解してくれたおかげで余計に話がスムーズにいった。

 はっきり言って、これでいいのだろうかと、思わずにはいられなかった。

 日野君が母に気に入られたのは間違いない。

 少年の行き過ぎなくらいの純真さと礼儀正しさに、母はちょっとやられてしまっているように見えたのだった。


 翌日の午後、フェリーは茨城県の大洗港に到着した。

 少年を車に乗せて下船した後、そのまま私たちは千葉の自宅に向かった。

 母の運転するミニバンの後部座席で、少年は目を輝かせて感動していた。


「すごい。まさか車に乗る日が来るなんて」


 運転していた母もそれを聞いて驚いていたが、私もそんな人が世の中にいたのだと助手席から少年を振り返った。


「え? 日野くん車に乗ったことないの?」

「うん。島は道が整備されてなくって、車は走っていないんだ。噂に聞いてはいたけど、こんな感じなんだね」

「噂って、見たこともなかったってこと?」

「テレビではあるよ。ババ様から昔乗ったことがあるって聞いてたけど、こっちに来て実物を見た時は興奮しちゃった」


 どんな秘境なのだろう。日野君というより、この日本でそんな場所がまだあること自体が信じられなかった。

 母もその話を聞いて黙ってられなかったのか参戦してきた。


「島って、なんて島? どの辺りにあるの? 大きさは? どれぐらい人が住んでるの?」

「お母さん、そんなに一度に質問しないで」

「あ、ごめんなさい。日野君がやり易いように紹介してね」

「えっと、島の名前は日隠島ひがくれじまって言います。場所はおおよそ九州の最南端からずーっと南西に行ったところです。大きさは歩いて一周すれば、だいたい八時間くらいでしょうか」

「自然豊かないい所なんでしょうね」

「はい。それはもう。今はあんまり人は住んでいなくって、島民はだいたい八十人くらいです」


 ざっと島のことを語った少年の話のあと、さっき聞いたことを私は補足しておいた。


「学校で同学年は彼だけなんだって」

「そうなの!?」


 少年はやや照れ笑いを浮かべて、母の驚いた感じを受け止めている。


「小中高と同じ校舎なんです。僕の他には七人しか生徒がいなくって……」


 成る程、世間に擦れていないわけだ。擦れようにもそんな機会などないだろう。しかし日野君の、このお日様のような無邪気さは、環境のせいだけでなく天然のものに違いない。

 私は島で彼がどんな生活を送っていたのか知りたくなってしまった。


「それで日野君は島ではどうやって移動していたの? 自転車とか?」

「自転車はそもそも持っていなかったんだ。坂が多くってあんまりみんな使わないんだ」

「じゃあ、移動は歩きってこと?」

「うん。自分の脚で。それと……」

「あ、そうか、日野くんは空を……」


 咄嗟に言いかけて、慌てて口を塞いだ。

 秘密だと言っていたのに、早速母に聞かせてしまうところだった。


「へへへ、まあ、そういうことです」

「じゃあ、乗り物は乗ったことないってこと?」

「ううん。昨年ババ様が電動アシストつき自転車を買ったんだ。その後ろに乗せてもらったよ」

「ちょっと待って、ババ様って九十九歳って言ってたよね。その歳でまだ自転車に乗ってるわけ? いやその前に、そのババ様の後ろに乗せてもらおうっていう日野くんの感覚もすごいね」

「あ、そういえば二人乗りはダメだよね」


 またズレてる。なんだかこのパターンになるのに慣れてきた。


「いや、そうゆうんじゃなくって、もっと根本的なこと。お年寄りの運転する自転車ってどうなのかなって」

「僕にはわからなかったけど、ババ様はスイスイ進むって喜んでた。飽きるまで毎日乗ってたな」


 話は噛み合わないものの、噛めば噛むほど味が出る高級なスルメイカのように、少年の話は私の好奇心を引き出していった。

 今年の夏休みはなんだか楽しそう。

 姉探しで困っている少年には申し訳ないが、そう思ってしまったのだった。

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