第6話 やらかしていたのは
謎に満ちた空を飛ぶ少年、日野颯は、九州から南西部に行ったところにある小さな島から、夏のあいだ北海道にいるはずの姉を訪ねて旅立った。
しばらく連絡も寄こさず、帰省もしない姉のことを、先ほど話に出て来たババ様がたいそう心配していたので、少年がその役を買って出たのだという。
本当は島と島を自力で飛行して本州まで渡り、新幹線に乗るつもりだったらしい。
しかし、天候の悪化で墜落しかけた少年は、近くを航行していた船に乗った。
船が進路をとっている方角が、自分が行こうとしている方角と同じだったので、しばらく乗せてもらうことにしたのだった。
何時しか眠ってしまっていた少年は目が覚めて慌てた。
太陽の向きでおおよそ間違った方角に行っていないことだけは分かったが、このままこの船に乗っていたらどこに行きつくのか分からない。
かといって、船員にどこ行きの船かを聞くわけにもいかず、近くを航行していたフェリーまで飛んだのだという。
客船ならば、行先はすぐにわかるだろう。そう思い、乗り込んだ船はなかなか快適で、少年は生まれて初めて船旅の楽しさを知ったのだった。
それからもう一つ客船を乗り継いで北海道まで行ったのだという。
そこまで話を聞き終えて、私はとんでもないことに気が付いた。
「日野君、あなた、ひょっとして無賃乗船してない?」
「えっと、その……はい。なりゆきで……」
「駄目じゃない」
「はい。ごめんなさい……」
乗船時にチケットを見せる客船は、一度乗り込んでしまえば誰も確認したりはしない。航行中の船に乗船できる少年はいわば乗り放題と言えた。
「まあ、いいです。でも帰りもこうしているってことは、また途中から乗って来たってこと?」
「はい……面目ない……」
相当反省しているみたいだ。ここは命を助けてくれたのに免じて見逃してやることにしよう。
「まあいいわ。お財布落としたって言ってたし。それでお姉さんに会って用事は済んだってこと?」
「いや、それが会えなくって」
「え? どうして?」
「合宿で洞爺湖の湖畔に今の時期はいるってババ様から聞かされていたんだけど、いなくって」
「どうして? お姉さんになにかあったとか?」
「いや、ただ単にババ様が勘違いしていたみたい。いなかったってババ様に電話したら、間違えたって言ってた。洞爺湖の合宿に出ていたのは大学にいた時だったって。春に卒業したから、そこにいないのは当たり前だったって」
「あちゃー。ひどい話だね。ババ様ってお幾つくらいのかたなの?」
「この前九十九歳の誕生日をしたんだ。来年で一世紀だよ」
何だかおめでたい感じの歳だった。しかしこの少年との歳の離れ方が半端ない。祖母ではないだろう。曽祖母? はてまたその上か。
「それじゃあ仕方ないわね。いや、それでもまだしっかりしてる方よ。それで、お姉さんは?」
「うん。姉は大学を卒業して就職しているから東京にいるんだって言ってた」
「そうか、大変だったんだね。あ、でもそのおかげで私は助かったわけだし、良かったとも受け取れるのか……」
ババ様のうっかりはひど過ぎるけれど、そのうっかりがなければ今頃私は……。
溺れ死にかけたのを思い出して、またゾッとしてしまった。
「えっと、日野君の話に出てくるババ様は親代わりだって言ってたよね、聞いていいのか分からないけどご両親はどうされてるの?」
「父は僕が生まれてすぐに亡くなって、母は僕が五歳の時に亡くなったんだ。それからはババ様が親代わりなんだ」
「ごめん。余計なこと聞いて、あの、私もお父さんいないんだ。交通事故で亡くなったから」
少年の表情が陰った。同じような痛みを持つ者だけが共感する何かを感じた、そんな表情だった。
「あの、気にしないでね。私ももう慣れたから、平気だから」
「うん……」
そして少年はまたニコリと笑みを浮かべた。
「ババ様はしょっちゅうあんな感じなんだけど、星野さんを助けられて良かった。ババ様に感謝だよ」
「日野君はプラス思考なんだね。私も見習おうっと」
「いや、僕に見習う所なんてないよ。星野さんみたいに頭もよくないし」
「いや、私、全然賢くなんかないよ。日野君の思い違いだよ」
「またまた、でもまあそう言うことにしておくね」
「ほんとだって……」
また買い被られて、恥ずかしさを感じたものの、ちょっと話が弾んでいることは歓迎していた。
「それでお姉さんの所に行くんだよね。東京のどの辺りに住んでるの?」
「えっと、それは……」
「なあに? 忘れちゃったの?」
「いや、メモしておいたんだけど、ちょっと……」
「無くしちゃったとかなら、またババ様に教えてもらったら?」
「いや、うん……」
どうも様子がおかしい。かなり深刻そうな感じになってしまった少年に、ただならぬものを感じた。
「何か困っているんなら言ってみて。私にできることなら協力するよ」
「うん、ありがとう……」
深刻そうな感じは変わらないものの、やがて少年は口を開いた。
「姉がいないことをババ様に公衆電話で連絡した後、東京の住所を教えてもらってメモしておいたんだ」
「公衆電話って、携帯持ってないの?」
「うん。持ってない。ババ様は固定電話を解約して昨年から携帯電話を持ってるけど」
「まあ、ババ様の携帯電話の話はいいから、それで?」
「その住所のメモを財布にしまっておいたんだけど……」
「フンフン」
「それから、あの湖で君が溺れているのに気付いて、飛び込んだときにズボンのポケットに入れていた財布を落としてしまったらしくて……実はババ様の携帯番号のメモも財布に入れてあって……」
「フンフン、なるほど……」
少年の話を頭の中で整理しながら聞いていた私は、突然、脳天に雷が落ちたかのようにその事実に気付いた。
私のせいだった!
一瞬頭の中が真っ白になった。
腹ペコで彷徨わせたのも、姉の住所を紛失したのも、ババ様と連絡がつかないのも、全部私のせいだった。
「ごめんなさい。そんなこととはつゆ知らず、失礼なことばかり言って」
「いえ、こうしてご飯も食べさせて貰って、星野さんには感謝以外ありません」
「恥ずかしー。私ったら日野君の事情も知らずに無賃乗船してるとか言っちゃってた。本当にごめんなさい。もう思い切り罵って下さい」
「いや、星野さんを罵るなんて、バチが当たっちゃうよ」
いや、バチが当たるとしたらきっと私だわ。間違いない。
こうなったら少なくとも姉を探し出すまでは少年に手を貸すしかない。
それでもまだ借りを返すには足りなさそうだが、今はそのくらいしか思い浮かばなかった。
「それでお財布を無くして、あれから二日間も何も食べてなかったわけ?」
「いや、リュックに入れてた学生証の入ったケースに千円だけ入れてたから、それで食いつないで……」
自慢ではないが想像力は豊かな方だ。私を助けたあと、途方に暮れながら二日間を送っていた少年の姿を、ありありと頭に思い浮かべてしまった。
「ホントごめんなさい。日野君、今はまだ名案が思いつかないけれど、お姉さんを探し出すのを手伝わせて。お願いします」
「そんな、星野さんにこれ以上迷惑を掛けるなんて」
「全然迷惑じゃないから。お願いだから日野君の力にならせて」
そしてとっさに彼の手を両手で握りしめていた。
その時、絶妙なタイミングで背後から声を掛けられた。
「紗月……ここにいたのね……」
「お母さん!」
「どういうことなのか詳しい話、お母さんに聞かせてくれないかしら」
娘がゆきずりの男子とちょっといい感じになっている。見た感じまさにそうなっている状況で、母は何とも言えない視線を私と少年に向けていた。




