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第43話 白く輝く巨大な鳥

 少年はその視界に、すでに滑空状態にあるオーバーソニックを捉えていた。

 下降気流に巻き込まれてしまったせいで機体はかなり高度を下げてしまっていた。放っておけば失速して海上に墜落するのは時間の問題だろう。

 少年は高速で飛行しつつ、通信機から聞こえてくるババ様の指示に集中していた。


「颯、よくお聞き、今から最後の作戦に入る。まずオーバーソニックの前に出てギリギリまで近づくんだ。それから、重力の膜を形成してけん引気流を作るんだ」

「けん引気流?」

「この前、あのおじいさんの家でおばばが話したやつだよ。飛行機の前で気流を作って機体の揚力を稼ぐんだ。オーバーソニックの形状を理解しているお前ならできる筈だ」

「そうだね。僕ならどうすれば効果的に揚力を生み出せるか解るよ」

「いい返事だね。あとは重力の膜を作り出してそれを維持できるかだよ。最新型の機体と言っても、相当な大きさだ。颯の生み出す最大の大きさの膜を維持しつつ、飛行速度を調整しないといけない。出来るかい?」

「うん、やってみるよ」


 少年はそのままオーバーソニックの先端に向かった。

 そして先端から僅に一メートルほどの間隔を取って、飛行速度を合わせる。


「ここからだ」


 オーバーソニックの全体像は頭の中に入っている。

 揚力を最大限に引き出すけん引気流を生み出すには、相当な大きさの膜を広げる必要がある。

 ここからは少年にとっても未知の領域だった。

 巨大な重力の膜を作り出し、それを持続させたことなど一度も無い。

 滑空した状態のオーバーソニックを安全に着陸させるためには、少なくともここから高度を落とさずに、三十分は飛行し続けなければならない。

 本当にそんなことが出来るのだろうか。

 人間一人の力で、こんな巨大な機体を安全圏まで運ぶことが、果たして可能なのだろうか。

 体が小刻みに震えている。

 どうしても止められない。

 ガチガチと歯が鳴っている。

 臆病者が鳴らす本当に嫌な音だ。

 そう思っても、その音は鳴りやまなかった。


「日野君」


 その声を聴いて、少年の心がスッと軽くなった。


「日野君、聞こえる?」

「うん。聴こえてる」

「声、少し震えてるね」

「うん、実は怖くって……」


 素直にそう口にすると、また少し心が軽くなった。


「そうだよね。きっと怖いよね。実は私もそうなんだ」

「星野さんも?」

「うん、日野君がちゃんと帰ってくるまで、きっと心配してしまうと思う。でも日野君は大丈夫だって信じてる自分もいるんだよ」

「僕が、大丈夫?」

「うん。きっと日野君は大丈夫なんだ。どうしてだかわかる?」

「ううん。教えて」

「それはね……」


 そして少年は、次の少女の言葉で心を震わせた。


「日野君のいるその青い空は、元々あなたものだから」

「僕の……もの……」

「その世界でなら。あなたは何でも成し遂げられる。私はそれを知っているの」


 顔を上げると、どこまでも青く果てしない空が広がっている。

 そこは少年は飛び続けた果てしない世界。

 少女は少年にそのことを思い出させたのだった。


「君はこの青い空という舞台の主人公なんだよ。この物語はきっと日野君が望んだとおりになる。だから自信を持って」

「ぼくが望んだとおりに……」

「そうだよ。きっとみんな笑ってエンディングを迎えられる。日野君がそうしてくれるんだよ」


 少年はきつく唇を結んだ。そして、まるで少女がそこにいるかのように微笑んだ。


「ハッピーエンドだね。じゃあ、最後にヒロインの星野さんを迎えに行かないと」

「うん。迎えに来て」

「わかった。必ず君を迎えに行くよ」


 少年の体の震えはいつの間にか止まっていた。

 そして少年は目に見えない大きな翼を作り、空を飛ぶのだ。

 その後ろに、白く輝く巨大な鳥を従えて。


 管制室で、祈る様にモニターを見つめていた私は、今その瞬間に立ち会っていた。

 レーダーで状況を監視していた管制官が、ひときわ大きな声で宣言した。


「オーバーソニック、安全領域に入りました!」


 管制室内がどよめいた。

 そう、少年はとうとう、滑空のみで安全に着陸できる領域まで、オーバーソニックをけん引したのだった。

 海上での墜落を回避した、ここにいない少年に、誰もが惜しみない拍手を送った。


「フサエさん、ありがとう。ありがとう」


 ババ様の手を取って涙を流していたのは、あのおじいさんだった。


「私は何も。礼は颯に言ってやってください」

「勿論です。本当にありがとうございました」


 未曽有の大災害を回避したことで、部屋にいる誰もが安堵し、互いに喜び合っていた。

 その賑やかさの中で、通信を担当していた隊員が、顔色を変えて何かやり取りしているのに私は気付いた。

 嫌な予感がした。


「少年を、少年を見失いました」


 その言葉に、私の背筋は凍り付いた。


「なんだって? どういうことなんだ?」


 長官が通信担当の隊員に詰め寄って、その詳細を問い詰める。


「レーダーから消失した地点から察するに、恐らく力尽きて海上に墜落したものだと思われます」

「すぐにヘリを向かわせろ。海上に待機させていた高速艇もそっちへ向かわせろ」


 慌ただしく行き交う声がうつろに響いた。

 傍らにいた舞さんが、ショックで立っていられなくなったのか、その場で膝をついた。


「そんな……どうして……」


 そのまま茫然自失してしまった舞さんと同じく、私も言葉を失ってしまっていた。

 私はただそこで、忙しく動き回る隊員たちを前に、今起こっていることを受け容れられずに固まっていた。


「紗月さん、紗月さん」


 私を呼び戻したのはババ様の声だった。


「舞、紗月さんを押してついてきなさい」


 有無を言わせないようなババ様の指示で、へたりこんでいた舞さんは、私の背後に回って車椅子を押して部屋を出た。

 ババ様はそのままエレベーターに乗って屋上を目指す。

 顔色の悪い舞さんは、もう何も考えられないのか、だだ黙ってババ様に目を向けていた。

 やがて屋上に出た私たちを、眩しすぎる晴天の光が迎え入れた。

 その眩しさに目を細めて、私はうつむいたまま、ババ様に今胸にある思いを吐き出した。


「ごめんなさい。私があんなことを言ったから、日野君は……」


 挫けそうになっていた彼を勇気づけたかっただけだった。

 孤立無援で闘い続ける彼の力に、少しでもなりたかった。

 その結果、彼は海上で消息を絶った。

 誰でもない。もう限界に近かった彼の背中を最後に押してしまったのは私だった。


「ごめんなさい。本当にごめんなさい」


 どうしようもない後悔が涙となって溢れ出す。


「大丈夫ですよ」


 希望の含まれた力強い声に、私は顔を上げた。


「颯は私が助けます。心配しないで」


 その意味を測りかねていたのは、舞さんも同じだったのではないだろうか。

 そしてババ様はスッと背すじを伸ばして、高い空を見上げた。


「さあて、半世紀ぶりにやってみようかね」


 それは一瞬だった。

 私は目を疑った。

 ババ様は音もなく、高い空へと真っすぐに舞い上がって行った。

 そう、あの少年のように。


「嘘でしょ」


 車椅子を押してくれていた舞さんが、独り言のようにそう呟いた。

 私達はババ様が消えていった高い空を見上げたまま、少年の無事を祈ったのだった。

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