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第42話 可能性の欠片

 ワイヤーを伸ばしていたハッチの開口部から、少年は再び空へと飛び出した。

 重力の膜を形成し、少年はあっという間にオーバーソニックの鼻先に取りついた。

 フックをかけるときはワイヤーの重量もあって苦労した飛行も、手ぶらの状態でならば、飛行することにかけては専門家である彼にとって、特段難しいものでは無かった。

 少年は機体の鼻先に取りついた状態で通信を開始した。


「ババ様。オーバーソニックに取りついたよ。ワイヤーを緩めるよう輸送機に指示を出してくれないか?」

「わかった。すぐに話をつける」


 一度通信が途切れる。少年は機体に取りついたまま、その前方に目を向けていた。

 嫌な雲が広がっている。恐らくもうあとわずかで下降気流にこの機体は飲み込まれる。それまでにこのワイヤーを何とかしなければ大惨事は免れないだろう。

 その時、前方の輸送機の機体が大きく傾いた。

 下降気流の入り口に差し掛かったのだ。

 緩めなければいけないワイヤーが、ビンと張りつめる。輸送機の挙動に連動するように、オーバーソニックの巨体が大きく揺れた。

 少年のすぐ傍で、フックの部分が嫌な音を立てた。

 けん引するためのバーが今の衝撃で変形している。もともと空中で機体を引くために使うものでは無い。許容を超える力が加われば先端部分が破損してしまう可能性がある。


「ババ様! 早く!」

「今減速させた。上手くやっとくれ」


 輸送機のお尻が近づく。ピンと張っていたワイヤーにようやく緩みが見えた。

 少年は重力を操作してフックの掛け金を慎重に外していく。

 バーが変形してしまったせいでスムーズに外せない。

 そうしているうちに、輸送機がぐらりと動いた。

 下降気流エアポケットに入ったのだ。

 引きずられれば機体はただでは済まない。

 救助に来たはずの輸送機が、いまオーバーソニックを災厄へと引きずり込もうとしていた。


「外れろ! 外れろ!」


 少年は特別な集中力を無骨なフックに集中させる。

 剛性の高い金属を曲げるほどの重力操作を、彼は成し遂げようとしていた。

 輸送機の降下によって、ワイヤーのたるみが見る見るうちに無くなっていく。

 そして、完全にたるみが消失した。


 バチン!


 間一髪でフックは機体から外されていた。

 少年の体が宙を舞った。

 最後までフックに手をかけていたせいで、そのまま引っ張られたのだ。

 少年は放物線を描きながら海上へと落下していく。


「颯! はやて!」


 少年の耳に通信機からの声がしている。

 少年はぼんやりと、自分の身に何が起こっているのかを考えようとする。

 高くて青い空。

 真っ白な入道雲が視界の隅にある。

 少年のよく知っている。とても自由で身近な世界。

 それはどこまでも続いている果てのない世界。

 いったい今僕は何処へ向かっているのだろう。


「日野君!」


 その声に、少年は一気に覚醒した。

 何も知らない少年の手を引いて、様々な景色を見せてくれた少女の声だった。


 そうだ。飛ばないと。

 君のもとへ帰らないと。


「日野君!」

「ごめん。いま目が覚めたよ」


 少年は空中で静止してそう答えた。


「無事なの? 怪我はない?」

「うん。大丈夫そうだ。少し気を失ってたみたいだけど」

「良かった……」


 その声の中には、安堵から来る、かすかな涙声が混ざっていた。


「心配させたね。そうだ、オーバーソニックは?」

「日野君がフックを外してくれたおかげで、輸送機もオーバーソニックも無事だよ」

「そうか、ギリギリ外せたんだ」


 ひと心地ついたところで、通信機から聴こえてくる声がババ様に変わった。


「颯、無事で良かったよ」

「うん。それでババ様、僕はこの後どうしたらいい?」

「そうさな……」


 そのまましばらく沈黙してしまったババ様を少年は待った。


「颯、もうそこですることは何もない。そのまま帰っておいで」

「ちょっと待って、それじゃあ、オーバーソニックは」

「海上に墜落する。仕方のないことなんだよ」

「そんな、下降気流を抜けた今なら、もう一度フックをかけられるんじゃ……」


 少年の言葉をババ様の声が遮った。


「輸送機側のワイヤ巻き取り装置が完全に壊れたそうだ。もうどうしようもないらしい」

「そんな……」


 真っ青な空を仰いで、少年は絶望の声を呟いた。


 管制室で少年との通信を終えたあと、ババ様はゆっくりとマイクから離れた。

 少年との会話の一部始終を聞いていた私は、もう何の希望もないのかと愕然としていた。


「大丈夫? 星野さん」


 私の顔色の悪さを心配してくれたのだろう。舞さんがそう気遣ってくれた。


「ここを出た方がいいかしら。あまり聞きたくないことが耳に入ってきそうだし」


 このまま管制室にいれば、オーバーソニックの墜落を否が応でも真っ先に知ることになる。恐らく舞さんは私を気遣ってそう言ってくれたのだろう。


「舞、おまえ、紗月さんを連れてラウンジに戻りなさい。わたしゃ、もうしばらくここにいることにするよ」

「わかったわ。じゃあまたあとで」

「待ってください」


 車椅子の持ち手に手をかけた舞さんを、私は咄嗟に制止していた。


「本当にもう何もできないんですか? あんなに日野君が頑張ったのに」

「そうですな。颯は頑張りました。でも……」


 ババ様は動揺している私を、優しく諭すように話し始めた。


「私はね、紗月さん、ずっと昔に今と変わらない青い空の下で、今回のような悲しい事故を嫌というほど見て来たんですよ。どれだけ頑張ったとしても救えなかった命がたくさんあった。空を飛べたとしても結局はただの一人の人間。大したことは出来なかったんです」


 ババ様は遠い昔を振り返る様に眼を細める。私は小柄なババ様がいっそう小さくなってしまったような気がした。


「こんな思いを颯にさせてしまったのはこのババの責任です。帰ってきたらあの子に謝らないといけません」

「フサエさん」


 いつからいたのだろう。声の主を振り返ると、そこにはあの山本喜三郎氏が介護の女性に付き添われて立っていた。


「フサエさん、あなたのせいじゃない。強いて言うなら私や当時の上官のせいだった。我々は誰もが目をそむけたがるような、一番むごたらしいその瞬間にあなたを立ち会わせた。何度も何度も」


 おじいさんの声は震えていた。それは今も消えることの無い後悔から来ているのだと私には感じられた。


「あなたの大切な颯君を、このような悲惨なことに巻き込んで本当に申し訳ない。この通りです」


 おじいさんは介護の女性の手を払って、その場で床に手をついた。


「許してください」


 目を背けてしまいたいと思った程、その謝罪は痛々しかった。


「ええんですよ。顔をあげなさいな」


 ババ様は頭を垂れたままのおじいさんの頭を、骨ばった手で優しく撫でた。


「あんたは昔から泣き虫やったね。こうしてなだめてやったのを思い出したよ」

「フサエさん……」

「男がこんなとこで泣くもんじゃない。さ、立ちなさい」


 舞さんが用意した椅子におじいさんが腰かけると、その隣の椅子にババ様も腰かけた。


「すみません。フサエさんにそう言われて、なんだか昔を思い出してしまいました」

「いいよ。あんたの面倒は何度も見さされたから慣れてるよ」


 親しそうな二人に興味が湧いたのか、隣にいた舞さんが二人のことを聞いてきた。


「失礼ですが、うちのババ様とはどのようなご関係で?」

「ええ、私は昔フサエさんに本当にお世話になった者でして」

「ほう、どのような?」

「私は空軍のテストパイロットだったんです。当時の飛行機はいつ墜落してもおかしくないような代物でしたから、その度に助けてもらっていたんですよ」

「ほう? それはどうやって?」


 舞さんの目の色が変わった。どうやらその話に特別な関心を示したようだ。


「当時はプロペラ機でしたので、飛行中にプロペラが停止した場合、大概は失速して墜落していたんです。でも空を飛ぶ人たちは、その故障機体を特別な方法で無傷で帰還させてました」

「けん引気流だよ」


 ボソリとババ様はそう言った。


「故障した飛行機の前方ギリギリで、重力の膜を形成して、その機体が最も効果的な推進が出来るけん引気流を作り出し、基地まで誘導したのさ。けん引気流の作り出す揚力で、全てではないが空中分解した機体以外は連れ帰ることができたんだ」

「ねえ、ババ様、それをオーバーソニックに当てはめることは出来ないの?」


 一縷の希望を抱いたかのような舞さんの問いかけに、ババ様は首を横に振った。


「無理だね。いかんせん相手が大きすぎる。そんな簡単なものじゃない」

「フサエさん、大きさはともかく現代の飛行機は昔に比べて揚力を得やすいデザインに一新されてます。けん引できる可能性はゼロではないかも知れません」


 その言葉にババ様の表情が僅かに変化した。航空機を知り尽くしたこの老人の言葉が、ババ様の心を動かしたのだろう。


「そうよ。それにババ様も言ってたじゃない。颯は島の歴史上もっとも優秀な能力者だって。相手は大物だけど、それなりの重力の膜を形成することだってあの子なら不可能ではないんじゃないかしら」

「いや、でも、重力の膜を作って最適なけん引気流を得ようとするなら、事前にその機体の形状を正確に把握していないと……」


 そのババ様のひと言で、私は車椅子の上で飛び上がったような気持ちになった。私は、はやる気持ちと同じくらい早口で、ババ様にある事実を伝えた。


「おばあ様。日野君は今仰っていたことを正確に把握しています」

「どうゆうことですか?」


 なにを言い出すのかといった感じで、ババ様は私に目を向けた。


「日野君はオーバーソニックに関心を持ってその形状を研究してました。写真をもとに、私と友人が模写した画を使って重力の膜を再現して何度も飛行していたんです。ですから……」


 そこでババ様は全てを理解したみたいだ。

 訝しげだった表情に明るさが戻った。


「そうですか、だからあの子はマッハ1.5ものスピードで飛行できたのね……」


 ババ様は大きく頷いたあと、席を立ってマイクへと向かった。

 戻ってきたババ様に気付いた長官が、それをすぐに引き留めようとする。


「すみません。今取り込んでおりまして、遠慮して頂けますか?」

「おまえは黙っておれ!」


 おじいさんが一喝した。キレると恐そうな人だった。

 父親の剣幕に、長官はあっさりと引き下がった。

 そしてババ様はマイクを掴むと、何かを決意したような声で日野君に語りかけた。


「颯、聞こえるかい? 今どこだい?」

「ごめん。諦めきれなくて、いまオーバーソニックを追っているんだ」

「そうかえ、じゃあ、今から言うことをよくお聞き」


 こうして私たちは、可能性の欠片を見つけたのだ。

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