第4話 抑えきれない好奇心
自己紹介を終えたあと、日野颯と名乗った少年に色々聞きたいことが山積していた私は、少年のすぐ近くまで車椅子を移動させた。
「少しいいですか?」
「えっと、なんでしょうか……」
あまり話をしたくない雰囲気。身構えた様子を見て、分かり易い子だと思ったが、どうしてもあのことを聞いておきたかった。
「空、飛んでましたよね」
「えっと……なんのことでしょう」
いや、無理だから。ばっちり目撃してるし、さっき助けたって認めてたし。
「あんまし言いたくないみたいですね」
「うーん……」
少年は目を泳がせて沈黙してしまった。
申し訳ないと思いつつ、一度火のついた好奇心は簡単には鎮火できない。秘密にしておきたい事柄なのだろうが、もう少し私は食い下がることにした。
「大丈夫。私、絶対誰にも言いませんから。だから日野君のこと少しだけでも教えてくれませんか?」
「うーん、ごめんなさい……」
少年が申し訳なさそうに、ペコリと頭を下げた瞬間だった。
ぐううーーー。
ものの見事に、少年のお腹が盛大に鳴った。
「あっ!」
お腹を押さえて少年は赤面する。その恥じらい方がまた妙に可愛かった。
いたたまれなくなった少年は、そのまま踵を返し、逃げるように立ち去ろうとした。
「あ、じゃ、そゆことで」
「ちょっと待って」
咄嗟に車椅子を動かして、私は少年の手を掴んでいた。
あっ。
思わず自分から男の子の手を握ってしまった。初めての体験にほっぺたの辺りが急に熱くなってきた。
行動を起こした私自身が戸惑ってしまい、引き留めたのはいいのだけれども、手を放した後も次の言葉がなかなか出てこなかった。
「あ、あの、日野君はこれからご飯ですか?」
「いや、まあ、これからっていうか……」
「ご家族と一緒ですか?」
「いや、一人ですけど……」
空を飛ぶ一人旅の少年。そしてお腹を空かせている。
謎だらけ過ぎて好奇心が尽きないが、まず一番身近な問題を聞いてみることにした。
「失礼ですけど、お腹空いてますよね」
「はい。まあ……」
「相当空いてそうな感じですね。しばらく食べてない感じとか……」
「はい。実は財布を落としてしまって……」
それを聞いて余計に見過ごすわけにはいかなくなった。
命の恩人がお腹を空かせて困っている。ここは恩を返す絶好のチャンスだった。おまけに話も色々聞けるかもだし。
「あの、良かったら私にご馳走させてください。ここの船内レストラン結構美味しいですよ」
「いや、そんな、見ず知らずの人にそんな厚かましいことを……」
「いいじゃないですか。お礼をさせてくださいよ。命を助けてもらって夕ご飯くらいじゃ足りないでしょうけど、ささ、こっちですよ」
そしてそれから、半ば強引に船内レストランに連れてこられた少年は、オレンジジュースを注文した私の目前で、夕食のバイキングを堪能していた。
その食べっぷりに感心しつつ、謎の少年に対する私の興味はどんどん膨らんでいったのだった。
食事を終えた少年は、満足感と申し訳なさの入り混じった、新感覚の表情をしてお礼を言ってきた。
「御馳走様でした。このご恩は一生忘れません」
「いえ、こちらこそです。何ならすぐに忘れてもらっても構いませんよ」
「いえ、できることがあれば、何なりと言ってください。貴重なお小遣いを使わせてしまって本当に申し訳ない。お見かけしたところ、星野さんは高校生くらいですよね」
ちょっと昔気質のような少年だ。千分の一くらい、ようやく借りを返したくらいだが、少年の感覚では今ので大きな負債を抱えたような感じなのだろう。
「そんなに難しく考えないでください。えっと日野さんも高校生ですか?」
「はい。いま十五歳です」
「あ、一緒です」
同い年と分かっただけで、また少し緊張が解れた。少年も同じように感じているのか、やや、硬さが和らいだように見えた。
ほんの少し、心の垣根が低くなったようなので、さらに私は少年と親しくなろうと、普段の自分ではあり得ない積極的な提案をした。
「あの、じゃあ、もう少し気を張らない感じでお話ししませんか」
「え?」
「つまり、敬語とかじゃなくって、同級生ですし……」
「あ、はい。じゃあそれでよろしくお願いします」
やや解れてきたとはいえ、まだどこかしら少年には硬さが残っている。この壁を取り去るには、こちらからフランクになった方がいいみたいだ。
と、言っても、生まれてこのかた、男子と気軽にお喋りしたことなんて一度もない。
言い出したのは自分だが、上手く話せる自信はこれっぽっちも無かった。
「あの、さっきの話なんですけど、日野君のこと教えて欲しいなって……その、どうしてあんなことが出来るのかなって」
「いや、あれのことは、ババ様に口止めされていて……」
「ババ様って?」
いきなり好奇心を刺激させられる謎の人物の名前が挙がった。
そして、そのババ様なる者に、秘密にするよう口止めされている内容に、余計に興味をそそられてしまった。
「ああ、僕の親みたいな人です。ババ様は厳しい人で、島の人以外には秘密にしろって、島を出てくる前にさんざん言われまして」
「島って、離島とか? まあそれは置いといて、その秘密って私もう見ちゃってるし、秘密では無くなってないですか?」
「そう言えばそうかも……」
矛盾点を指摘したことで、少年が揺れ始めたことを感じ取った。
テーブルの上に肘をついて目を泳がせ始めた少年は、もう少しで落とせそうなところまで来ている感触だ。
刑事ドラマの取調室で、心理戦の末に容疑者がとうとう口を割る場面を私は連想していた。
「秘密をこの目で見た私に秘密を隠すのはおかしくないですか?」
「うーん。そうかも知れない……」
粘り勝ちだった。
葛藤している少年を、しばらくじーっと見つめていると、とうとう口を割った。
「あの、誰にも言わないで下さいね」
「言わない言わない。絶対秘密にします」
こうして、まばらになり始めた船上レストランの一角で、空を飛ぶ少年の話は始まったのだった。