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第39話 そして音速へ

 少し風のある管制塔の見える屋上で、日野君は緊張を顔に貼り付かせたまま、自衛官の話を聞いていた。

 私たちは同じ屋上の少し離れたところで、これから高い空に飛び立つ彼を見守っていた。

 日野君は、自衛隊員から手渡された通信用のイヤフォンの操作方法の説明を真剣に聞いている。ああいった通信機器も日野君はまるで馴染みがないはずだ。余裕のない横顔のままで、彼は何度も頷いていた。

 通信機器の説明が終わったのか、日野君は微妙な笑顔を無理矢理作って、こちらに手を軽く振って来た。

 私は彼の緊張を少しでも和らげようと、大きく手を振り返す。

 隣で心配そうな表情の舞さんも、同じ様に日野君に手を振る。

 しばらくして、また別の自衛隊員が来て、日野君と打ち合わせを始めた。恐らくこれが最終確認なのだろう。

 私は少し顔色の悪い彼の横顔を見ながら、こう思ってしまう。

 これは本当に現実に起こっていることなのだろうか。

 ここからは見えないこの空のどこかで起こりつつある大惨事。いつも朗らかな高校生の少年が、空を飛べるという理由だけで、その不始末の尻拭いをさせられようとしている。500人もの命という重荷を背負わされた少年は、どんな気持ちで飛び立っていくのだろう。

 彼の気持ちに寄り添おうとした私の肩に、そっと手が置かれた。

 振り返ると、ババ様は日野君に視線を向けたまま、私を落ち着かせようとするかのように静かに口を開いた。


「紗月さん、男はね、いつの時代も好きな娘の前でいいところを見せたいものなんだよ」


 その一言が私をドキリとさせたのと同時に、場違いにも部外者の自分がここにいる理由を理解した。

 そうか、彼の勇気を奮い立たせるために、ババ様はここに私を同席させたのか。

 だが、大勢の人を助けるために飛び立とうとしている少年の心の支えに、私なんかが成れるのだろうか。

 いつも勇気をもらっていたのは私の方なのに。


「私、日野君に支えてもらってばかりなんです。今だってこうして手を振ってあげることしか出来ない」


 ババ様は私の言葉を黙って聞いてくれた。


「でも、日野君はこう言ってくれたんです。私が手を引いてくれたって。ありがとうって言ってくれたんです。それまで私は日野君に連れ出してもらってばかりだとずっと思っていたのに」

「そうですか、颯がそんなことを……」

「だから、彼がそう思ってくれているのなら、私もそれに応えたいんです。身の程を知らず背伸びをしてるって、私も分かっています。それでも日野君の目に映っていた私に近づけるよう、ここで少しでも彼の支えになりたいんです」

「あなたはもう十分、あの子の支えになってますよ」


 ババ様のそのひと言で、胸の中がスッと軽くなった。自信の無かった私にとって、本当に嬉しいひと言だった。

 暫くすると、どうやら最終打ち合わせが終わったらしく、ようやく解放された日野君がこちらに戻ってきた。

 ババ様は顔色の悪い彼に、短く尋ねる。


「颯、いけそうか?」

「うん。五分後に作戦開始だって」


 緊張した表情のまま、日野君は遠い空に目を向ける。

 これから彼は、ここから飛び立ち、先導役のブルーインパルスの機体と合流する。

 案内役の機体の後ろについて、滑空中のオーバーソニックに到達したあと、先に到着しているはずの自衛隊の輸送機と合流し、日野君は飛行できる人間でなければ行えない繊細な作業に入る。

 作戦は至ってシンプルなものだ。輸送機からワイヤーを伸ばして、オーバーソニックの先端部分にフックを掛け、そのまま輸送機は故障機体を安全区域までけん引すると言った内容だ。

 そして、空中でワイヤーフックを故障機体に取り付けるのには、飛行できる人間の精密な技能が要求される。

 失敗して機体を損傷させでもしたら、その場で墜落といった事態にもなりかねない。また、高度が下がり続けている機体には、それほど時間も残されていなかった。

 機体が無事ここへ辿り着くことができるかどうかは、日野君の双肩に掛かっていた。

 

「では、飛行準備お願いします」


 自衛隊員の合図に、日野君の表情が引き締まった。


「ババ様、行ってくるよ」

「ああ、颯、頼んだぞ」


 ババ様がそう言ったあとに、舞さんが不安げな顔で日野君の手を取った。


「颯、無理しないで。危ないと思ったら帰ってきていいからね」

「うん。出来るだけがんばるよ」


 舞さんの手が放れたあと、日野君は私の目線に合わせるように膝をついた。


「行ってくるね」

「うん。私、待ってる。日野君が無事で帰ってくることを信じて待ってる」

「うん。必ず帰って来るよ」


 そして、眼下に伸びる滑走路から、先導役のブルーインパルスが発進した。

 飛び立っていった陽光を跳ね返す機体を見送って、自衛隊員が最後の指示を出す。

 

「日野颯さん。発進お願いします」


 自衛隊員の号令に、膝をついていた少年は立ち上がる。


「行って来る」


 そう言い残し、あっという間に少年は空へと舞い上がった。

 数秒の間に豆粒のような大きさになったその姿を、私たちは祈るような気持ちで見送る。

 こうして少年の闘いは始まった。


 管制塔に戻った私たちは、管制室中央にあるGPS信号を追跡する大きなモニターに向き合う。

 自衛隊員がモニターを見つめる中、ババ様はレーダーが捉えた日野君の信号が一直線に目標ポイントに向かっているのを確認し、その速度表示に集中する。


「時速500キロを超えました」


 モニターを監視している女性自衛官が、少年の飛行速度を読み上げる。


「さらに加速しています。今、600キロを超えました」


 自衛隊員の中でどよめきが起こった。

 生身の人間が空を飛び、さらにとてつもない速度で加速し続けている。

 超音速機と同じ形状の膜を形成したお陰なのであろう。少年はさらに加速し続けていた。

 速度カウンターが目まぐるしく増えていく。

 その加速に私たちだけではなく、管制室にいた全員が注目していた。

 そしてさらに数分後。


「時速1000キロを超えました。このままいけばあと六分後に音速に達します」


 自衛隊員の報告に、長官の表情が変わった。


「なんだって? じゃあブルーインパルスは振り切られてしまったのか?」

「はい。もう追いつけないそうです。ですので、ここからは方向を通信だけで補正しなければなりません」

「そうか。最短距離で行けるように、誘導を怠るな。通信は問題ないか?」

「通信良好。しかし通信を中継している自衛隊機がもうすぐ振り切られます。そこからはオーバーソニックの通信回線に割り込みます。少年の飛行速度次第ですが、最長二分程度、通信が途切れます」

「わかった。自衛隊機はできる限り少年に追い縋って通信を確保。そのあとは速度を維持してオーバーソニックの航路に合流」


 慌ただしい管制室で、私はただひたすらに日野くんのGPS信号を目で追っていた。


「星野さん。もうすぐですよ」


 ババ様が見つめるカウンターが1200を超えた。

 私もその瞬間を見つめる。

 そしてモニターを監視していた自衛官がその瞬間を告げた。


「時速1225キロ。音速を超えました。さらに加速しています」


 管制室がどよめいた。生身の人間がマッハ1を超えたことに、誰もが信じられないと言った顔をしていた。

 いや、そうではない。私の隣で速度表示を見守り続けるこのババ様は、こうなる可能性をなんとなく分かっていたのかも知れない。

 そして、さらに加速し続ける信号を見守り続けている。


「恐らく、颯は予定よりも早くあれと合流する。通信が途切れる前に軌道を修正しなさい」


 長年の経験上、予想していたのだろう。ババ様は長官に向かって、そうすることを進言した。


「軌道修正? どこまで加速するんですか? 今、マッハ1.1で飛行してますが」

「この感じだと、マッハ1.5。恐らく最適な減速ポイントまでにその速度に到達するはずです」


 ババ様の指示で少年の軌道が再計算された。通信が途絶える前に少年に目標軌道が送られたのを見届けて、ババ様は大きく息を吐いた。


「年寄りに、こんな心配させないでほしいよ。残りの寿命がさらに縮まっちまった」


 ババ様はそう言って、隣の私にニコリとして見せた。

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