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第35話 知里と缶詰

 今日も知里は時間通りにやって来た。

 午前八時きっかりに私は玄関ドアを開けて知里を出迎え、そのままダイニングテーブルへと向かう。

 それから、丁度焼けたトーストを二人で齧りながら、今日仕上げる原稿についての打ち合わせが始まる。

 合作である以上、当然ながら相棒の意見は事前に聞いておかなければならない。

 シナリオ担当は私に一任してくれた知里だったが、描写については彼女もこだわりがある。共感する所と、どうしても譲れずにぶつかってしまう所は必ず出てくる。

 私も頑固だが、彼女も相当な頑固者だった。

 私は空を飛ぶ少年の筋書きを、学園内で起こるイベントを主体にまとめ上げた。

 大まかな筋書きはこんな感じだ。


 旅行先で命を助けられた車椅子の少女は、空飛ぶ少年と帰りの船で再会する。

 ここまでは現実と全く同じだが、少女の助けで少年は東京で姉と再会したあと、東京にそのまま住むことになり、転校生として現れた少年は少女と再び学校で再会する。

 少年は再会できた嬉しさからか、学校で少女について回る。人目をはばからず接してくれる少年に、いつしか少女は自分が恋をしていることに気付く。

 しかし自分に劣等感を持っていた少女は、少年に自分の気持ちを打ち明けられないままでいた。

 学校に通ううち、太陽のように朗らかな少年の周りには、自然と人が集まってきた。

 ずっと島暮らしで同級生のいなかった少年は、遠く離れたこの地で、たくさんの友人に恵まれることになる。

 そして、そんな少年に関心を持つ者も当然のように現れるのだ。

 そして、あるクラスメートが抱いていた少年に対する関心は、いつしか執着心に変わり始める。

 そのクラスメートは、偶然に少年が空を飛んでいるのを目撃してしまい、そのことを、いつも少年の身近にいる車椅子の少女に問いただす。

 少女は秘密を口外しないと約束していたので、その場をはぐらかす。

 しかし、そのことでムキになったクラスメートは、他の生徒たちに少年が空を飛んでいたという噂を広め始める。

 しかし、あまりにも突拍子もない話過ぎて、どれだけ声をあげても、周囲にはたわ言と一笑に付されてしまう。

 逆に変人扱いされたそのクラスメートは、少年の秘密を白日もとに晒すため、罠を仕掛ける。

 毎年恒例の課外授業。悪意のあるクラスメートに意図的に車椅子を脱輪させられて、少女は池に落ちてしまう。

 そして少女が危機に陥った時、少年は大勢の生徒が見ている前で空を飛んだ。

 そして少女を救った少年は、何も言わず空へと飛び去った。


 シナリオを読み終えて、知里が大きなため息を一つ吐いた。


「いい話だと思うけど、紗月はこれでいいの?」

「ううん、これで終わりじゃないよ」


 私は知里が読み終えた後に見せようと思っていた残りの用紙を手渡した。

 受け取った知里は、物語のエンディングに目を通してから、ようやく納得したように顔を上げた。


「そうだね。これが二人のエンディングに相応しいね」


 そして私たちはペンを手に、また机へと向かう。

 もうあの映画のエンディングの時のように、少年が悲しい顔をしなくていいように。

 ハッピーエンドを迎える物語が、ここにあることを伝えるために。


 日が傾いて、窓の外の夕焼けが部屋を彩り出した頃、座卓でペンを走らせていた知里がウーンと大きく腕を上げて伸びをした。


「もう駄目。目の前がぼんやりしてきた」

「少し休憩する?」

「休憩っていうか、今日はもう無理。お願いだから帰らせて」


 完全にへこたれてしまった友人に、私は貰い物のちょっと高級で美味しいチョコレート菓子を勧める。


「まあ、これでも食べて元気だしなよ。私の分もあげるからさ」

「じゃあ遠慮なく。でも食べたら帰るからね」

「そう言わずに、もうちょっと頑張ろうよ。そうだ、夕飯も食べてったら?」

「本気なの? なんだか締め切り間際のプロ作家みたい……」


 何だか呆れ顔の知里と、お菓子を食べながら帰る帰さないの押し問答をしていると、トントントンと、ノックの音がした。

 どうやら母が帰宅したようだ。

 少しだけドアを開いて、母が顔を出す。


「お邪魔してます」


 知里が座ったまま一礼すると、母はにこやかに部屋に入って来た。


「あらあら、また漫画? このところ毎日なんじゃないの?」

「そうなんです。もう紗月が放してくれなくって」


 母は苦笑しながら、知里が不平を漏らすのを聞いてやる。


「この子昔から、一度決めたら頑固だから。本当ごめんなさいね」


 部屋へと入って来たのは雑談するためではなかったみたいで、ここで母は本来の要件を告げた。


「あのね、さっちゃん、今日お昼過ぎくらいに日野君のおばあ様から携帯に電話をもらってね……」


 母の口調に含まれたその意味を、私はすぐに悟った。

 ババ様と共に日野君が島に帰る日が決まったのだろう。覚悟していたはずなのに、私はひと言も話せなくなってしまった。


「今週の日曜日、飛行機で帰ると仰ってたわ。それでね……」


 母の話には続きがあった。それは全く思いもつかなかった意外な内容であった。


「実は、今週の日曜日は、空港であの超音速旅客機の就航セレモニーらしいの。どうもおばあ様の古い知人で自衛隊の人がいるらしくって、そのセレモニーに招待されたのよ」

「あのオーバーソニックの? 本当に?」


 驚きの声を上げたのは知里だった。

 私はオーバーソニックのことよりも、まだ少年と会える機会があるのだと一旦は安堵した。


「セレモニーが終わってから帰る前に、日野君たちと一緒に空港で食事でもってお誘いを受けているんだけど、紗月はそれでいい?」

「勿論行く」


 即答した私に続いて、目を輝かせた知里が身を乗り出してきた。


「ねえ、紗月、それって私も参加したりできないかな。その、日野君は私の大切な後輩だし」

「オーバーソニックを近くで観たいだけでしょ」

「それはついでよ。日野君とちゃんとお別れしときたいのよ」


 何だか乗っかって来ようとしている知里の様子に、母は快くババ様に訊いてみると電話してくれた。すると電話を切ったあと、グッと親指を立てて見せた。


「余計めに席を用意してあるから問題ないって」

「やった。オーバーソニックだ。楽しみー」

「本音がペラペラ口から出てるわよ」


 知里を窘めてから、私はまた気を引き締める。

 彼が帰ってしまう日が決まったことで、原稿の締め切り日がはっきりしたのだ。

 彼が旅立つ前に、私の描いたハッピーエンドを彼に届けたい。

 そう思うと、居ても立ってもいられない気持ちになった。


「知里、そろそろ再開よ」

「えっ? 帰りたいんだけど」

「なに言ってんのよ。セレモニーに行きたかったらここで根性見せなさい」

「トホホホ」


 ベタな感じげがっかり感を出しつつ、知里も再びやる気になってくれた。

 もうあと残り時間は少ない。

 あの太陽のような笑顔にまた会えるのだと胸をときめかせながら、また私は原稿用紙に向き合った。

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