第33話 少女は走り出す
明るくいつも朗らかな少年は、自分があまり長くは生きられないことを知っていた。
ひょっとすると、ババ様が彼を単身姉の下へと向かわせたのには、それにまつわるなんらかの意図があったからなのかも知れない。
それはいつ果てるかもわからない彼の人生を、姉に会うことで彼に選択させるためだったのか、それとも、ただ島で過ごすのを不憫に思い、せめて残りの時間の中で、まだ知らない広い世界に飛び立たせてやろうと考えたのか、その時の私にはそれを汲み取る余裕は全く無かった。
「一緒に大人になれないなんて……」
二十歳までは生きられないだろうと言っていたババ様。
自信なさげに弟の治療をすると言っていた舞さん。
手術が失敗すれば彼の命はそこで尽きてしまうだろう。
私は彼がどう生きるかの選択肢について、どちらがいいかということすら考えられなかった。
ただ悲しくて、帰宅してすぐに自分の部屋にこもって泣いてしまった。
「嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!」
駄々をこねる小さな子供のように、ベッドの中で枕を濡らして泣くことしか出来ない自分が惨めだった。
「やっぱり私には何もできないんだ。誰かに頼り切っている私には何も……」
涙が止まらない。
「日野君……」
うつぶせのまま、少年の名を口にすると、瞼の裏側に鮮明に少年の姿が浮かんできた。
その明るい笑顔が、私の心をまた少し落ち着かせる。
そしていつしか私は眠りに落ちていた。
目を覚ましたのは、扉をノックする音が聴こえたからだった。
「夕ご飯出来たけど、食べられそう?」
「うん、あとで食べる……」
その声色で、病院を出てから一言も口をきかない娘を、母が相当心配しているのが感じ取れた。
心配をかけたくないのに、どうしてもベッドから起き上がることが出来なかった。
そしてもう一度目を瞑ると、また自分の不甲斐なさに涙が溢れてきた。
勝手に落ち込んで、いつも娘のことを第一に思ってくれている母にこんな姿を見せていることに、自己嫌悪を覚えた。
私が憧れた、あの太陽のような笑顔の少年とまるで違う自分が、本当に嫌になった。
彼はいつも明るい笑顔を私に見せてくれていた。
いつも劣等感にさいなまれ、何もできない私を、自由な空へと連れて行ってくれた。
そして彼と同じ景色を見て、私は心の底から生きていることの歓びを、あの時全身で感じたのだ。
私だって。
どうしようもないもどかしさが、胸を締め付ける。
こんな私だって彼の力になりたい。
舞さんが、なり振り構わず彼の命を救おうとしていたように、私にもきっと何かできることがある。
彼に私がしてあげられることって……。
その時、頭に浮かんだのは何故か彼の泣き顔だった。
二人で観た映画のエンディング。
ハッピーエンド迎えることの出来なかったあの映画、最後に主人公はヒロインと離れ離れになってしまった。
号泣してしまった彼をなだめるのに私は手を焼かされたな……。
「ハッピーエンド……」
私の中に光が射し込んだ。
「ハッピーエンド……そうだ。私と彼の物語はまだ終わってない」
そして私はあの日の夕方、日野君がくれた言葉を思い出した。
自分を亀よりも不自由だと蔑み、聞かせたくない愚痴を言ってしまったあの時、彼は私にこう言ってくれたんだ。
「僕が君を押していたんじゃない。君が僕の手を引いてくれたんだ」
きっとそうじゃない。でも彼がそう思ってくれているのなら、それに応えたい。
私は顔を上げて、頬の涙をごしごしと袖で拭いた。リモコンで照明を点け、ベッドの脇の車椅子に座り直して、机に向かう。
描きかけの原稿は半分も出来ていない。私はまず知里に電話を掛けた。
「なあに? これからお風呂入るとこなんだけど」
「知里。明日からやるよ。私の家に朝八時に来て」
「ちょっと、ちょっと待ってよ。八時って早すぎじゃない? もうちょい寝させてよ」
「ごめん。そうゆうわけにはいかないの。朝ご飯とお昼ご飯と、それにおやつも出すからお願いね」
「マジ? 私を缶詰にするつもりなの?」
「そうゆうこと。じゃあ明日ね」
「ちょっと、ちょっと待って……」
知里には申し訳ないけれど、有無を言わさず約束を取り付けた。
明日から本番だ。
私は、まっさらな原稿を机に置き、温めていた構想に沿ってラフ画を描き始めた。




