第31話 東京見物
翌日の朝、予定していた東京見物はいきなり躓いた。
今日休みの予定だった舞さんが、仕事に出なくてはいけないようになってしまったのだ。
それは昨日ババ様たちがいきなり現れたせいで、やりかけていたことを残してすぐにこちら来たせいだった。
そしてそれならと、母が代理を買って出た。
元々田舎から出て来た母は、何度も上京した友人を、東京見物に連れて行った経験があった。
早速車を出して、文京区の舞さんの家に四葉を迎えに行くと、そのまま浅草へと向かったのだった。
実は千葉で住む私も、こうしてかしこまった東京見物という名目で観光をしに来たのは初めてだった。
たまに、母が気晴らしに買い物に連れてきてくれたりする程度で、普段は滅多に地元の千葉から出ることなど無い。
まずは外国人観光客でごった返す浅草の雷門を抜けて、私達は仲見世通りを進んでいった。
お昼ご飯にはまだ早い時間帯だったけれど、通りに立ち並ぶ、ちょっと美味しそうな食べ物のお店に、日野君と四葉はくぎ付けになっていた。
「ババ様、あれ食べたい!」
四葉が指さしたのは、きびだんごのお店。
早速、人の行き交う店先で上品な甘さを味わう。
口の周りにきな粉を付けて、日野君は今日もとても美味しそうに口を動かしていた。
ババ様もこういったものが好きみたいで、ゆっくりとその甘さを味わっていた。
こんな風に通りのお店を周って、小腹を満たしてゆくのがこの浅草寺に行くまでの楽しみの一つなのだろう。
私達は何度も寄り道をして、観光客のマストスイーツを味わったのだった。
ババ様の歩くペースに合わせてようやく宝蔵門を潜った私たちは、そのまま本堂を参拝し、五重塔を観て周った。
母は、高齢のババ様の様子を伺いながら、どの程度観て周るか考えているみたいだった。
ババ様は歩くペースこそゆったりしているものの、あまり疲れを感じている様子はなさそうだった。
恐らく、彼女も日野君と同じような力を持っているのだろう。
重力を操ることで、自分の体重を感じることなく移動できているに違いない。
九十九歳とは思えない程の綺麗な姿勢で歩くババ様に、母は時々声を掛けていた。
「おばあ様、それそろ休憩しましょうか?」
「いいえ、大丈夫ですよ。島では毎日一時間ほど散歩しておりますから」
「そうなんですか? 私よりもよく動いておられますね」
母は、少し迷っていたみたいだが、ここで次の目的地の提案をした。
「折角ですから、ここからもう少し歩いて、スカイツリーまで行ってみませんか」
母の提案に日野君と四葉は目を輝かせた。
きっと行ってみたかったに違いない。分かり易い二人だった。
ババ様もその提案に依存は無さそうだった。
「そうしましょう。東京に来たら私も一度は行ってみたかった場所です。是非案内をお願いします」
「分かりました。じゃあ私に付いて来て下さいね。日野君、悪いけど紗月をお願いね」
「任せて下さい」
日野君が車椅子の持ち手に手をかけると、またフワリとした感覚に包まれた。お尻の下にフワフワの何かが在るような感覚。なんだかこれなら、いくらでも車椅子に座っていられそうだった。
「星野さんは疲れてない?」
「うん。全然。日野君のお陰だよ」
日野君が私と話をしだすと、必ず四葉が割って入ってくる。どうやらヤキモチを焼いているようだ。
「ねえ、颯。私が押したげようか」
「ダメ。星野さんは僕が押すんだ」
「どうしてよ。私だって車椅子を押すぐらいできるって」
「いいや、四葉は信用できない。まだババ様に力の使用を禁止されてるんだろ」
「フン」
へそを曲げてしまった四葉は、そのまま日野君と並んで歩く。
どうやら日野君の口ぶりから察するに、この娘はあまり力のコントロールが上手くできていないようだ。そう考えると押してもらうのは遠慮してもらった方がいいだろう。
それにしても日野君に車椅子を押してもらうと、もう他の人に押してもらえないほど快適だ。車椅子に乗っているのに別のものに乗っている感覚がある。たとえて言うなら、西遊記に出てくる孫悟空の乗っている觔斗雲がしっくりくる。
実際に雲に乗れるわけでは無いが、もし乗ってみたとしたらこういった感覚なのかもと想像した。
日野君のお陰で、夏の暑さ以外は快適にスカイツリーまでやって来た。
展望デッキまで上がると、そこから見える景色はいわゆる絶景だった。
空を飛ぶことの出来る日野君には、きっと大したことの無い高さなのだろうが、夏の晴天の下に広がる街の景色に、私と母は大いに興奮していた。
そしてババ様と四葉も大いに楽しんでいる様子だった。
私は振り返って日野君に感想を訊いてみた。
「どう? 日野君」
「うん。すごいね。こんなに高い建造物を人の手で作り上げたって感動だよ」
「あ、そっちなのね。まあ、日野君には見慣れた光景だろうからね」
以前海に行ったときに、日野君に連れて行ってもらったあの高い空は、もっと高かった気がする。
あの時に見た水平線は、地球の丸さを実感できるほどだった。
「ねえ、日野君、ババ様と四葉ちゃんは日野君みたいに飛べないの?」
「そうだね……四葉は飛ぶことができない。でもババ様は……」
「ババ様は?」
日野君はちょっと首を傾げた。考えを巡らせている様子だ。
「えっと、そうだね。ババ様は重力をうまく扱う人なんだけど、空を飛べるかと言われるとどうなんだろうね。少なくとも僕はババ様が飛んでいるのを見たことは無いんだ」
「じゃあ、日野君だけってこと?」
「うん。昔はいたらしいけど、島で今空を飛べるのは僕だけじゃないかな」
「そうなんだ」
成る程、ババ様が楽しそうにしているのも納得できた。
特に四葉は、ガラスの床の所で大はしゃぎしていた。
「はやてー、星野さーん。なんか空飛んでるみたいだよー」
呼ばれて、私も車椅子でガラスの床を通ってみる。
「ちょっと怖いな……」
どうしてだろう。日野君と一緒に空を飛んだ時はちっとも怖くなかったのに、今は安全だと分かっていながら感覚の無いはずの足がすくんだ。
振り返って見ると、平気な顔をしているだろうと思っていた日野君が、ちょっと緊張した顔になっていた。
「日野君、大丈夫?」
「え? うん。なんだか力を使っていないのに空中に浮いている感じがしてさ……」
説明を聞いて納得した。これは日野君にとっても未知の感覚だったわけだ。
退屈していないか心配していたけれど、日野君は別の意味でスリルを味わっていた。
それを見て母が日野君を軽く弄って来た。
「なあに日野君、高い所苦手だったのかしら?」
「いえ、そうゆうわけじゃないんですけど……でもちょっと怖いかも……」
ちょっとビクついている彼を、何も知らない母は可笑しそうに茶化していた。
そしてババ様と四葉は、どうして彼がビビっているのか不思議そうな顔をして見ていたのだった。
スカイレストランで食事をしたあと、ババ様に送ってあげられるよう記念写真をたくさん撮っておいた。
そしてすぐ後ろで車椅子の持ち手に手を掛けている日野君を、振り返って見上げる。
最後に日野君と二人で写真を撮りたいな……。
動物園でも何枚か母に撮ってもらっていたが、ここで二人の写真を残しておきたかった。
何だか言い出し辛くて、チラと母の方に目をやると、私の気持ちを見透かしていたようにこちらに目を向けていた。そして母は私の車椅子を押す日野君に声を掛けてくれた。
「ねえ、日野君。紗月と二人で写真撮ってあげようか」
携帯を片手にサラリと言ってのけた母に、やはり見透かされていたのだと恥ずかしさを覚えたものの、心の中で手を合わせておいた。
日野君は私の車椅子に並ぶように立って、レンズに向かって笑顔を向けた。
母は縦と横で一枚ずつ撮ったあと、日野君にちょっとした注文をした。
「じゃあ日野君。紗月と目線の高さを合わせて、もう一枚撮らせてくれる?」
母は、きっと彼にしゃがんで欲しかったのだと思う。
しかし日野君は、そう受け取らなかった。
「はい。わかりました」
彼はいつもの通り、朗らかに笑みを浮かべて私をすっと抱き上げた。
もう何度かお姫様になっていた私も、流石にこの大勢の人の中でこれが起こるとは想像していなかった。
「えーーーーっ!」
思わず声を上げたのは私ではなく母だった。
仰天したあと、我に返った母は、とにかく滅茶苦茶シャッターを押していた。
当たり前のように注目を集めてしまった私たちの前には、ちょっとした人だかりまで出来てしまった。
もう恥ずかしいのか嬉しいのか訳が分からなくなった私は、カメラ目線を全く意識することも出来ずに、目を泳がせてしまったのだった。
そんな私に日野君は相変わらず朗らかだ。
「星野さん、お母さんの方を見ないとあんまり顔が写らないよ」
「う、うん。そうだね……」
きっと私は真っ赤な顔をしているんだろうな。
あとで母に冷やかされるであろう写真を想像しながら、私はこの日一番の笑顔をレンズに向けたのだった。
十分すぎる程写真を撮ってから、やや不貞腐れた四葉以外は、皆満喫してスカイツリーを後にした。
四葉は私のお姫様のあと、日野君に猛抗議していた。そして自分も同じようにしてくれとせがんだのだが、日野君はまた今度と言って断ったのだった。
と、言うわけでさっきから四葉の視線が痛い。分かり易い嫉妬を斜め後ろに感じながら、私はちょっとした幸福感に浸っていたのだった。
浅草からは、隅田川に沿って、浜離宮、日の出桟橋方面の水上バスが運行している。途中いくつも架かる橋などを紹介する船内アナウンスを聞きながら、ゆったりと東京の街並みを船上から眺めるプランを、母は最期に用意していた。
何だか宇宙船のような外観のクルーズ船。
強い日差しの中でも、快適にエアコンの効いた船内で、流れていく景色を座ったまま眺められるというのは、お年寄りには最適な東京観光と言えた。勿論私にとってもありがたかった。
乗船してからしばらくして、四葉はさっきのリベンジと言いたげに、日野君の手を引いて展望デッキへと上がって行った。
車椅子での乗船はできるものの、バリアフリーの空間は流石に少ない。
船内の一階の一部分だけ、車椅子の乗客は使用できる。
母と私とババ様は、落ち着いた静かな空間でジュースを片手にお喋りしていた。
船窓から見える景色を、ババ様はなんだか懐かし気に、細い目をしっかりと見開いて眺めながら、こんなことを話した。
「私は以前東京に住んでいたこともあるんですよ。もう半世紀も前の話ですがね」
「そうなんですか? じゃあ浅草は来られたこともあったでしょう」
私もそうだが、東京が初めてだと思っていた母は意外そうな顔をした。
「はい。何度か。でも懐かしくって連れてきてもらえて本当に良かったです。仲見世通りでキビ団子も食べられましたし」
そうか、きっとあの甘さを味わっていた時、彼女は昔のことを思い出していたのだろう。
「勿論、スカイツリーは当時ありませんでしたし、こんな宇宙船みたいな水上バスもありませんでしたから、初めての体験もさせて頂きましたよ。私もそうですけれど、四葉もきっと大喜びだったと思います。本当にありがとうございました」
「そうですか。そう言っていただけると私も嬉しいですわ」
ババ様と母は今日一日で随分親しくなったような気がした。
あまりに歳が離れすぎているせいもあるのだろう。まるで可愛い孫との時間を過ごすかのように、ババ様はこの一日を愉しんでいるようだった。
また一つ、橋の下を船は通り過ぎていく。
ゆっくりと景色が変わっていく中、母は突然話題を変えた。
「あの、おばあさまは、もう日野君を連れて帰られるんですか?」
母が言ったそのひと言は、私も気になっていたことだった。
ババ様はにこやかな表情のまま、首を横に振った。
「少し、昔馴染みの所に顔を出してから帰ることにします。とはいっても、このババみたいに生きているか分かりませんが」
「そうですか。じゃあまだしばらくは、こちらにおられるんですね」
「はい。舞も明後日からは休みらしいので、颯と一緒に古い知人を訪ねてみます。それが済んだら、また一度ご挨拶に伺わせていただきます」
私はそれを聞いてまたほっとしていた。
もう会えないのかもと思っていた日野君とまた会える。
そんな気持ちが顔に出てしまったのだろう。ババ様は私の顔を真っすぐに見つめて口を開いた。
「紗月さん」
「はい」
「あなたは素直ないい娘さんだ。昨日も言いましたが、颯はあなたと会えて幸せです」
「いえ、そんな、私なんて……」
「あの子のこと、よく覚えておいてやってください。あの子が笑顔で旅立てるように……」
そしてババ様は、瞼の下の薄茶色の瞳をわずかに伏せた。
このときの私は、ババ様のその言葉を、故郷に帰ってしまう日野君のことを言っているのだと思っていた。
それからしばらくして日野君と四葉は戻ってきた。
「星野さん。展望デッキすごく気持ち良かったよ。ね、一緒に観に行こうよ」
日野君はそう言って、また私を簡単に抱え上げた。
ムッとした四葉はすぐに私たちのあとについて来ようとした。
それをババ様は引き留めた。
「四葉。あんたはここにいなさい」
「えーー」
膨れっ面の四葉に見送られながら、私たちは展望デッキへの階段を上がっていく。
ステップを上がり切ると、太陽光を反射する街並みが見渡せた。
そして日野君は私を抱えたまま問いかける。
「どう?」
「うん。気持ちいいね」
強い陽射しの中で、水上を渡る風が私の髪を揺らして通り過ぎていく。
「本当に、気持ちいい」
そう呟いた私の目には、船上からの景色よりも彼の横顔ばかりが映っていた。




