第30話 ややこしい人たち
ババ様と四葉を部屋に通して、待つことおおよそ一時間半。
私が舞さんの携帯にババ様が来ていると告げると、仕事中だったはずの彼女は髪を振り乱してマンションに現れた。
「いきなりなに来てんのよ!」
舞さんはリビングでババ様と対峙するなり、開口一番、喧嘩腰でそう言った。
「それと颯! あんた私の目を盗んで飛んで来たんでしょ!」
「ごめんなさい」
「まあ、それはあとでこってり絞ってやるわ。それよりババ様、お盆休みには帰るつもりだったのに、何でここにいるわけ?」
語気荒く不満を口にした舞さんを、ババ様は静かに受け流した。
「あんた、なんも連絡寄こさんかったろ。わたしゃ、颯が心配で見にきたんだ」
「いちいちババ様に私が連絡しますかっての。いいから帰って。私は颯と二人で久しぶりの姉弟生活を楽しんでるんだから。それと……」
舞さんはババ様の隣にいた少女を指さして苛立ちを見せた。
「なんであんたもここにいるのよ。四葉!」
この雰囲気……。何だか舞さんと四葉という娘の間にも、確執が在りそうだった。
「いい? 颯は絶対渡さないからね。颯は私のもんなんだから。せっかく久しぶりの水入らずなのに邪魔しないでくれる?」
自分の所有物だと主張した姉も大概だが、四葉という娘も負けていなかった。
「颯はお姉のもんじゃないわよ。この私のものなの。いい加減颯のことを危ない感じで溺愛するのはやめてよね」
お互いに日野君のことを自分のものだと主張している。今のところ事情はあんまし分からないものの、この二人が犬猿の中であろうことはなんとなく想像できた。
そしてまるで見せつけるかのように、四葉が日野君の腕に自分の腕を絡ませた。
当然私はその密着度に驚嘆した。そして舞さんは嫉妬をむき出しにして、弟にくっ付く四葉を引き剝がしにかかった。
「あんた私の颯に何してくれてんのよ! さっさと離れなさいよ!」
「ヤダね! 颯は私のもんなんだから。ね、はやて」
「なにふざけたこと言ってんのよ。颯は私のもんなんだから。ね、お姉ちゃんのほうがいいよね」
「年増は引っ込んでろ!」
「ガキは引っ込んでな!」
もう他人の家だろうが何だろうが、お構いなしに日野君を取り合っている。
収拾がつかなくなりかけた二人を止めたのはババ様だった。
「だまらっしゃい!」
小柄な体の、一体どこからその声量が出てくるのかというくらいの大声で、ババ様は一喝した。
「よそ様の家で、しかも颯の恩人の前で、なんというあさましさ。恥を知りなさい!」
ババ様の一喝で、日野君はようやく解放された。
舞さんと四葉はまだくすぶっていそうだったが、ようやく落ち着いて話を出来る雰囲気になったのだった。
この家の勝手を知っている日野君がお茶を淹れて、四人と私はひとまず落ち着いて湯飲みに口をつけた。
そしてまず日野君が私に申し訳なさげに謝って来た。
「星野さん、本当にごめんなさい。こちらの事情でごたごたに巻き込んでしまって」
「いえ、いいの。なんだかスキンシップが凄くってびっくりしたけど……」
日野君に続いて、ババ様も申し訳なさそうに謝って来た。
「この度は突然訪ねてきて、さらにお恥ずかしいところを見せてしまいました。どうぞ赦してやってください」
「いえ、お気になさらないで下さい。それよりおばあ様、遠い所お疲れじゃないですか」
私がそう言うと、ババ様は舞さんと四葉に鋭い目を向けた。
「このお嬢さんを見習いなさい。こうしてオババを気遣ってくれている奥ゆかしさよ。颯、おまえは本当にええお嬢さんと巡り会えたのお」
「へへへ。そうなんだ。もう星野さんと巡り会えて幸運というかラッキーというか」
ちょっと表現が被っているけれど、私はかなり嬉し恥ずかしだった。
日野君の態度に、分かり易いほど四葉という娘はイラっとした顔を見せた。
そんな表情の変化に全く気が付いていない様子で、日野君はニコニコしながらこう言った。
「四葉、星野さんは僕の恩人なんだ。粗相をしちゃ駄目だよ」
「分かってます。星野さん、よろしくね」
「こちらこそ。よろしくね」
それから、ババ様はお世話になったお礼と、島のお土産を渡したいと母の帰宅を待ったのだった。
帰宅した母は、当然ながら日野姉弟と見知らぬ二人に驚いていた。
事情を説明すると、礼儀正しいババ様に恐縮しながらも和やかに話をしていた。
出前で頼んだ中華料理を皆で囲んで食べ、賑やかな晩餐を終えると、日野君たちのこれからについて母が質問した。
「ところでこれからどうなされるのですか? お姉さんからはお盆休みに日野君と帰郷すると聞いていましたけど」
そう訊かれて、ババ様は皴だらけの顔をしかめてウーンと唸った。
「とりあえず颯に会えましたので、しばらく東京見物でもしましょうかね。四葉もそうしたいだろうし」
「やった。颯と一緒に東京見物だ」
パッと明るい笑顔を咲かせて、四葉はまた隣に座る日野君に腕を絡めた。
日野君から離れて!
そう言いたかったが、流石に口にできず静かに拗ねることしか出来なかった。
しかし願いが通じたのか、日野君はため息混じりに腕を解いた。
「四葉、暑苦しいからあんましくっ付かないでよ」
「えーいいでしょ。私と颯の仲なんだし」
少女のそのひと言に反応したのは、私だけではなかった。
母は、即座に今の発言の真意を確認したのだった。
「えっと、四葉ちゃんだったわね。その、日野君とはどういったご関係なのかなー」
「あ、はい。婚約者ですけど」
サラッと言った少女のひと言に私たちは飛び上がった。
「えーっと、聞き間違いかしら、まさか、まだ中学生だよね」
「聞き間違いではないですよ、颯とは将来を約束し合った仲なんです」
堂々とそう言ってのけた少女の前で、私は愕然としたまま日野君をぼんやりと見つめていた。
私は喉の渇きを覚えながらやっとのことで声を出した。
「日野君、本当なの……?」
日野君は少し困った表情で首を横に振ったあと、隣に座る四葉を窘めた。
「またそれかい。みんな冗談だって思ってくれてるからいいけど、本気にされるかもだし、やめてくれよ」
日野君が四葉を諭しているのを聞いて、私は思わず身を乗り出した。
「え? 冗談って?」
「いや、昔の話なんだけどね。四葉がまだ小さいころ近所に住んでいた磯六っていう同い年の男の子と喧嘩しててね」
ちょっと面白い話をするかのように、日野君は思い出話を語り始めた。
「僕が喧嘩に気付いた時は、四葉が磯六の上に馬乗りになって、脱いだ靴で張り倒していたところだったんだ。いくら止めても聞かない四葉に喧嘩の原因は何だって聞いたらさ」
日野君がその先を話そうとすると、そこに四葉が割って入って来た。
「磯六のやつ、私のことブスっていっつもからかってさ、おまえなんか誰も嫁にしてくれないって言われて、とうとう堪忍袋の緒が切れちゃって、靴の裏で気が済むまで殴ってやったわけ。そしたら颯が止めに来て、どうしたんだっていうから、こんなこと言われたって話したの」
そしてちょっとうっとりとする感じで、四葉は何もないリビングの空間を見上げた。
「そしたらさ、颯、こう言ってくれたの。私をお嫁さんにしてあげるって」
うっとりする四葉を横目に、日野君は苦笑しながら訂正した。
「いや、そうじゃなくって、殴るのをやめたらお嫁さんにしてくれるかって聞いてきたんだったよね。僕が渋ってたら、さらに磯六を殴り続けるものだから、磯六も泣いて嫁にしてやってくれって頼んできて、仕方なく……」
「なによ! せっかくいい感じの話になってたのに。でも約束は約束よ」
「無茶苦茶だよ……」
成るほど分かった。ほぼ脅迫まがいの状態で日野君に約束させたわけだ。
私が立ち直ったのと同じくして、母も立ち直ったみたいだ。
「四葉ちゃんはお転婆さんだったのねー。日野君の妹みたいな感じだったのかな」
「そうですね。四葉はそんな感じです。いつも手を焼かされている困った奴なんです」
「フン」
何だか不貞腐れてしまった四葉に、申し訳ないけれど私はほっとしていた。
それから島の話をババ様から聞いたり、日野君の普段の生活とかを教えてもらった。
彼は島ではとても素朴な生活を送っていた。
たった一人の高校生の彼は、先生と二人で毎日を過ごし、休みの日には釣りをして、晩御飯のおかずを釣って帰る。
高齢者の多い島のお年寄りの手伝いを率先してやり、また、小さい子の面倒をよく見てやる優しい子だとババ様は話した。
特に、足腰の弱ったお年寄りの荷物を運んでやるのを、日野君は日頃当たり前のようにしているのだという。
恐らく、空を飛んでということなのだろうが、そこは母の手前、言葉を濁しておいたみたいだ。
話し込んでいる間に、いつの間にか少し遅くなってしまっていた。
母は時計を見上げたあと、ババ様たちにこれからどうするのかを尋ねた。
「おばあさまたちはこれからホテルとかですか?」
「いえ、舞の家に泊めてもらうつもりです」
「えっ! なに? ホテルじゃないの?」
舞さんはびっくりしたような声を上げた。全くこの二人はコミュニケーションをとれていないようだった。
「うちはムリ。颯と二人でも狭いんだから。そもそもワンルームなんだからあと二人もなんてありえないっつーの」
部屋が狭いのは本当なのだろうが、あからさまに泊めたく無さそうな印象を受けた。
ババ様は目を閉じて眉間に深い皴を寄せて考え込んでいる。
見かねたのか、母が考え込むババ様に声を掛けた。
「あの、もし良ければ、うちに泊まって行ってください。日野君の使っていた部屋が空いてますから。お二人くらいならゆったり眠れますよ。予備のお布団もありますし」
「いえ、颯が散々お世話になったのに、わたくしたちまでもお世話になるわけには……」
「いいえ、日野君にはまだまだ返したりないくらいの恩がありますわ。ね、紗月」
「はい。母の言うとおりなんです。どうか気を遣わないで下さい」
ババ様はまたしばらく考えたあと、私たちに深く頭を下げた。
「では、今晩だけご厚意に甘えさせて頂きます。このお礼は必ずさせて頂きます」
「いいんですよ。じゃあお布団敷いてきますね」
母が席を立ちかけた時、日野君がそわそわしながら手を上げた。
「あのー」
「どうしたの? 日野君」
「僕もここに泊まっていいでしょうか。四葉にババ様の身の回りのこと、できそうにないなって思って……」
それを聞いて母はパッと顔を輝かせた。
「勿論いいわよ。その方が紗月も喜ぶし。あ、ごめん」
反射的に余計なことを言った母に、私は感謝しつつも軽く睨んでおいた。
日野君はまた分かり易く、嬉しそうに私の方を見てへへへと笑った。
「というわけで、お姉ちゃん、四葉を頼んだよ」
「なんで私がこの子を泊めないといけないのよ。私も颯と一緒がいいよー」
甘えた声を出す舞さんに四葉は目くじらを立てる。
「私だって颯と一緒がいい。ね、ババ様がお姉の家に泊まったら? 私ここで颯と同じ部屋で寝るから」
「なんでそうなるのよ。あんたは絶対に颯と一緒にさせないからね」
「私も、これ以上お姉と颯を一緒にさせないからね」
色々小競り合いがあったけれども、一泊だけだということで、結局舞さんは渋々四葉を連れて帰った。四葉も、もうそれは不満そうに舞さんの車に乗ったのだった。
そしてババ様と日野君はこの家にいる。
旅の疲れからか、ババ様はすぐに眠りについた。
そして十時を回った頃、部屋に入って一度は布団に入った私だったが、あまりに目が冴えて全く眠れそうもなかった。
しばらく悶々とした後、一度お茶を飲んでおこうと部屋を出た。
「あっ」
私は思わず小さく声を上げてしまった。全く同じタイミングで日野君が部屋から出て来たからだった。
ドキドキしながら私は小声で話しかけた。
「眠れないの?」
「うん。なんだか嬉しくって」
そう言って、彼は私の後ろに回って車椅子の押し手に手をかけた。
「星野さんは、お手洗い?」
「ううん、喉が渇いて」
「じゃあ僕も」
コップ一杯のよく冷えた麦茶を二人で飲んだあと、どうしても日野君ともう少しだけ一緒にいたい私に、彼の方から話しかけてくれた。
「あの、星野さんに相談したいことがあるんだ」
「うん。何でも言ってね」
「あのね、星野さん。明日なんだけど」
そして日野君は一緒に東京見物に行かないかと誘ってくれた。
行きたいと、即答したかったけれど、私はそう応えるのを躊躇った。
「車椅子の私がいたら邪魔じゃないかな」
「そんなこと無いよ! 星野さんがいてくれたらきっと何倍も楽しいよ!」
「あ、あの、ちょっと声が大きいよ……」
そして日野君に押し切られた私は、明日お母さんに聞いてからねと、一応一緒に行く方向で返事をしておいた。
彼と一緒に過ごした今日一日の続きがまた明日やってくる。
私はそんな期待感に、ベッドに入ったあとも、なかなか寝付けなかった。




