第27話 寄り道デート
お昼ご飯をファミレスで食べたあと、知里は帰って行った。どうやら午後から家族と出掛けるらしい。
日野君と二人きりになって、このあと何をしようかと考えながら、また彼に車椅子を押してもらって緑道を進んでいく。
まだ家までは少しある。
ここで、先日舞さんと話していて、気になっているというか引っ掛かっているアレのことを訊いてみた。
「あの、あのさ、お姉さんとの生活はどう?」
「そうだね、まあまあかな」
「そう、まあまあなんだ……えーと、それでよく眠れたりしてる?」
「え? うん、それなりに」
それなりにって、それってもしかして……。
「えっと、今はベッドなの? お布団なの?」
「星野さんは寝具にこだわる人なんだね。まあベッドなんだけど」
「ふーん、ベッドなんだ。それでなんだか寝苦しいとかない?」
流石のおかしな質問に、日野君はやや首を傾げた。
「寝苦しいこと? うーん、そうだね、なんだか色々当たって熟睡できないってゆうか……」
「い、色々当たって熟睡できないの!」
「うん、お姉ちゃんがなかなか寝かせてくれなくって」
「な、なに? いったい何をされたの!」
もう変なのしか浮かんでこなかった。
半分取り乱した感じの私を、日野君は不思議そうに見ながら話してくれた。
「お姉ちゃん、寝相がひどくって、手とか脚とかいろいろ飛んでくるんだ。もう怖くって、今は硬いカーペットの上で寝てるんだ。もう毎日体が痛くって」
「なんだ、良かったー」
「いや、カーペットが硬くって、そんなに良くないんだけど……」
日野君には悪いけど、一気にクールダウンした。
そしてもう一つ、更に気になっていることを訊いてみた。
「えっと、お風呂は? 部屋のお風呂ってどうなの?」
「えっとそうだね、ちょっと星野さんのとこより狭いかな」
「そうなんだ。それでその、お風呂場で何か起こったりはしてない?」
またまた日野君は首を傾げた。おかしな質問をしているのは百も承知なので、ここは気にせず押し切ろう。
「変なこと聞くんだね。お風呂場で何か起こるってなんだろう……」
「その、あれよ、お姉さんとお風呂の時間がかぶったりとかなーんて」
「ああ、そのことね」
「なに? 何かあった!」
「僕が入ってると、お姉ちゃんも入ってこようとするんだ。昔は一緒に入ってたからって。狭いから嫌だって毎回追い出してるけど」
「やっぱりそうか……」
思うに、歳の離れたキュートな弟を溺愛しすぎて、その愛情がどういったものなのか、自分でもよく分からなくなってしまっているのでは無かろうか。
そう思うと余計に心配になって来た。
「そ、それで、何か間違いとか起こったりしてないよね」
「間違い? どうゆう意味?」
「それは、私の口からは……」
「まあ、あんまりしつこいんで、背中だけ流してもらってるんだ。困ったお姉ちゃんだよ」
今のところ手を出されてはいないみたいだ。しかし油断も隙も無い姉だ。
そして日野君は、珍しく愚痴っぽいことを口にした。
「部屋にいるときは慌ただしいし、いない時は出歩くなって言われてるから退屈だし、動物大全集全十三巻のDVDはもう二周目だし、星野さんには会いたいし、ちょっと色々悩んでるんだ」
会いたいと言われてまたドキッとした。日野君は何でも直球で来るから思春期の私としては、嬉しいけれど時々困ることがある。
「えっと、じゃあ、動物のビデオ以外のもの、これから観る?」
「うん。観たい。どんなビデオ?」
「そうだね……」
そこでちょっと考えて、ふと思い当たった。
「日野君って、映画館行ったことある?」
「ううん。無いよ。でも映画館っていうものが在るっていうのは知ってるよ」
それはそうだろう。島民八十人の島だ。映画館がある方が不自然だ。
それならばここはひとつ……。
「あのさ、日野君さえ良ければ、これから映画観に行かない?」
「ホント!?」
多分興奮したのだろう。車椅子が一瞬地面から離れた。
「あ、ごめん。つい興奮しちゃった。ホントに? ホントに星野さん、僕を映画館に連れてってくれるの?」
「うん。私と一緒だと日野君も大変だろうけど」
「そんなこと無いよ。星野さんと映画館かー、夢みたいだなー」
「お、大袈裟だよ……」
なんだか猛烈に顔が熱くなってきた。これってもうあれかも……。
頭の中に、カップルが休日にするカタカナ三文字が浮かんできた。
「じゃあ星野さん。案内してくれる? 僕は君と一緒にどこまでも行くからね」
「うん。映画館までだけどね……」
そして私たちは緑道をUターンして、夏の陽射しを避けながら駅を目指したのだった。
甘いキャラメルのポップコーンとLサイズのドリンク。
車椅子なので、私と彼は端の方の席だったけれど、平日だからか意外と映画館は空いていて、落ち着いて観れた。
この夏話題のアニメ映画。
半端ない興奮を私は彼から感じ、私は彼が隣にいることにドキドキしっぱなしだった。
そしてもう一つ。
映画が始まってからずっと、彼は私の手を握り締めていたのだ。
もうこれってアレそのものじゃない……。
暗い映画館のお陰で、赤面しているのを彼に見られずに済んだ。
そしてフィナーレ、主人公の男の子とヒロインの別れのシーン。
日野君は瞬きもしないでたくさん涙を流していた。
エンドロールを最後まで観て、私たちは映画館を出た。
駅前のドーナツ店。
私たちは一つずつドーナツを選んで、向かい合わせに座った。
日野君はカスタードクリームの入ったドーナツを一口齧って、幸せそうな顔をした。
私もチョコレートでデコレーションされたドーナツを一口齧った。
中の生クリームがとても甘くて、とても幸せだった。
「映画、どうだった?」
頬を少し赤く染めて上気した感じの日野君は、感想を言葉にしにくいのか少ししてから口を開いた。
「泣いちゃった。もうなんて言ったらいいか分かんないや」
「良かったってことでいい?」
「もう凄く。でもあの二人には離れ離れになって欲しくなかった。ずっと離れず一緒にいて欲しかった」
「うん。私もそうだよ」
劇中のヒロインがさよならを言ったとき、私の胸は締め付けられるようだった。
主人公の少年に、私は日野君を重ね合わせてしまっていたのだと思う。
物語が終わっても、こうして向かい合ってドーナツを食べるような、そんな結末が私たちにあればいいな。
私はドーナツの甘さを感じながら、そんなことを思い描いていたのだった。
夕暮れ時。
紫色の高い空に、気の早い星が瞬き始めた。
マンションの前で少年は名残惜しそうに私と向き合う。
「今日はありがとう。映画に連れて行ってくれて」
「ううん。私こそ楽しかった。ありがとう」
もうお別れなのか。またあっという間に一日が過ぎてしまった。
日野君は飛び去ろうとせず、まだ何か言いたげにそわそわしている。
「どうしたの?」
「いや、なんだか不思議な感じなんだ。前に漫画サークルで部長に見せてもらった原稿みたいな一日だったなって」
そう言えば部長の原稿にヒロインのデートシーンがあった。二人で映画に行ったあと軽くお茶を飲んで、ヒロインを送ってから最後に……。
キスしてたわ!
思い出して、私の心臓は跳ね上がったのだ。
彼からそんな話をしてきたってことはそうゆうこと?
これからそうしていいかって、口に出さずに聞いてきてるってことなの?
今日ここで、この星の見え始めた綺麗な空の下で、アレが起こっちゃうってことなの?
そして日野君は少し腰をかがめて私の目線の高さになった。
「星野さん……僕……」
「はい……」
日野君の手が伸びてきた。
戸惑いが90パーセント。残りは……。
ゆっくりと近づいてくるその瞬間を前に、私の小さな胸は高鳴り、その音が彼に聞こえてしまうのではないかと心配になった。
そして、伸びてきた彼の手は、どうゆうわけか私の膝の上の手提げ鞄に置かれた。
「星野さんに借りてもらった本、次に来た時にまた読ませてもらうね」
「え?」
「帰りはスピード出すつもりだから落としちゃったら大変だし、学校に行く日にまた読ませてもらおうかなって」
「そ、そうね。うん。その方がいいよね」
「じゃあまたね」
そして少年は空に舞い上がった。
あっという間に飛び去った少年は、余韻も何もかもを持ち去っていってしまった。




