第23話 超音速旅客機
窓の外では照り付ける日差しの中、サッカー部と野球部が練習をしていた。
熱い少年たちの声が聴こえてくる中、少しカーテンが揺れるくらいのそよ風が吹くこの三階の教室には、ゆったりとした時間が流れていた。
少年が見守るなか、黙々と原稿を描き進めていくうちに、向かいに座る知里の手が止まった。
「あのさ、ヒロインの相手役の男の子なんだけど、いくら何でも日野君に似すぎてない? て言うか、日野君そのものなんだけど」
「し、仕方ないじゃない。だって身近なモデルって日野君しかいないんだし……」
そのやり取りを聞いて、日野君は知里の机にある原稿を覗き込んだ。
「ホントだ。僕そっくりだ。へえ、星野さんって凄いね」
「あ、ありがとう……でもたまたまだから、あんまり気にしないで」
指摘されるだろうとは思っていたけれど、流石に本人の前では恥ずかしすぎた。
知里は動揺している私を見て楽しんでいる。
無視して原稿に目を落としてまた描き進めようとすると、まだしつこく絡んできた。
「ねえ紗月、この出会いのあと、ヒロインと空飛ぶ少年の中が深まっていくのはいいんだけど、せっかく空を飛んでるわけだし何かイベントも考えてるんでしょ?」
「ん-と、それはこれから……」
確かにイベントは、もういくつも起こっていた。
でも海に出掛けて二人で空を飛んだことは、二人だけの秘密にしたかった。
「それでさ、この少年ってどれだけの速さで空を飛ぶ設定なの? 飛行シーンとかってスピード感とか大事じゃん」
そこにすかさず日野君が割り込んできた。
「ごめんなさい。僕も何キロくらいとか、詳しいこと分からなくって」
「え? 何で日野君が応えるわけ? 漫画の話だよ」
またややこしくしてしまった少年に、私はすかさずフォローを入れた。
「それはさ、日野君にちょっと相談したわけ。もし日野君が漫画の空飛ぶ少年だったらどんな感じかなーって」
「あーそうゆうことね。男子目線でリアリズムを出そうって感じ? 紗月もこの作品に相当気合入ってる感じだね。私も気合い入れよっと」
完璧に尻ぬぐい出来た。知里はまたやる気を出して原稿に向かった。
私も黙々と机に向かう。十五分ほど頑張ったあと、手が疲れたのか、知里は筆を置いて水筒のお茶に手を伸ばした。
「フー」
窓の外に目をむけた知里は、空を指さして私を振り返った。
「すっごい飛行機雲。そういえばさ、あれ知ってる? 空を飛んでる繋がりで思いだしたんだけど、最近ニュースで話題になってるアレ」
「あれって?」
「あれよ。超音速旅客機。アメリカが開発してるって言ってたやつがとうとう試験飛行するんだって」
その話に最前列で黙々と原稿を描いていた部長も参戦してきた。
席を立って私たちの席までやってくると、近くにあった椅子を引っ張り出して座り込んだ。
「米デルタ社が開発した超音速機『オーバーソニック』のことね。今年の夏に試験飛行を成功させて、二年後には世界を飛び回るらしいわ。たしか、現行のジャンボジェットの倍以上のスピードが出るって噂よ」
ちょっと自慢げに豆知識を披露した部長に、日野君は目を輝かせている。
空を飛ぶものに感心を持つのは、彼にとって自然なことなのだろう。
私もかなり興味をそそられ、ちょっと詳しそうな部長に質問してみた。
「二倍以上のスピードってことは、半分の時間で目的地まで行けるってことですよね」
「そうよ。騒音の問題があるから、海上だけ音速で飛ぶみたい。たしかマッハ1.7とか言ってたな」
「そんなに? ていうかその速さがピンときませんけど」
「私もよ。いったい時速何キロなんだろうね」
部長がそう言った時には知里がスマホで素早く調べ終えていた。
「えっと、時速で約2100キロって書いてあります」
「100キロで走る車の21倍ってこと!」
取り敢えずびっくりした。想像を絶するスピードに違いない。
チラと日野君に目を向けると、分かり易く興奮している。
ジェットエンジンを装備していなくとも、重力を操る少年なら、空気抵抗さえなければ、ひょっとするとそのくらいの速度で飛べるのかも知れない。
知里が開いているスマホのぺージには、オーバーソニックの画像が映っていて、それを日野君は興味深げに覗き込んでいた。
どうやらその超音速機に惹きつけられているみたいだ。
「ちょっと画面が暗くてちっさいんで見にくいな」
「そうね、じゃあちょっと待ってね」
知里はスケッチ用の新しい紙を机の上に置いて、スマホ画面の音速機をスラスラと描き始めた。
「ざっとだけど、こんな感じ」
「すごい。もう描き移しちゃったんだ。流石知里先輩」
「フフフ。この絵は君にあげるよ。家宝にしたまえ」
日野君は知里の描いた飛行機の絵を、しげしげと見つめてフンフンと頷く。
「成る程、この形状なら空気抵抗を最小に出来るわけだ……」
「飛行機好きなんだね。おこちゃまだねー」
軽くからかいの入った知里の言葉を、この時恐らく少年は聞いていなかった。まるでスイッチが入ったかのように集中し始めた日野君は、その後もずっと何かを考えている感じだった。
サークル活動が終わって、私と彼と知里の三人は、日陰になっている公園のベンチを探して、コンビニで買ったおにぎりとサンドイッチで昼食をとっていた。
知里はサンドイッチを齧りながら日野君と話している。どうやら、男子に対するアレルギー的反応は、日野君に限ってはすっかり克服できているようだ。
「いやーわるいねー、紗月だけじゃなく私まで奢ってもらって」
「いえいえ、先輩には色々お世話になってますから」
「まあ、来週も期待してるよ。後輩君」
知里は日野君にたかる気満々だ。まあお互いに馴染んでいるみたいだし、それはそれでいいことだ。
日野君は私以外に友達が出来たし、知里は話が出来る貴重な男友達が出来たことだし、この二人はなかなか息が合ってるみたいだし……。
考えているとサンドイッチの味が分からなくなってきた。
知里は私にそうしているように、少年にグイグイ入っていく。
「ねえ、日野君、私んちにも遊びに来なよ」
「え? いいの? やった」
「今日は誰もいないから。早速どう?」
「いいのかな。じゃあちょっとお邪魔します」
何だか意気投合してる。妙に二人の距離が近づいたのを見て、さらに猛烈にモヤモヤしたものが胸の中に湧きあがって来た。
「えっと、知里。家には誰もいないんだよね」
「うん。みんな出払ってるけど」
「いや、それってどうかなーって、それに日野君はまた東京に帰らないといけないから、ゆっくりしてられないんじゃないかなー」
「そうなの? 日野君」
「ううん。夜暗くならないと目立つから、明るいうちは平気だよ」
「目立つって、意味わかんないけど、そうなんだって」
この感じはそうなっちゃうの? 知里って実は日野君に関心あるわけ? 私の前で彼をかっさらっていくわけ?
なんだか予想外の展開に、どうしていいのか分からなくなってきた。
「てことで、いったん家に帰って部屋片づけとくから、後で二人で来てよ」
「うん。星野さんと後でお邪魔します」
「ジュース買ってきて。それと塩辛いやつも」
「了解しました」
二人で会うんじゃなかったんだ……。
おかしな勘違いをしていた自分が恥ずかしくなったのだった。




