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第21話 憧れの欠片

 少年と病院でお別れしてから三日が経った。

 窓から入り込んでくる陽射しが、カーテン越しに夏の眩しさを私の机に落としていた。

 エアコンをつけた涼しくて快適な部屋。

 少年がいなくなってから私は外に出なくなった。

 学校で出された課題を一つ終えて、私は漫画サークルの原稿を机に広げた。

 あれから少しだけペンを入れて、少年との出会いのシーンまでは描き切ったものの、そこから先をどうしても描けなくなってしまっていた。

 筆を進めようとすると、彼がいないという喪失感に襲われ、また涙が出てしまう。

 いつまでこんな気持ちを引きずり続けるのか、そう思いながらも、その感情を抑えることが私にはできなかった。

 母は引きこもってしまった私をそっとしておいてくれた。

 傷が癒えるまでゆっくりと待ってくれている。

 その優しさに今は甘えさせてもらっていた。

 手に届くところにあるスマホにつけたナマケモノのストラップ。

 日野君のリュックにも同じものが付いている。

 彼は今何をしているのだろう。

 まだ東京にいるのだろうか。

 それとも、もう姉と一緒に島に帰ったのだろうか。

 たった一週間ほどだった彼との思い出。

 忘れられない贈り物ををたくさんもらった。

 また会おうね。そう彼は最後に言った。いつか再会した時に、空を飛ぶ少年の物語を読ませてあげたい。ふとそう思った。

 私は姿勢を正してまた筆を執った。

 記憶に焼き付いたあの眩しさを描きたい。私は少年の面影をなぞるように線を引き始めた。


 再スタートを切った私は、一心不乱に原稿を描き続けた。

 暗くなって、夕食をとったあともすぐに部屋にこもって筆を走らせた。

 母が心配するほど、私は何かに突き動かされるように机に向かった。

 そしていつの間にか眠ってしまっていた。


 私は夢を見ていた。

 そう、あの時の夢だ。

 彼と一緒に自由な空を、夢のように飛んだ記憶。

 一生忘れることのない宝物だ。

 私の手は彼の指を覚えていて、私の体は触れ合った彼の鼓動を覚えている。今でもそこにいるかのように私は君を感じられるんだ。

 そうして私はまどろみの中、目を開けた。

 たった今まで空を飛んでいたかのような感覚が私の中に残っている。

 夢の中であの少年は、またあの空に連れ出してくれたんだ。

 カーテンを開いて窓を開けて、私はいるはずのない少年の姿を探した。

 吸い込まれそうな星々がそこには広がっていて、私は遠くの空に彼の姿を思い描いてみたのだった。


 思いがけない電話があったのは、母が会社に出てしばらくしてからだった。

 番号通知を見ると、電話を掛けて来たのは連絡先を交換していた少年の姉の端末からだった。

 私は姉の電話で日野君が電話をくれたのかと、少し気持ちを落ち着かせてから電話に出た。


「はい……」

「もしもし、先日はありがとうございました。わたくし颯の姉の舞です」

「あ、はい。先日はどうも……」


 お姉さんが何の用だろう。電話を掛けて来たのが少年でなかったことに少し落胆したものの、どの様な要件でかけて来たのか気になった。


「あの、どのようなご用件でしょうか」

「単刀直入に申し上げますが、実は星野さんに少し込み入った話がありまして、一度私と会ってもらえないかと電話したのです」

「えっと、お姉さんと二人でですか?」

「はい。弟の颯のことで」



 日野君の名前が出たことで、躊躇いはあるものの、私はお姉さんと二人で会うことにした。

 日野君のお姉さんは自宅の住所を教えると、正午過ぎには車で迎えに現れた。

 私服姿で現れた日野舞は、ぴっちりとした薄紫のサマーニットを着こなしていた。

 私が思っていたよりも、胸のラインが凄かった。


「ごめんなさいね。お休みの所を」

「いえ、家にいるだけですから。あの、日野君は元気にしてますか?」

「ええ。今、私のマンションにいるわ。お盆休みになったら弟の頼みを聞いて、一緒に島へ顔を見せに帰るつもり。それまでは二人暮らしよ」


 それを聞いて、なんだか少し気分軽くなった。もしかしたら、また会える機会もあるのかも知れない。


「じゃあ行きましょうか」

「えっと、私、普通の車は上手く乗れなくって……」


 その先を言いかけた時、日野舞は少し鼻にかかったような感じで笑った。


「心配しないで。星野さんは颯から私たちの正体を聞いているんでしょ」

「あ、はい……じゃあお姉さんも」

「ええ。颯のようにはいかないけど、私もある程度はコントロールできるわ。心配しないで」


 そして私は軽々と抱きかかえられて車に乗せられ、車椅子は簡単に荷室に積み込まれてしまった。

 弟のようにはいかないと言っていたが、今のところ同じように重力を扱えているように見えた。

 車が発進してすぐに、私はどこに行こうとしているのかを尋ねた。


「心配しないで。少し静かに話せるところに場所を移すだけよ」


 舞さんが言っていたとおり、車は何の変哲もないレストランの駐車場に止まった。店内に入ると予約していたようで奥の個室に通された。


「ここならゆっくり話せるわ」

「あの、それでお話って」

「まあ、食事にしましょう。あ、ここは私に任せてね。弟がお世話になったのを少しでも返させてもらいますね」

「はい、じゃあ、ご馳走になります……」


 かなり美味しいコース料理を平らげて、食後のコーヒーに口をつけた時に、舞さんはようやく本題を切り出してきた。


「まず星野さんにお願いしたいのは、あなたの見た颯の力を口外しないということよ」

「あ、はい。それは絶対に口外しません。日野君にもそのことは秘密だと言われました」

「ありがとう。では、ここからは少し私たちの島のことについて話しておくわ。そして話し終えた後であなたに一つ提案をするつもりなの。提案を了承するかしないかは全部話を聞き終えた後で聞かせて」


 提案とはいったい何なのだろう。

 意味深げな響きに、もともと緊張気味だった私はさらに姿勢を正した。


「あ、はい。分りました」

「では、よく聞いてね」


 そしてカップに一度口をつけたあと、舞さんの口から島の話が語られ始めた。


「我々の島は、はるか昔に特殊な能力を持つ子供が生まれて以来、ずっとその能力を使って栄えてきた。島民はどういうわけか、差はあれども重力を扱うことができた。歴史の舞台に我々一族が現れたのは徳川の時代、情報の伝達に大変な時間を必要としていた時代に我々の祖先は空を飛び、いち早く全国の情報を幕府に伝達していた。徳川は我々の特異性を独占するために島民を下界から遮断し、ひっそりと暮らすよう命じた。その代わりに島に莫大な富を与え、島民の身分を保証した。あらゆる情報を手中に収めた徳川は長期にわたり安定した政治を行い、島は長い間手つかずのままになった」


 一度話を区切った舞さんは、興味深げに聴いている私にさらに話を続けた。


「徳川の時代が終わって、情報のやりとりが通信手段によって行われるようになると、島はすぐに衰退していった。しかし、我々が持っていたのは飛行技術だけではなかった。星野さんも目にしたように私たちは手に触れたものの重力をコントロールする術を持っていた」

「日野君や舞さんのようにですね」

「単純な力仕事に能力を使うものもいたけれど、それはあまり力を持たない島民がそうしていただけ。優れた能力者は別の使い方を積極的に模索し、扱うようになった。その代表的なものが医療よ」

「そういえば日野君が言ってました。ご両親はお医者様だったって」

「わが家系の能力は他に比べて医者寄りでね、私たちは刃物で体を切り裂いて病巣を摘出していた時代に、この能力を使って外科的手術をしてきた一族なのよ」

「それって、どうやって……」

「遠隔重力操作。我々はそう呼んでいる。重力のナイフを体内で作りあげ、病巣を切り取ることもあれば、病巣を重力の膜で覆い、包み込んでこんな感じで……」


 そう言いながら、両手を合わせてグシャっと潰すような動きをして見せた。

 

「これまで病院では助からないと匙を投げられた官僚や著名人を、我々一族は癒してきたわ。私もこれから先進医療技術と自分の能力とを使って多くの人たちを癒していくつもりよ」

「すごい。立派な展望をお持ちなんですね」

「まあそれは置いといて、今の話を踏まえてあなたに最初に私が話していた提案があるの。どうだろう、星野さんのその脚を私に治療させてくれないかな」

「私の脚をですか?」


 唐突な提案に流石に動揺した。とうの昔に諦めたこの脚を、今更どうこうしようとは思わなかった。


「そう。あなたの脚は恐らく神経系の障害で動かなくなっているはず。かなり繊細な場所ではあるけど、私の遠隔重力操作で治療すれば、上手くいけば改善する可能性がある。勿論病院で全て検査したうえで安全に治療をするつもりよ」

「どうして私の脚を治そうとしてくれるんですか?」


 彼女が特別な治療法を行える医師であることは分かったが、何故私の脚を治そうと提案してきたのだろう。弟の受けた恩を返すためだけだとは考えにくかった。

 しかし彼女から返って来たのは、返答ではなく質問だった。


「星野さん、あなた、弟のことを好きなんじゃないの?」


 その唐突な質問に私は何も返せない。

 頬のあたりが熱くなってくるのを感じながら、私は必死に平静を保とうとした。

 しかし全て彼女には見透かされているようだ。


「やっぱりね、病院で会った時にそうじゃないかと思ってた。今日の私の誘いについてきたのも、あの子の名前を私が出したからなんでしょう」

「いえ、そんなことは……」

「でもあなたはこう思ってるんじゃないのかな。自分は彼にふさわしくないって。誰よりも自由な彼と、誰かの力に頼り切って生きている自分では釣り合わないって」


 そのとおりだった。私がずっと感じていたことを、客観的に核心を突いて言われたことに、悔しさと情けなさが込み上げてきた。


「私ならあなたを、そんな気持ちから解放してあげられる。いつかあなたがあの子と肩を並べて歩けるようにしてあげられるわ」


 胸が締め付けられた。諦めたはずの憧れ欠片が、まだ私の中に残っていたのをこのとき知った。


「勇気を出して。きっとあの子も望んでるよ」


 その言葉に私は、胸の奥が揺れ動くのを感じた。

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