第18話 少年の誕生日
少年の誕生日会は遅くまで続いた。
ケーキを食べ、母の作った料理を食べ終えて、私たちはたくさん話をした。
この家でこんなに賑やかに誰かの誕生日を祝うのは何年ぶりだろう。
交通事故で父が亡くなってから、いつも二人だけだったこの空間は、空を飛ぶ少年によって一変した。
母はまるでもう一人子供ができたかのように、少年の誕生日を祝った。
そしてちょっぴり羽目を外しすぎて、飲み過ぎて今はソファで眠っている。
あれからモール内で買った新しいお財布を少年にプレゼントした。
私と母からのプレゼントに少年は泣いてしまった。
純真で心の中を隠せない少年は、今は落ち着いて、私と差し向いにお茶を飲んでいる。
「ありがとう。こんなにいっぱいお祝いしてもらえるなんて」
「いいの。喜んでくれたみたいで良かった。こんなに賑やかな誕生日会は久しぶりだったし、私も楽しかった」
「久しぶりって?」
「うちは二人だけだから……お父さんがいた時はこんな感じだったなって思ってさ」
日野君は少し躊躇いを見せた。気を遣っているのが分かったので、私はこちらから父のことを少し話しておくことにした。
「雨の降る夕方だったな。私が小学校六年生の時、学校行事で遅くなった私をお父さんが車で迎えに来てくれてね、それから家に帰るまでの間に、信号無視してきた車がぶつかってきて、お父さんはそのまま亡くなったんだ。その時に私は腰を怪我して、脚を動かせなくなってしまったの」
「そうだったんだね……」
「でも、気にしないで。今はもう慣れてるから。それより日野君が来てくれて私もお母さんも嬉しいんだよ。いつも誕生日はこの店のケーキを食べるんだけど、今日は特に美味しくって。きっと日野君がいるからだよ」
日野君はちゃんとしたバースデーケーキは初めてだと言っていた。
島には洋菓子店というものがなく、ケーキを食べたければ取り寄せるか作るかしかなかったらしい。
「僕もびっくりするほどケーキは美味しかった。それと、お母さんの料理も食べたことのない料理が出て来て本当に美味しかった。星野さんの所に来てから美味しいものしか食べてない気がする」
「私も日野君が来てくれて、ご飯が美味しくなったよ。ね、日野君は島ではどんな誕生日をしてもらってたの?」
島での日野君はどんな毎日を送っていたのだろう。
ここで見せる一面の他の、私の知らない彼をたくさん知りたかった。
「お姉ちゃんがいた時はケーキを作ってくれてたんだけど、ババ様と二人になってからはケーキの代わりにちらし寿司になった。誕生日会って感じかどうかは分からないけど、島の子供たちも来てくれたりしたよ」
「へえ、賑やかそうだね。それに、ババ様のちらし寿司も美味しそう」
「うん。美味しいよ。島の魚をいっぱい入れてるからね。星野さんが、もし島に来てくれたら、ババ様がきっと作ってくれるだろうな」
日野君の故郷か……どんな素敵な所なんだろう。
「私もいつか行ってみたいな。日野君の故郷に」
「うん。是非来てよ。そしたら島中を案内するよ。君を抱いて」
ドキッ!
今心臓が変な音を立てた。
そおっとソファで眠っているはずの母を伺ってみる。
まだ寝てる。
でも油断していたら、変なことを聞かれてしまうかも知れない。
「ね、日野君、ちょっと二人で話さない……その、私の部屋で……」
「うん。そうしよう」
もう一度母が眠っていることを確認して、私は日野君を自分の部屋に招いたのだった。
私は室内用の車椅子に腰かけたまま、日野君にベッドに座ってと勧めた。
日野君は新鮮な眼差しで、それほど広くない部屋の中を見渡した。
「星野さんの部屋ってこんな感じだったんだね」
「うん、そう言えばこっちに来て、まだ私の部屋に入ってなかったね」
「女の子の部屋に入るなんて四葉以外初めてだ」
「だれ! 四葉って!」
いきなり出て来た初登場の女の子の名に、多分私は動揺を隠せていなかった。
「幼馴染だよ。一つ歳下の女の子で、僕の妹みたいな子だよ」
「ひ、日野君はその四葉ちゃんって子の部屋に出入りしてたの?」
「うーん、そんなに、いつも四葉の方から押しかけてくるから」
「お、押しかけてくるですって! 入り浸ってるってこと?」
「いや、どう言ったらいいのかな……しょちゅう上がりこんでご飯を食べてたけど」
何だか聞いているうちにモヤモヤしてきた。
相当親しい間柄みたいだけど、日野君は妹みたいな子だって言ってるし、追及するのはおかしいし、でも……。
「あ、あのさ、日野君はその子とどんな感じで遊んだりしてたの? いや、深い意味はないよ。島の子たちはどんな遊びをしてたのかなーて」
「そうだね、四葉とは釣りをしたり、学校のグラウンドで鬼ごっこをしたり……まあ他の子たちと一緒にだけどね」
「あ、そうなの? みんなと一緒なんだ。島の子はみんな仲いいんだねー」
それを聞いて、ようやくちょっと落ち着いた。
どうやら日野君はその子のことを特に意識してなさそうだし、ここは一旦忘れよう。
予定外の女子の登場で話が逸れてしまったせいで、肝心なことがまだ聞けていなかった。
「えっと、もし差し支えなければなんだけど、日野君のあれのこと、もうちょっと詳しく教えてもらえないかな。ほら、いま漫画描いてるじゃない。話を進めていく上で参考にしたいっていうか」
「ああ、知里先輩と進めている漫画だよね。勿論いいよ。なんでも聞いてね」
「うん。ありがとう。ちなみに知里は全然先輩でも何でもないけど、日野君にとっては先輩なんだね」
「うん。星野さんの昔からの友達だからね。つまり新参者の僕には憧れの先輩ってこと」
「ちょっとその感性にはついて行けてないけど、まあいいわ」
そして私は、しばらく頭の中で貯めていた少年の飛行に関する疑問点を順番に投げかけて行った。
「日野君は具体的にどういったイメージで空を飛んでいるの?」
「そうだね、まず僕が空を飛ぶときは自分の体全体を包む何かをイメージして、それから方向を決めているんだ」
「というと?」
「体の一部を対象に方向性を決めると、その一部以外は置いていかれる感じになる。例えば頭だけの方向性を決めてしまうと首吊りみたいになっちゃうんだ」
少年の言葉のままに思い浮かべた私は、そのえげつなさに身震いした。
「だから体全体を対象に、重力の方向性を決めるようにしてるんだ。あと何かを一緒に持ち上げたいときは、その対象物まで範囲を広げてから方向性を決めている。星野さんを水の中から引き上げた時もそうだよ」
「それで私の体重も軽々と持ち上げられたんだね」
「そういうこと。僕は自分自身と接触しているものを、ある程度までコントロールできるんだ」
「ある程度ってどういうこと?」
「重さはあまり関係ないけれど、大きすぎるものは無理なんだ。僕の集中力で重力の枠の中に入れられる範囲はそれほど広くないんだ。せいぜい車椅子をすっぽり覆うくらいしかできない」
「そうなんだ」
話を聞けば聞くほど奥が深い。それにしてもその力をコントロールしている日野君は相当器用な人なのではないだろうか。
ある程度飛行の感覚について聞いた後、私はちょっと子供っぽい質問を投げかけた。
「ねえ、日野君ってどれくらいスピードを出せるの? 車より速いとか?」
「普通に走っている車よりかは早いかな。北海道で移動中、だいぶ車を追い抜いた感じだったし、でも時速何キロとかはわからない」
「あんまり飛ばし過ぎたら息とかしにくくない? あと目とか口の中とかに虫が入ってきたりとか」
「星野さんの言いたいこと良く分かるよ。でもご心配なく。飛行中、僕の体は言ってみれば重力の膜で覆われている感じで、そういった干渉を受けないんだ」
「そうなの? また新しい発見だわ」
重力の膜で覆うということは、まとったその形のまま空を飛んでいるということか……。
私は頭の中で少年が飛行している感じを想像してみた。
「その重力の膜の中で日野君が風の影響を受けないとしても、膜の外側は風の抵抗を受けているんだよね」
「そうだよ。だから風の強い日は少し流されたりするんだ」
「速く飛べば飛ぶほど、空気抵抗も大きくなるってことだよね」
「星野さんの言うとおりだよ。ある程度加速したらだんだん加速力は落ちてくるんだ。それと荷物とかを持って飛ぶ場合、物が大きいと風の抵抗を受けて飛びにくいんだ」
「奥が深いんだね……」
話に感心しっぱなしの私に、ベッドに腰かけていた日野君がスッと近づいてきた。
そして目線の高さを合わせたまま、彼は私の手を取った。
いきなりの彼の行動に、私は電気ショックを浴びたかのような緊張をおぼえた。
「ひ、日野君……」
「星野さん……」
そのままゆっくり顔が近づいてくる。これってもしかして……。
彼は少しはにかんだまま唇を動かす。
「硬くならないで……」
「えっ、ま、待って、心の準備が……」
そう言いながらも目を閉じてしまった。
フワッ。
「えっ」
目を開けると体が浮いていた。
手と手が繋がった状態で、二人はまるで水の中にいるかのように一緒に浮遊していた。
「力を抜いて、体を伸ばしてみて」
「う、うん……」
「しっかり手を繋いで」
「こう……かしら……」
両手の指を絡めて体を伸ばすと丁度、カップルでダンスをしているような感じになった。
日野君はそのまま私の足の裏に自分の足の甲が来るように調整する。
「僕が感じている世界。星野さんにも感じて欲しいんだ」
「うん……」
独特の浮遊感。
ずっと車椅子に縛られていた体が、信じられないほどの自由を今、手にしていた。
まるで少年にエスコートされてダンスをしているみたいに、彼に触れられた私は部屋の中で舞い踊っていた。
夢みたい……。
少年のエスコートで部屋の景色はゆっくりと回ってゆく。
間近過ぎるほどの距離で優しい笑みを浮かべる彼。
私は一体どんな顔をしているのだろう。
躊躇いも恥じらいも忘れ去って、ほんのつかの間、私は彼とこの部屋の中で空を飛んだのだった。
「大丈夫?」
優しい声に小さく頷くと、彼は私をベッドに座らせた。
喪失してしまった浮遊感を惜しみながら、私は隣に座った少年にお礼を言った。
「ありがとう……」
「僕こそ、素敵な誕生日をありがとう」
「私こそ……」
感謝を伝えてくれた少年は明るくはにかんだ。
それはとても素敵すぎて、私には届かない輝きだった。




