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第17話 君とお買い物

 日曜日の朝、仕事で疲れているせいか、母はいつもより一時間以上も遅く起きてきた。


「ごめん。すぐ朝ごはん作るからね」


 先に起きていた私と日野君に声を掛けて、母は台所へ向かう。

 ホットケーキを焼く甘い匂いがしてくると、急に食欲が湧いてきた。

 甘いシロップと溶けかけのバター。アツアツのホットケーキで頬を膨らませている私の隣で、日野君はもっと美味しそうな顔をしていた。

 今日は休みだと聞いていたが、ややお疲れ気味の母にどこかへ連れて行って欲しいと言い出せず、今日は何をしようかと考えていると、母の方から日野君に声を掛けてきた。


「日野君、今日はお買い物でも行こうか。今着てる服、二着しか持ってないみたいだし、もう一枚くらいあった方がいいよね」


 確かに日野君は、洗濯、着替え、洗濯、着替えで着回している。

 姉に頼ろうとしていたのか、背負っていたリュックの中身はあまりにショボかった。恐らく飛行するのに、そこまで荷物を増やせなかったといった所なのだろう。

 服装にあまり無頓着なのは分かるが、雨に降られたりして着替えないといけない場面になったら困るはずだ。


「うん。そうだよ。日野君、そうしなよ」

「え、でも……」

「遠慮しないでいいって。ね、お母さん」

「そうよ。遠慮なんてしないでね。私をお母さんだと思ってくれていいのよ。そのうちにホントのお母さんになっちゃったりして。ホホホホ」

「え? というと?」


 意味ありげな母の言葉を、日野君は真剣に考え始めた。私は母を睨みつつ話題を逸らそうと腐心した。


「男の子の服ってどんなだろう。ね、日野君はどんな感じが好みなの?」

「僕はえーと、よく考えたら、自分で服を選んだことないかも。いっつもお姉ちゃんがこれにしときなさいって決めてたから」

「それでラーテルなのね……」


 想像するに、純真な弟に姉はやりたい放題だったのではないだろうか。


「たいがい動物の柄かな。僕もけっこう気に入ってるけど」

「じゃあ、今日は初めて自分で選んだら? モールに行ったら色々あるよ」

「モールって?」

「何でも売ってるおっきな商業施設よ。車で三十分くらいの所にあるんだ」

「じゃあ、お言葉に甘えて……」


 遠慮しながら、ワクワクしている。少年の分かり易い気持ちのうつろいに、母と私はにんまりした。


 そして私はモール内を日野君と一緒に周っていた。

 母は到着するなり、自分も色々見て周りたいからと、いらぬ気を利かせて退散したのだった。


 何だかデートみたい……。


 こういった感じの所で二人でお買い物とか、絶対自分には起こりっこないと思っていた。

 漫画で何度か描いた萌えシチュエーションの中に飛び込んでしまったことを全身で感じつつ、私は入ったことのないメンズファッションの店の前まで来た。


「ここなんかどう?」

「そ、そうだね……」


 日野君は入店前から緊張している。取り敢えず店頭に並んでいるTシャツから私は選び始めた。

 日野君もハンガーにかけられてあるTシャツを順番に見て行っている。

 私が彼の着ている姿を想像しながら選んでいるのに対し、彼は意外と次々にシャツを手に取って確認していっている。

 その様子を見ていて、私はもしかしてと訊いてみた。


「ひょっとして動物のプリント探してない?」

「ハッ!」


 当たりだったみたいだ。指摘されて、日野君はなんだか動揺していた。


「つい反射的に動物の柄を……どうしてなんだろう……」

「なんだか刷り込まれてる? 日野君の気に入ったものでいいんだよ」

「ごめんなさい。なんだか選べそうにないや。そうだ、星野さんが選んでくれない? お願いします」

「うん……いいよ……」


 これは彼氏の服を彼女が選ぶ萌えシーンだ。

 前に描いた漫画の一場面そのまんまを、今私は現実に体験していた。

 そして、広い店内で数点選んだあと、鏡の前に彼を立たせて服の上から順番に合わせてもらった。

 胸に小さなロゴの入っているネイビーの襟付きシャツを合わせた彼に、感想を聞いてみた。


「どう?」


 鏡の前で、そのまま日野君は、照れ笑いを浮かべて黙り込んだ。

 ちょっと気に入った?

 そんな分かり易い彼に、またちょっとキュンとなった。


「なんだか、ちょっと大人っぽくないかな……」

「そんなことないよ。すごく似合ってる」

「ありがとう……」


 その他に無地のTシャツとひざ丈のショートパンツを選んで店を出た。

 待ち合わせまで時間があったので、雑貨屋などを周ったりしたあと、先日クレープのアイスに彼が感動していたのを思い出し、甘い匂いのするクレープ店に立ち寄った。


「星野さん、これって……」

「このあいだ日野君が食べたアイスクリームの原型だよ。本物を食べて感想を聞かせてよ」


 日野君は受け取った濃厚イチゴ生クリームクレープの匂いを丹念に嗅いだあと、やや食べにくそうに一口齧った。

 はみ出し気味の苺に阻まれて分かり辛かったのか、日野君は角度をずらしてもう一齧りした。

 本物のクレープを口にしたらどんな反応をするのか、楽しみにしていた私はすぐに感想を聞いてみた。


「どう? やっぱり違うでしょ」


 そして日野君は、口をゆっくりと動かしたあと、びっくりするような笑顔をみせた。


「これは奇跡の食べ物だ。こんな美味しいものがあるなんて、世の中は知らないことだらけだ」

「良かったね。日野君って甘いものがホント好きみたいだね」


 狙い通りの反応に、私は満足度120パーセントといったところだ。


「うん。島ではババ様の作ってくれるおはぎをしょっちゅう食べてた。甘すぎるんだけどそこが良くって」

「和菓子もいけるってことだね」

「うん。ババ様のおはぎはおっきくって、二つ食べたらお腹が膨れるんだ。いつか星野さんにも食べてもらいたいな」


 ほんの少し唇の端に生クリームをつけたまま、日野君はクレープをもう一齧りする。

 本当に美味しそう。

 そんな彼の顔を見ていると、ちょっと幸せだった。


「そうだね。おはぎもそうだけど、ババ様にも興味あるなー」

「いつか島に来てくれたら紹介するよ。それにしても、星野さんのクレープも美味しそうだね」

「うん。私はこれが一番好き。生クリームチョコバナナ」

「ひと口もらっていい?」

「ええっ!」


 日野君はどんな味だか確かめたいだけなのだろうが、食べかけの私のクレープを齧るってことは、もうつまりあれじゃない。


「いやいやいや、それはいくら何でも」

「あ、ごめん。好物だったら、全部食べたいよね」

「いや、そんな意地汚くないし。ほんとにもう……」


 私は仕方なく食べかけのクレープを彼に差し出した。

 何の躊躇いもなく、日野君は喜んで私のクレープをひと齧りした。


「うん。美味しい。星野さんの言ったとおりだ」

「うん、良かったね……」


 まるで気付いていない彼が少し憎らしい。

 私はこんなに意識してしまっているというのに……。


「じゃあ、お返しに……」


 スッと目の前に彼の食べかけのクレープが差し出された。

 私は言葉もなく彼の顔を見る。

 さあどうぞと、ニコニコしている少年が、また少し憎らしくなった。

 私は髪をかき上げる。

 一齧りした彼の苺のクレープは甘くて、少しだけすっぱくって、特別な味がした。


 丁度クレープを食べ終わったタイミングで母が戻ってきた。

 もしかして一部始終を見られてた?

 買い物袋を両手に提げた母の表情を探ってみたけれど、それらしき感じはない。

 母は、自分の買い物を愉しんできたようで、満足げに私たちの座る席に腰を下ろした。


「どう? 二人とも、いい買い物できた?」

「うん。なかなかいいの買えたよ。ね、日野君」

「はい。星野さんに選んでもらって……でもちょっと大人っぽかったかなって……」

「なに言ってるのよ、日野君も、もう高校生なんだしちょっと大人っぽいくらいで丁度いいのよ。今いくつだったっけ、十五? 十六?」

「はい、十六歳です」

「ちょっと待って!」


 思わず大きな声を上げてしまった私を、母がびっくりしたような顔で見る。


「日野君、このまえ私に十五歳って言ってたよね」

「うん。そうだよ」

「いま十六歳って言わなかった?」

「うん。誕生日が来たからね」

「いつ? いつ誕生日だったの?」

「一昨日。動物園に連れて行ってもらった日だよ」

「あちゃー」


 私もそうだけど母も頭を抱えた。


「お誕生日のお祝いしてないじゃない」

「え? 動物園に連れて行ってもらったし、十分だよ」

「駄目。プレゼントだってあげてないし」

「もらったよ。ナマケモノのストラップ」

「あれはプレゼントだけど違うの。誕生日はもっと特別なんだって」


 そして慌てて少年の誕生日会をすることになったのだった。

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