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第16話 部長VS少年

 ようやくお姫様から解放された私は、席について昨日描いておいたラフ画を机の上に広げた。

 部長はまだ少し頬を紅くしたまま、私が描いたラフ画に目をとおしていく。

 どうやら先ほど破廉恥と叫んでしまったことを気にしている感じだ。

 全く純真な気持ちで口にした日野君の言葉を、やらしく妄想して解釈してしまった事実が、恋愛潔癖主義の彼女を羞恥のどん底に叩き落としたのだろう。

 穴があったら入りたい。彼女の顔には分かり易くそう書いてあった。

 かく言う私も恥ずかしながら誤解した一人なのだが……。

 しばらくして、原稿をめくる手を止めた部長は、眼鏡をクイと上げて質問を投げかけてきた。


「このページだけ途中でやめてますね。どういった理由でこうなったのでしょうか?」

「そこは難しくって。部長に相談してから仕上げようと思って飛ばしたんです」


 昨日手詰まりになった水中でのシーンのアドバイスを求めると、あっさりとヒントとなる薄手の本が部長の鞄から出て来た。


「これは水中のシーンが入った同人誌です。星野さんが描こうとしている溺れているシーンが入ってますから、参考にして下さい」

「ありがとうございます。お借りしておいてもいいんですか?」

「ええ、描き終わってからの返却で結構です。ただし丁寧に扱って下さいね」


 開いて目をとおしてみると、丁度参考にできそうなシーンが描かれてあった。これで水中のシーンは何とかなりそうだ。

 知里と一緒に、借りた本を見ていると、一階に置いてきた車椅子を持って日野君が教室に戻ってきた。


「お待たせしました」


 三階まで車椅子を運んできた日野君に、ありがたい反面、あまりやり過ぎると能力のことを怪しまれそうなので、内心ひやひやさせられた。

 部長は車椅子を運んできた少年に、ただただ感心している。


「日野君って見かけによらず力持ちなのね」

「いえいえ、僕なんて全然。ところで部員のかたはこれで全員ですか?」


 賑やかなのを想像していたのか、日野君はちょっと痛い所を突いてきた。


「まあ、あと二人いますけど、夏休みは皆さん忙しそうなのでこんな感じです。私も大学受験を控えているので、週一しかサークル活動をしてないんです」

「じゃあ、そのタイミングでここに来れた僕はラッキーですね。あ、それ、星野さんが描いた原稿ですか?」


 日野君は部長が手に持っている原稿を興味深げに覗き込んだ。

 しかし、殆ど画として仕上がっていないラフを見ても良く分からないようで、そのままただ首を傾げていた。

 恐らく日野君には全く少女漫画の知識はないはずだ。

 一昨日、ファミレスで知里と彼が会ったときに、自分たちが漫画サークルに入っていて少女漫画を描いていることは話しておいた。そして、帰宅してから空を飛ぶ少年の物語を漫画にしていいかと訊いたところ、逆に大喜びしていたのだった。

 ラフ画を見終えて、部長は眼鏡をクイと上げてから口を開いた。


「話の大筋はわかりました。でもこれって星野さんがヒロインよね。あまり描き手本人に寄せると、主観的な作品になる恐れがありますよ」


 そこで知里が手を上げた。


「部長、一応これは合作ですので、その辺りは私が客観視することでクリアできると思います。それ以上にヒロインが現実にある程度沿っていることでリアリズムと、物語全体のヒロインの個性のブレを解消できると考えています」

「うむ、一理ありますね。流石、石井さんです。あとはヒロインとその空飛ぶ少年の恋をいかに描くかですね」

「それは紗月の行動次第で……あ、ごめん」


 私が睨んでいるのに気付いて、知里は途中で言葉を切った。


「いずれにしても、今はまだ時期尚早ね。来週までに絵もそうだけど、ストーリーも詰めておくように」


 一旦ラフ画を机に戻し、部長は鞄から少し厚みのあるファイルを取り出した。


「これはわたくしが自分に課した夏の課題で、シナリオと途中まで進めた原稿です。目をとおして感想を聞かせてください」


 そして私は知里と共に部長の原稿に目をとおした。

 日野君も部長に断ってから、一緒になって原稿を見始めた。

 部長の原稿はやはり流石と唸らされる出来だった。

 まだ途中の段階で、細かく書き込まれていない所が多いものの、綺麗な線で描かれた少女漫画は、尊敬に値する出来だった。

 しかし……。

 私がそう感じたみたいに、知里も同じように感じたのか小さく手を上げた。


「えっと、部長、今回も学園純情恋愛ものなんですね」

「そうですけど、何か?」

「いえ、ヒロインと恋人が、なんというか前作の『ときめき純情水滸伝』のときとかぶってるような……」

「あらそう? 今回のヒロインはバスケ部じゃなく、アイスホッケー部にしたんだけど」


 絵柄が似るのは仕方ないとして、ヒロインと恋人の性格が前作と相当似通っている。部長はあまり気にしていないみたいだが、読み手は気にしそうだった。


「それで、見学の君はどう? 私の原稿を見て」


 部長にいきなり振られて、日野君は戸惑いつつ感想を述べ始めた。

 おかしなことを言いだしたりしないだろうか。

 私は少年が何を言い出すのか固唾を飲んで見守っていた。


「僕には、部長の作品を評価できる自信がありません」


 少年が口にしたひと言に、部長は怪訝な顔をしてハーと息を吐いた。

 素人にコメントを期待したことに、自分でがっかりしているといった感じに見えた。


「いや、テクニックについて聞いている訳じゃないんですよ。一読者の立場で、思ったままに感想を言ってもらいたいだけですから」


 早く何でもいいからコメントしてといった、ちょっとした苛立ちを語尾にちらつかせて部長は腕を組んだ。

 日野君はというと、当たり障りなくやり過ごす気は無さそうで、ここでも真正面から部長に向き合って素直に感想を語った。


「そう言ってもらっても、僕にはここに描かれているような素敵な学園生活を送った経験がないんです。星野さんには話しましたが、僕の住んでいる島には小中高合わせて八人しか学校に通っている子供がいないんです。高校生は僕だけですし、部長が描いているこんな素敵な絵の一枚一枚を見て、ただ夢みたいでときめいてしまって、もし自分がこんな舞台にいられたらって、ただ憧れてしまうだけなんです。本当にすみません。こんなことしか言えなくって」


 日野君の真剣な感想を聞き終えた部長は、顔を真っ赤にして口を開いたまま呆然としていた。その姿はまるで口から魂を根こそぎ引っ張り出されたみたいに見えた。

 この少年の純真さの前では、流石の部長も敵わなかったということだろう。

 しばらく経って、ようやく立ったまま気絶していたかのような部長の魂が戻ってきた。


「ん、んん。えーと、では来週にまたお会いしましょう」

「え? もう解散ですか」


 いきなりの終了宣言に、知里がびっくりしたような声を上げた。


「ちょっと、急に頭がぼやーっとしてきて、熱中症かしら」

「いや、そうじゃないと思いますけど」

「あ、そうそうそこの君。確か日野君とか言いましたね」

「はい。日野颯です」

「その……来週も来る? 良かったら……」


 何だか手を後ろで組んで微妙なポーズで上目遣いをした。

 その豹変ぶりに、私と知里はお互いの顔を見合わせる。

 そして私は、過去に散々目をとおして来た部長の漫画の中に、こういったシーンがあったことを思い出した。

 これって、部長が自分の作品でヒロインの告白の時に使う極めポーズじゃ……。


「いいんですか? やった。あ、でもその時は姉の所在が分かってるかも」

「あ、そうなの? 困ったな……」


 少しうつむいて爪を噛むしぐさ、これってヒロインが恋人に胸キュンさせるときのやつじゃない!

 私の胸は急にモヤモヤし始めた。

 日野君は姉にも会いに行かなければだし、学校にも来たいしで困り顔になっている。

 部長はその少年の感じを見て、ちょっと萌えているようだ。


「じゃあ、日野君とはこれでお別れってこと?」


 部長は一歩日野君に近づくと、唇を結んで体操着の端を指でつまんだ。

 それ、ヒロインが恋人を引き止めるシーンで使ってたやつじゃない!

 入りきってるじゃない! 現実に部長の世界観を滅茶苦茶持ち込んでるじゃない!

 現実に妄想をシンクロさせ始めた部長は、恥ずかし気な上目遣いを作ってさらにたたみかけてきた。


「あの、あのね、日野君にお願いがあるんだ……」

「はい。僕にできることでしたら何なりと」


 安請け合いしちゃ駄目じゃない!

 全く疑うことを知らない少年は、なんだか部長の世界に引きずり込まれようとしているかに見えた。

 そして部長はとんでもないことを言い始めた。


「あの、あのね、さっき星野さんにしてたあれ、私にもして欲しいなって……変な意味じゃなくって、原稿を描く際の参考にしたいなーって」

「あれって?」

「星野さんを、こんな感じで……わかるでしょ……」


 眼鏡の奥の細い目を全開に開いてキラキラさせながら、部長はお姫様抱っこをおねだりしたのだった。

 そして日野君が部長を抱っこしているのを想像してしまった私は、すかさず爆発してしまっていた。


 それはダメー!


 心の中で叫んだあと、私はとうとう耐えかねて机に両手をついて腕の力だけで立ち上がった。

 殆ど足には力は入らないものの、自力でこの姿勢になったのは久しぶりだった。

 それを目にした日野君は、すぐに私に駆け寄って体を支えてくれた。

 彼が力を使ったせいか、腕に力を入れなくても立っていられる。まるで水の中で体を伸ばしているように心地よかった。


「星野さん、僕に任せて」


 日野君は私の体をスッと抱き上げた。

 部長の妬まし気な視線が痛い。でもそれも気にならないくらい、胸が熱くなる。


 今日二度目のお姫様。


 嬉しくて恥ずかしくて、そして独り占めしたい。そう強く願ってしまった。

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