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第15話 漫画サークル

 夏の暑さに顔をしかめながら、知里は私の隣を歩く。

 週に一度のサークル活動日。

 通学はいつも母に送ってもらっているのだけれど、夏休み中、サークルの始まる時間は午前十時からなので、仕事に出た母には当然頼めない。

 夏休み中はサークルに顔を出さないつもりだったのだが、今朝一番に知里から一緒に行こうと電話で誘われてしまった。

 渋っていた私の話を耳にした日野君が立候補してきたので、最後は押し切られた感じになったのだ。

 そして、車椅子を涼しい顔で押しながら、日野君は期待に目を輝かせていた。


「いやー、星野さんの学校に顔を出せるなんて、もうドキドキだよ」


 ドキドキなのはこっちです。

 心の中でそう言って、相変わらずにこやかな少年を振り返って見る。

 うん、なかなか似合ってる。

 日野君は私の普段着ている学校指定の体操服を着ていた。

 流石に私服はマズいと思い、ちょっと小さいのを我慢してもらい、体操服を着せたのだった。

 この格好なら、学校でうろうろしていたとしても、何も言われることは無いだろう。

 知里は日野君の体操着姿を見てニヤついている。


「日野君、紗月の体操着、なかなか似合ってるよ」

「えっ、そう? へへへへ」

「紗月が着てた体操着を日野君が着て、日野君が来た体操着を紗月が着るわけだ……」


 何だかいやらしい想像をしてる?

 私は隣を歩く知里の尻をバシッと叩いた。


「へへへ。でもホントのことだもんね」

「黙って歩きなさいよ!」

「おー、こわっ」


 知里に指摘されたしょうもないことを、くだらないと分かりつつ意識してしまう。

 楽し気に私を押してくれる少年には気付いて欲しくない、ちょっとした秘密だった。


 漫画サークルには部室といったものは無かった。

 夏休み中はどの教室も空いているので、部長は見晴らしのいい三年生の教室を選んで私たちを待っていた。

 学校内には一か所だけエレベーターがあって、いつもはそこを使わせてもらっているのだが、夏休みだからか、エレベーターはボタンを押しても全く反応がなかった。


「あちゃー、ちょっと私、職員室で聞いてくるわ」


 知里が駆けだそうとすると、日野君が引き止めた。


「階段で行ったらいいよね」

「え? 日野君が紗月を運ぶってこと?」

「うん。まかせといて」


 サラリと言ってのけた少年に、私は大きく首を横に振った。


「いやいやいや、それはいくら何でも」

「え、どうして? 前にも星野さんを抱えたよね」

「ワーッ!」


 確かにそうだった。嘘は言っていないのだけれども、知里がいるのよ。


「え? なあに、今爆弾発言を聞いちゃったんですけど」


 知里は薄気味悪い含み笑いで、私を弄ぶ。

 顔を上げられなくなった私に、少年はやる気満々で車椅子に手をかけた。


「あ、ちょっと、ちょっと待って」

「え? どうしたの」


 私は日野君にもっと近くに来てと手招きして、知里に聞こえないよう耳元で囁いた。


「車椅子ごと持ち上げようとしなかった?」

「あ、そうか、それはマズいよね」

「そうよ。だからね……」


 その先を言おうとしたのに、日野君は何やら納得して頷いた。


「うん。わかった」


 そして少年は器用に私を抱え上げた。いわゆるお姫様抱っこというやつだった。


 わかってないじゃない!


 知里の前で完璧なお姫様抱っこで抱えられて、一瞬気が遠くなった。

 そして少年は軽く階段を駆け上がっていく。

 その素早さに知里は呆気にとられ、慌てて追いかけてきた。


「待ってよ日野君、速すぎ。どんだけ力持ちなのよ」

「あ、ごめん。ちょっと飛ばし過ぎたかも」


 日野君の腕の中で、フワリと自分の体が浮いているような感覚。

 私は階段を駆け上がる彼の腕の中で、このフワリとした感覚が肉体だけのものではなく、その他にも原因があるのではと、火照った頭の中で考えていた。


 教室に入ると部長が待っていた。

 霞恋かすみれん。我が漫画サークルで唯一の三年生であり、サークルを取り仕切る部長だ。

 時間厳守を徹底している部長は、眼鏡の奥の細く鋭い目を、お姫様抱っこされている私に向けた。

 そしてよろめいた。


「ほ、星野さん。お、おはようございます」

「部長、おはようございます」


 後から続いて入って来た知里も挨拶をした。

 霞恋は知里に軽く会釈を返した。


「ああ、石井さんもおはようございます。時間はきっちり守れましたね。それはいいのですが……」


 下がった眼鏡を押し上げて、部長が何を言いたいのか察しはついていた。


「えーと、星野さん。オホン、あなたが三階まで上がって来るにあたり、どのような方法を選択するかについては自由であるわけで、それについてはわたくしも普通なら言及することはしません。しかし……」


 やや指先を震わせながら、部長は少年を指さした。


「男子と、しかも、星野さんの体操服を着た見知らぬ男子と、お姫様の状態で現れたのには何か理由があるのですか!」


 ズボンの星野という刺繍に気が付いたのだろう。部長は頬を紅潮させつつ鋭い質問を投げかけて来た。

 実は部長は、現実の恋愛は穢れきっていると普段から吐き捨てている理想恋愛推進主義者で、虚構以外の恋愛は偽物の恋愛だと、一見矛盾した理論を平気で展開するややこしい人だった。

 この純愛以外に唾を吐く古きマーガレット主義者は、恋に関して無茶苦茶関心があるものの、今こうして目の前に現れた一見少女漫画風の現実を受け容れられないのだった。


「あのー部長、実はですね彼は……」

「初めまして、僕、日野颯と申します。今日は星野さんのサークル活動を見学させて頂きたくてここに来ました」

 

 日野君は自分の出番だと思ったらしく、常日頃のように丁寧に挨拶した。

 しかし、私がお姫様のままなので、なんとなくズレた感じに思われたに違いない。


「霞恋です。漫画サークルの部長を務めております。では日野君の方からこの状況を説明してもらえますか?」

「はい。勿論です」


 そして、日野君は自分の素性を説明すべく、姉を探して星野家に滞在していることを明かし、以前、口裏を合わせておいたとおり、遠い親戚であることを部長に伝えた。

 私がお姫様で現れたことについては、エレベーターが動いていなかったのでこんな感じになったと説明した。


「なるほど、それはドラマティックな内容ですね。で、その体操着はどういうわけで?」

「学校に来るにあたり私服では失礼と、星野さんが配慮してくれたんです。しかしこうして学校の体操着を着てみると、興奮してしまいますね」

「こ、こうふん!!」


 部長が真っ赤になってすっとんきょうな声を上げた。そして私も、恐らく知里も驚嘆した。


「なんと破廉恥な! 即刻出ていきなさい!」

「えっ? 駄目なんですか?」

「当たり前です! た、体操着を着て興奮するなんて、な、なんて汚らわしい」


 常日頃から漫画の世界に入り浸っている部長は、想像力も半端ない。頭の中では凄いことになっているのだろう。

 しかし、顔を猿のように真っ赤にして喚きたてる部長に、日野君はどうも合点がいっていない様子だ。


「あのー、学校指定の体操服を着させてもらえて、なんだかここの生徒の一員になれた気分を味わえて、舞い上がってしまっただけなんですけど」

「それを先に言いなさいよ!」


 部長もそうだが、私と知里も胸を撫で下ろした。


「それで今、部長さん、出ていきなさいの前に何かおっしゃってませんでしたか?」

「い、いや、少し考え違いをしただけです。そうね、まあ、そう言うことなら見学を許可しましょう」

「ありがとうございます」

「それはいいんですけど、いつまでその……そうしてるつもりなのでしょうか……」


 部長はお姫様の私を指さして、やや恥じらいを見せたのだった。

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