第11話 知里と少年
いったい何時からそこにいたのだろうか。
この炎天下で顔を真っ赤にして外でこちらを窺っていた少年を、私は無言で手招きした。
もうどうにでもなれという心境だった。
そのうちになんとなく肩身の狭そうな感じで、少年は店内に入って来た。
入り口で店員に対応されている少年は、遠目にも相当困惑していた。
恐らくこういった感じの店に入ったことがないのだろう。
私は恥ずかしさを蹴散らしながら、大きく手を振ってこっちに来るようアピールした。
「こっちこっち!」
店員は察してくれたみたいで、少年をこちらに案内してくれた。
少年を隣に座らせて、出来るだけ小さな声でまずは質問した。
「どうしてここにいるのよ」
「いや、ちょっと心配で……」
「玄関の鍵、閉めてないんじゃないの?」
「それは大丈夫。実は窓から……」
「まさか飛んできたの? 誰かに見られてたらどうするのよ」
「ごめんなさい……」
見るからに反省していそうな彼を前に、私も少しは落ち着きを取り戻した。
元々彼を一人にしてしまったのは私だ。心配して来てくれた彼を叱ってしまったことに、すぐに申し訳ない気持ちになった。
「私こそ、心細い思いをさせてごめんね。それにしても、外すごく暑かったでしょう」
そうして小声で話しているうちに、知里が両手にコップを持って戻ってきた。
知里はいきなり現れた汗だくの少年に目を丸くしている。もうこの状況ではなるようにしかならないと覚悟を決めた。
「だ、誰?」
「えっと、びっくりさせちゃったわね。こちら日野君。その、遠い親戚にあたる子なの」
「初めまして日野颯です。どうぞよろしくお願いします」
「あ、はい、石井知里です……」
知里は極端な人見知りだ。特に男子の前だと、アレルギーなのかというくらい硬くなる。さんざん恋愛漫画を描いてきた彼女だが、想像上の男子以外は受け付けない体質なのだ。
「でも、どうしてこの人がここにいるわけ……」
「それは……そう……犬、犬よ! もう彼ったら大の犬好きでさ、午後から犬を見に来たいっていうから、昼からは家にいる予定だったんだ。でも早く着いちゃって、たまたま通りがかったファミレスで私を見つけたってわけ。ね、日野君、そうだよね」
即興だったが、なんだか矛盾しない程度にまとめれた。
少年はまったく事情を理解できてい無さそうだが、口裏を合わさなければいけない場面であることは察してくれているみたいだ。
「そうなんです。犬が大好きなんです。それでたまたまここを通りがかったら、たまたま星野さんがいて、こうなった感じです」
当然、知里は腑に落ちていないようだ。腕を組んだまま懐疑的な目で、日野君と私の顔を穴が開くほど見つめてくる。
「紗月、あんたさっき、預かった犬はとんでもない獰猛犬だって言ってたよね。そんな犬を見に来たいっておかしくない?」
知里はありありと猜疑心を際立たせて、少年を不可解そうに俯瞰している。
ちょっと耐え難いぐらいの緊迫感だ。私はわきの下を汗が伝うのを感じていた。
「えっと、日野君は、動物を手なずけるのがそれはもう上手なの。獰猛な犬ほど、手なずけ甲斐があるって言ってたよね。ね、日野君、そうだよね」
「そ、そうなんです。僕、獰猛な犬が大好物で……」
二人とも酷いアドリブだ。ここまで酷いともう挽回できそうになかった。
知里はというと、そんなわけないだろといった顔で、猜疑心を込めた視線を突き刺してくる。
そしてとうとう、私は手を合わせて知里に頭を下げた。
「ごめん、知里。獰猛犬は嘘でした」
「だろうね。紗月にしては酷いシナリオだったわ」
あまりに馬鹿馬鹿しすぎて怒る気にもならなかったのか、知里は寧ろ可笑しそうだった。
「それで? たまたまじゃないんだったら、この状況はどうゆうことなの? 勿論説明してくれるんでしょうね」
「仕方ないわね……」
そして私は、日野君が姉を探すため、家に滞在していることを明かした。
そして知里が誤解することの無いよう、獰猛犬の話を創作したことを素直に話しておいた。
「まあそうゆうことなの。家に来ていきなり日野君と鉢合わせになったら、知里も吃驚するでしょ」
「まあ、そうかもね……」
偏っているが、部分的に奥手の知里は、大概のリアル男子にアレルギー的反応を起こす。
見たところ、獰猛犬の問題が解決してもなお、知里は日野君に対して、心の壁を維持したままだった。
そんな独特の緊張感が漂うファミレスの一角で、少年はまたあの無邪気すぎる好奇心をその顔に浮かべ、物おじしたままの知里に向かって、お構いなしに質問を投げかけた。
「あの、石井さんは星野さんのお友達なんですよね」
「あ、はい、まあ……」
知里は少年のキラキラした視線を必死に避けながらそう返した。
しかし一度ロックオンされてしまった知里はもう逃げることはできない。こうなると彼女が望む望まないに関係なく、少年の視線はどこまでも追いかけていくのだ。
「星野さんのお友達ってことは僕の先輩ってことだ」
「は?」
「僕、つい最近星野さんのお友達に入れてもらって、それでちょっと浮かれてて……」
やたらと明るく照れ笑いを浮かべた少年に、今度は私のうろたえる番が来た。
「あ、あのさ、日野君、そのことはいま話さなくってもいいんじゃないかなー」
「あ、そう? お友達の先輩から、色々星野さんのこと教えて欲しかったんだけど」
「いや、ちょっと待って。日野君、ちょっと落ち着こうね。知里は私の幼馴染で友達だけど、ここであんまし私の話を深堀りするのはやめようよ」
「あ、ごめん。じゃあ場所を変えてあらためて聞くね」
「いや、そうじゃないんだって……」
赤面しながらあたふたし始めた私と、なんだかちょっと真面目な少年。
男子を前にさっきまで臆していた知里がとうとう吹き出した。
「ヒヒヒヒ、だめ、ちょっと腹筋が痛くなってきた。さ、紗月、日野君って滅茶苦茶面白いね。ヒヒヒ」
「いや、まあ日野君はこんな感じなの……」
「いいよ。日野君に紗月のこと教えてあげても」
それを聞いて少年はパッと笑顔を咲かせた。
「やった。じゃあ先輩、お願いします」
「えっと、紗月はねえ……」
「やめてー!」
知里の口には手が届かないので、私は隣にいる日野君の耳を両手で塞いだ。
「余計なこと言わないで!」
「なあに、ひょっとしてキミ……」
「馬鹿!」
ニタニタ含み笑いをし始めた知里を、私は思い切り睨んでやった。
「冗談だって。でも日野君って変わってるね。滅多に出会わないタイプだわ」
「でしょ。彼、離島から来たの。それでじゃないかな」
「ふーん」
知里は頬に手を当てて、興味深げに少年を舐めまわすように観察した。
「天然ものね。市場価値はきっと相当なものね」
「なにマグロみたいな表現してるのよ。それより、なんだか平気そうね。男子を前にして知里がそんな感じって初めて見た」
「あ、そう言えば平気かも。日野君の雰囲気のせいかな」
知里が言ったように、間違いなくこの少年の雰囲気がそうさせたのだろう。
さっきまでモジモジしていた知里は、どこかへ行ってしまったようだ。
男子とあまり話をしたことがなかった私も、船で彼と再会した時、思いのほかおしゃべりになった経緯があった。
知里が同じ様に感じているのを、私は感覚的に理解していた。
そして知里は両手を頬に当てたまま、向かいに座る少年を真っすぐに見つめた。
「ねえ、日野君。私は日野君のことを教えて欲しいな」
「僕の? いいけど、きっと先輩にはつまらないと思いますよ」
「いいから聞かせて」
何時しか先輩と呼んでいる。そして知里は先輩と自然と呼ばれている。
確かに日野君は色々世話を焼きたくなる感じの男の子だが、ちょっと違うような気がした。
「うーん、なにから話したらいいか……」
「じゃあ、紗月と最近友達になったって言ったでしょ。その時の話を聞かせてよ」
「ああ、それは、船でたまたま再会して……」
「ちょっと待って!」
私はまた大声を上げてしまった。
しかしすでに遅かった。
「は、はーん、なるほどねー」
知里は口角を思いきり吊り上げて、私に好奇心の目を向けていた。
「さっき話してくれた漫画の構想に出て来た男の子って、彼のことだったんだー」
私は何も言い返せず、酸っぱいオレンジジュースをストローで吸いあげた。




