交代式その後の異変
屋敷に戻ったプロストの馬車の車列は、そのまま出てくる気配はない。
アストは軽業師であり、その足であっという間に目的の場所にたどりつくことができる。そのため、プロストの屋敷からはかなり離れた場所からの監視となる。
季節は初冬に突入していた。
家屋の屋根の上でじっとしているだけでは体が少しずつ寒くなってくる。
なので、アストは定期的に体を動かし、体をあっためようとしていた。
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参謀本部では各所にてプロストが何か余計なものを仕掛けたり、誰かを使ってアドルノを暗殺しようとしているのではないかと、特に元プロスト派だった人間が部屋を移動するときにはひとりひとりに監視をつけるほどの厳重な警戒ぶりだった。
また、爆発物がないか、ゴミ箱の中を何度も確認するという異様な状況だった。
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城門前では、プロストがハミルトン公国へ逃げるのではないかと警戒し、リカルドを中心に目を光らせていた。
こちらは城壁下の城門前なので、寒さは軽減されるかと思いきや、門からは螺旋状に城下町の街道が伸びているため、隙間風が通って、こちらも寒い。
リカルドも体操をして体をあたためようとしている。
この城門前でも、ゴミ箱の中の警戒を怠ることはなかった。
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軍の一番大きな訓練所では、パトリシアが退屈そうに、こちらも体操をしたりして体を温めていた。
彼女が腕組みしたりするたびに大きな胸の谷間ができる。
周りにいる兵士たちはやや顔を赤らめながら、彼女のことをちらちらと見ていた。
こちらも爆発物への警戒は何度も何度も行われた。
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自宅の屋敷に戻ったプロスト元総長の動きに変化は見られない。
プロストの自宅は不気味なくらいに静まり返っている。
プロストの屋敷を見張っているアストは思った。
(やはり夜になってから動き出すつもりだろうか)
それともこのまま、ここでじっとしているつもりなのだろうか。
アストは念のため、家屋の屋根の上から何軒かの屋根を飛び越えて、早馬役の兵士のところまで到達すると、「アドルノに今のところ異常なし、と伝えてくれ」と告げた。
そうするとその早馬に乗った男は「ははあああ!」と言って返事をし、馬に鞭を入れると、猛烈な勢いでアドルノのいる参謀本部を目指した。
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アストからだけでなく、城門や軍の訓練所、アドルノの屋敷などからも早馬が定期的に参謀本部にいるアドルノの元に飛んだ。
(このまま何もなければ、それに越したことはないが)
アドルノはそう願ったが、いきなり引退を宣言したプロストのことだ。
絶対に何かある、とアドルノは考えていた。
昼間を過ぎ、夕方になっても、プロストに動きはなかった。
アドルノは少々いらだっていた。
このまま何もなければ、それはそれで兵士たちの士気に影響が出始める。
「何もないのに、なんで俺たち見張りなんてしてるの?」というわけだ。
つまり気が緩んでしまうことを危惧していた。
といっても、気の緩みだけはどうしようもないだろうと、アドルノは半ばあきらめていた。
夜になった。
だが、まだ何も起こらない。
このままプロストは自宅で過ごすつもりだろうか。
ほんとうにそうなのか?
だとしたら、この突然の引退宣言はなんだったというのだろうか。
ほんとうにただ引退するためだけに、わざわざ儀式まで行って、自分の地位を投げ出しただけなのだろうか。
権力にしがみついていたような人間が、そんなことをするだろうか。
どうにも腑に落ちない。
何か、見落としていることがあるのではないか。
参謀本部長室でひとり真剣に考えこんでいたアドルノの地面が突如揺れ始めたのは、そこまで考えこんだ直後だった。
突然、地震のような、地響きが鳴り始めた。
遠くのほうで巨大な爆発音が聞こえる。
アドルノは参謀長室の椅子から立ち上がると、爆発音がどこから聞こえてくるか、耳を澄ました。
そして、また爆撃音のようなものが聞こえ、またしても地響きが起こった。
一瞬、アドルノは自分の身をテーブルで支えた。
いったい、どこで。
そしてまた爆発音。地響き。
三度だ。
三度の爆発音だ。
いったい、何が起こっているんだ!
「参謀総長!」
そう言ってノックもせず部屋に入ってきたのは、本部を守備するあるひとりの兵隊だった。
その兵士よりも先にアドルノは口を開いた。
「この音はなんだ?」
「わかりません、ですが、黒煙が遠くに見えます」
「ほんとうか」
アドルノは急ぎ部屋を出た。
そうして廊下を一目散に駆け出すと、参謀本部の外に出た。
外では兵士たちが、煙のあがっている方向を皆が見ていた。
ただし、その見ている方向はそれぞれが皆バラバラだ。
アドルノは参謀本部の周囲を一度、ぐるりと一周して見た。
つまり黒煙は複数個所から上がっており、煙の下は昼間のように明るく照らし出されている。
アドルノは参謀本部の屋根の見張りについている兵士に大声で声をかけた。
「煙はどこから出ている」
「はっ!正確にはわかりませんが・・・おそらくは・・・
・・・・・・
食糧庫です!」
アドルノの顔面から一気に血の気が引いた。
(しまった。そうきたか・・・!)
アドルノはその場にへたりこみそうだったが、部下たちの手前、それはできなかった。
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一方そのころ、プロストの屋敷を見張っていたアストは、三つの黒煙を見ていた。
(あれは、食糧庫か!)
しかし一気に三つ同時だ。
どうすればいい!?
とりあえずアストはここから一番近くにある食糧庫に向かうことにし、家から家へと跳躍を開始した。
(・・・・・・ひひひ~ん・・・)
ある家屋に移ったところで、馬のいななきのような声が聞こえた。
アストは跳躍する足を止め、うしろを振りかえった。
(今のは、もしや、プロストが逃げる音では?)
アストは一瞬迷った。
プロストを追うべきか。
それとも火事の現場に向かうべきか。
・・・・・・
火事の現場は自分が行ったところでどうにかできるものでもないだろう。
自分はパトリシアのように水系の魔法は使えない。
ならば、自分が追うのは・・・
アストは元来た道を引き返して跳躍した。
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さらに別の場所。
軍の訓練所にいたパトリシアは、一番近くの火事の現場に急行した。
「スプラッシュ・ブロッケード!」
パトリシアは水系の魔法をかけつづけることで火事の鎮火を計ろうとした。
しかし、火薬を使った火事の勢いは想像以上に強力で、パトリシアの魔法だけでは対処が難しかった。
「みんな、早く水を運んできて!」
「はい!」
パトリシアの周りには桶に水を汲んだ兵隊たちが大勢詰めかけた。
同じ光景は別の火事の現場でも見られた。
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城門を守っていたリカルドも近くの火事の現場に移動した。
しかしこれはあとで状況を悪化させることになる。
プロストを乗せた馬車の車列は城門を目指していた。
馬車の前後には鉄砲隊が控えていた。
プロスト自身も護身用の短筒(短い拳銃のようなもの)を胸に携行していた。
プロストの車列が城門前に現れると、当然に守りの兵士たちに止められた。
しかし、止めに入った兵士たちを、プロストは問答無用で鉄砲隊に撃たせて射殺してしまった。
城壁の上にいる兵士たちは鉄砲を持っていなかった。
代わりに弓矢で応戦するが、城壁の下、城門のそばに近づいた車列を狙うには、暗くて上からだとよくわからない。
城壁の上の兵士たちは急いで階段を駆け下りていった。
が、その間に、城門はプロストの手の者によって開門されてしまった。
そうしてプロストの車列は城門を突破してしまった。
見事、プロストは食糧庫の混乱に乗じてハミルトン公国への道を確保したわけだ。
もしも城門にリカルドが残っていれば、このような事態にはならなかったであろう。
しかしプロストには誤算があった。
アストである。
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アストは家屋の上を、屋根から屋根へ飛び移って猛烈な勢いでプロストを追った。
城門から先の外は、セバスチャンの地下要塞までずっと平原が続いている。
もしもそこまでプロストが到達すれば、プロストの勝ちということになる。
プロストの馬車の車列は三台。
アストは持ち前の軽業師としての力を活かした。一度の跳躍で馬よりもはるかに速く前に進むことができる。さら前へ前へと跳躍し、ついに一番後方の馬車に追いついた。
馬車の荷車の後方に乗っている鉄砲隊と弓隊の連中がアストを狙う。
しかし、彼らがそれらを撃つことはできなかった。
アストは右手に水晶玉を持つと、それを体の前に突き出し、一直線にあるものを狙った。
一番後方の馬車の馬は「ひひ~ん!!」と絶叫すると、転倒した。
途端に後ろに乗っていた鉄砲隊、弓隊の連中もその場でひっくり返ってしまった。
つづいて同じように、アストは二番目の馬車も倒した。
しかし、それにもプロストは乗っていなかった。
最後の一台。
あれにプロストが乗っているはずだ。
アストは前に前に跳躍し、あっという間に敵の馬車の近くまで到達した。
同じく馬車の後ろの荷車に乗っている鉄砲隊と弓隊がアストを狙う。
プロストは馬をあやつっていたが、「代われ!」と隣の弓隊の人間に告げると、手綱をその者に手渡し、自身は懐から短筒を取り出すと、後ろを向いてそれをアストに向けた。
プロストが短筒を放った瞬間、アストはそれまでよりも大きく跳躍した。
瞬間、馬車に乗っていたひとびとは、プロストも含めてアストのことを見上げた。
アストの姿が、満月と重なって逆光になり、黒い人型になった。
馬車に乗るひとびとがアストを見たのはそれが最後だった。
アストの放った水晶玉の一撃は、先頭の馬にあたり、馬車は激しく転倒した。
馬車に乗っていたひとびとは、プロストもろとも方々に投げ出された。
プロストはどこか骨でも骨折したのか、うめき声をあげながら、その場からほとんど動けないでいた。
アストがまずやったのは、倒れている敵の鉄砲や弓矢の無力化だった。
それぞれの兵士の投げ出した鉄砲や弓のところに跳躍すると、弓を手で折り、鉄砲は水晶でひとつずつ破壊していった。
さきほど倒した後方の馬車に対しても同じことをすべてし終わると、アストはプロストの元へ駆け寄った。
プロストもだが、他の兵士たちも転倒した衝撃で体がろくに動かないのか、アストへの抵抗はまったくなかった。
アストはプロストを見おろした。
プロストはアストのことを見ることもできないくらいに痛みに耐えて悶絶している。
「あとちょっとのところでしたね、プロスト総長。いや、元総長」
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プロストは右目を薄く開けてアストのことを見上げた。
やはり月明りの逆光によって、アストの顔は暗くつぶれて、はっきりとはわからない。
アストの右目だけが、彼の手に持つ水晶玉への月の光の反射によって、きらりと光っていた。
プロストは一言、「くそっ!」とだけ言った。
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アストは後ろを振り返った。
ロズベルグ連邦の空に、三つの黒煙が立ちのぼっていた。




