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引退宣言

最初、アドルノはプロスト総長が何を言っているのかが理解できなかった。

プロストが言い出したのは、自らの引退。

このプロストというひとは、自分から早期に引退し、総長をアドルノに託すと言い始めたのだ。

同時にプロストはモレノ族の族長も引退するという。


参謀本部では誰もが目を丸くした。

いったい何が起こっているのだ。

モレノ族でプロストを除こうとしていた者たちは、部族の主だった者全員の賛意をとりつけ、そこまで状況を整えてからプロストに引導を渡すつもりであった。

しかし、プロスト自らの引退宣言によって、それらは根底から覆ることになってしまった。


またプロスト総長は、アドルノに総長の座を引き継ぐための儀式を執り行うとまで言い出した。

プロストのその発言を聞いたアドルノは、(罠だ)と直感した。

プロストから参謀総長の座を引き継ぐその場で、アドルノを殺してしまおうというのかもしれない。

アドルノの所属する部族は、このロズベルグ連邦の中ではもっとも人数が少なく、その発言権も弱い。

口伝によれば、アドルノの所属するラッツ族は、はるか昔、モレノ族によって服属させられたという。

もちろん勢力が弱いからといって、いきなりアドルノを殺してしまおうものなら、内戦に発展しかねない。

だから目立たない形で、不慮の事故に見せかけてアドルノを殺すか。

もしそうなら、モレノ族からも見放されていることを悟ったプロストによる最後っ屁のようなもので、アドルノを殺したあとの内戦の危機など、プロストはまったく気にしていないのだろうか。

あるいはもっと別の何かが用意されているのか?

アドルノはその真意を計りかねた。

(現状維持はもう無理だと悟ったというのだろうか)

アドルノの頭の中はいつにも増して状況を理解するための高速回転を始めた。

しかし、どの説を取ったところで、すべて推測の域を出ないものだった。


その日、アドルノは屋敷に戻ると、いつもはみんなの集まるリビングのソファに座ってひとり考え込んでいた。

頭を抱えていたアドルノ。

しかし何度考えたところで、プロストが何を考えているのか、答えなど出ようはずもなかった。

アドルノは両腕をソファのうしろに回して思いきり仰向けになって座り、背伸びすると、両手に頭を乗せて天井を見上げた。

しばらくそうしてボーッとしていると、不意にアドルノの視界を遮るものが現れた。

「やっほ、アドさん。どしたの」

姿を表したその主の姿は、パトリシアの胸、パトリシアの顔の順にアドルノの目に映りこんだ。

パトリシアは特に気にしていないようだったが、目のやり場に困った、というか近すぎる胸にビックリしたアドルノは体を起こして両足を踏ん張ってソファの前のほうに座った。

そうしてメガネを外してそれをいつもパトリシアが足を投げ出しているテーブルの上に置くと、両目をこすった。

「ああ、プロスト総長の突然のご乱心に胸を痛めていたのさ」

「なにそれ、うそくさ」

パトリシアはけらけらと笑った。

するとドアの開く音がし、また誰かが入ってきた。

「ほんとにどうしちまったんだろうな」

部屋の外でアドルノとパトリシアの会話を聞いていたのか、リカルドはそう言いながらアドルノの元にやってきた。

「ああ、いろんなパターンを考えているが、どれもしっくりこないんだ」

「パターンって、なんですか」

パトリシアは右手ひと指し指を右頬に当てると小首をかしげて聞いた。

「プロスト総長が何を考えているのか。これから何を起こそうとしているのか、だ」

「どんなパターンがあるってんだよ」

リカルドはそう言うと、いつも座っているテーブルの椅子を引いて腰かけた。そうしてテーブルに右手で頬づえをついてその手のひらをあごにやると、アドルノの顔が見えるように身を乗り出して先を促した。

「アドルノ、どんなパターンなのか聞いてんだよ」

「なんといってもまず考えられる可能性は、参謀総長の座を引き継ぐとかいう儀式で、俺のことを殺すことだ」

「ひえ!アドさんを殺す!」

パトリシアは驚いて白い光沢のある手袋に包まれた両腕を少しだけあげてお手上げのポーズを取った。

「そんなことしたらおまえの部族の連中が黙ってないだろ?」

リカルドが当然の疑問を言う。

「そうだ。だからもしそれをするなら、周りにバレないように毒を盛るとか」

「ふーん。なるほどね。でもそれだとしても、やっぱ怪しいって疑われるよな」

「そうだ。だから、もしもそれを実行するなら、プロスト総長はほんとうに乱心してしまっている場合だろう」

「てゆーと?やけくそってわけか」

「そうだ。でもそれも考えにくいと思う。とすると、他の可能性を考えていたほうがいい」

「他っていうと?」

「まず単純に、ほんとうに引退だけするっていうパターンだ」

「それって、現実的にありえるのか?」

「あるだろう、とは思う。現時点でやめても充分に余生を過ごせるだけの余裕は、やつにはあるはずだ」

「それならおまえにとっては万々歳じゃないか」

「いや。ついこの間まで頑として態度を変えなかった総長のことだ。絶対に何かある」

「なあ、アドルノよ」

「なんだ?」

アドルノはテーブルの上のメガネを取ると、それをかけてリカルドを見た。

「おまえの考えすぎって可能性は?」

「もちろん、その可能性もあるさ」

「じゃあ、やっぱいいんじゃね?」

「おまえはそれでいいかもしれんが、わたしは仮にも軍師だぞ。軍師として、軍略を考えないのは失格だろう」

「味方に対しても戦略を練るなんて、軍師ってのは大変だな」

「リカルド。今度東洋の珍味でもご馳走してくれないか?」

「ああ?なんでそうなるんだよ」

「俺の労を労ってくれよ」

「ああ、そうだな。ここに住まわせてもらってもいるし。いいぜ」

「ちょっ。ただの冗談だよ。真に受けるな」

「ふふん」

そう言うと、リカルドもいつものように両足をテーブルの上に乗せてのけぞった。

パトリシアもそれを見て、リカルドと同じようにテーブルに足を乗せて座った。椅子の後ろでパトリシアのツインテールの端が床につきそうになる。

「で、さらに、他の可能性ってのは、ないのか?」

「ああ、まだあるぞ」

「そんなにあるのか。たとえば?」

「ハミルトンに寝返る」

「なに!?」

「え、うそ!?」

パトリシアは驚いて素っ頓狂な声をあげた。

「ありえんことではないよ」

「マジかよ!でもそれだと退職金は?」

「俺へ総長を引き継ぐときに一緒にもっていっちまうらしい」

「じゃあ、その儀式のあと、そのままハミルトンに行くと?」

「そうだ」

「いやでも、いまは国境の城門も閉じられてるだろ?」

「参謀総長、もとい、元参謀総長の馬車の車列なら、怪しまれることもあるまい」

「いやいや、出ていっても城門から先はずっと丸見えじゃないか。森とか、隠れられる場所もないんだぞ!?それだとハミルトンに逃げ込むのがバレバレじゃないか。俺たちの国はハミルトン以外に国境を接していないんだから」

「だから、その場合は、行動を起こすなら夜中だろうな」

「夜中なら、俺たちに見つからないとでもいうのか?」

「向こうはそう考えてるかもしれん」

「うーん。それは、考えにくいんじゃないか?」

「俺もそう思う」

「な、なんだそりゃ」

「とはいえ、儀式の日は、念のためにやつの屋敷は見張っておく」

「ほとぼりが冷めてから寝返る可能性もあるんじゃないのか?」

「その可能性もある。まあ、そうだとしたら、それはそれ。だいぶ経ってから寝返ったところで、やつに何かできるわけでもないだろう」

「ふーん・・・他の可能性は?」

「いや、あとは具体的に思い付くことはあまりないな」

「ああ、そうなのか」

「だから、やっぱり俺を殺すか、寝返るか、ほんとうにただ引退するだけか」

「その三つのどれかの可能性ってことか」

「うん。俺はそう思っている」

「俺もだいたいそんなところだと思うよ」

突如部屋に入ってきてそう言ったのはアストだった。

「アストさん、いつからそこにいたんですか?」

パトリシアは嬉しそうに椅子から立ち上がると、アストのそばに寄っていって、手をうしろに組むと、アストの左腕のほうから上目使いにアストのことを見た。

アストが下を見ると、そこにはパトリシアの胸の谷間が・・・

アストはアドルノのほうに目線を戻すと、ひとつ咳払いしてから話し始めた。

「いま戻ったばかりだ。ハミルトン公国について詳しいモレノ族のひとと、たまたまそこで出会ってな。少し話してたんだ」

「なに!?それはほんとうか?」

アドルノは驚いて立ち上がった。

「で、そのひとは、なんと?」

「うん。何度かプロスト総長はハミルトン公国に使者を出していたらしい」

「それは、ほんとうなのか?」

「ああ、ただ、モレノ族のほうでも間者を出して、ハミルトンに探りを入れたらしいが、プロスト総長とハミルトンの間で何か怪しい動きがあるかというと、それはなんとも言えないということだった」

「ふーん。そうか」

アドルノはちょっと残念そうに口をとがらせると、またソファにどさっと座り、仰向けになって背伸びをした。

アストもアドルノの座ったソファのとなりに座った。

ソファはふたりがけだ。

ソファをふたりに占領されてアストの隣に座れなくなったパトリシアはちょっと残念がったが、ふたりのそばにあるテーブル席の椅子を引き、アストのほうを向いて腰かけ、両ひざに両手を乗せると、前のめりになってふたりの会話を聞くことにした。

ということで、またしても胸の谷間がアストの前に完成した。

先に話し始めたのはアストだ。

「儀式の日の警備は、厳重にしたほうがいいんじゃないか?」

「ああ。もちろんそのつもりだ」

「出された飲み物や食べ物は、どうするんだ?」

「どうするというのは?」

「毒味に決まってるだろ」

「手をつけなければいいだけだろう」

「向こうが『なぜ手をつけないのかね?』とか言ったらどうするんだ」

「そのときは、飲むなり食うなりするよ」

アストはソファから体を起こすと露骨にあきれた表情でアドルノの顔を見下ろした。

「あのなあ」

「ふふ。そんなあからさまな手口だったら、その場で総長は一巻の終わりだろ」

「そうなのか?」

「少なくとも、おまえは許さないだろう?」

「いや、そうだとしても、おまえに死なれでもしたら、このロズベルグ連邦はどうなってしまうと思ってるんだ」

「別にどうもならないよ」

「お、おまえなあ・・・」

「アスト。君がいれば大丈夫だ」

「あ、アドルノ・・・」

「ああ、うん。アストさんがいれば大丈夫かも」

と、パトリシアはあっけらかんと言ってみせた。

「おい、パティ。そりゃどういう意味だ?」

とアドルノ。

「へ?どういう意味って?」

「それじゃまるでわたしは死んでもいいや、みたいな言い方じゃないか!」

「ええ!?だってえ、アドさんが『アスト。君がいれば大丈夫だ。きらん(目元が光る音)!』みたいに言ったじゃんか」

「いや、少しはわたしの心配もしろよ」

「ええ、なにそれー!言ってることが矛盾してるー!めんどくさーい」

パトリシアは何かを吐き捨てたように口をとがらせ顔をしかめて言った。

「はあ。まあいいや」

「よくないぜアドルノ。君に死んでもらっては困る」

と今度はアストがアドルノを咎める。

「君もしつこいな。もしも総長がわたしを殺すつもりなら、もっと派手にやると思うぞ」

「兵隊をうじゃうじゃ出してってことか?」

「そうだな。もしもほんとうにわたしを殺すつもりなら、それが一番可能性が高いと思う。毒を盛るってことは、誰がやったかバレないように工作するってことだろ?今回の場合は、そんなことしたところでバレバレだと思うぞ」

「まあ、たしかに」

「それに。俺を殺そうとするにしても、総長に同調する人間はそれほど多くないはずだ」

「いや、その考えは危険じゃないのか?思い込みはまずいだろう」

「君の言うとおり、思い込みは禁物だ。だがやつの取り巻きは、やつと同じように現状維持が目的だったようなやつばかりだ。そんなやつらが、わたしを殺すという危ない橋をわたるかというと、命令されたらやるかもしれんが、かなり士気は低いと思うぞ」

「まあ、たしかに。そうかもしれん」

「わたしのことが心底憎いというなら、むしろ『アドルノ死すべし!』とかいって進んで暗殺に荷担するだろうが、現状維持をだらだらしたがっていたやつらがそんなことをするとは思えん」

「なるほど」

「それに、もしもわたしを毒殺以外で殺すつもりなら、そのほうが我々にとっても好都合だ」

「どういう意味だ?」

「無論、返り討ちにしてしまうんだよ」

「あ・・・ああ。そういうことか」

「パトリシア、リカルド、そしてアスト。君たち三人だけでも充分に敵の攻撃を防ぎ、逆にプロストを撃ち取ることだって可能だろう」

「俺たちもいますぜ」

そう言ってリビングに入ってきたのは、パトリックとリリーのふたりだ。

「君たち、聞いていたのか」

アドルノはソファに座ったままふたりに声をかけた。

「アドルノ様。おそらく、参謀総長の部下のひとたちのことは、心配なさらなくてもよいかと思います」

そう言ったのはリリーだ。

「そうなのか?」

「はい。わたしたちがアスト様を襲撃したときも、参謀総長の部下のひとたちは、誰もわたしたちの代わりをやろうとはしませんでした」

「ああ、なるほど。そういうことか」

「はい。みなさん、自分が危険な目に遭うのを嫌がっておりました」

「おい、とはいえ、備えはしておかないと、やばいんじゃないのか?」

いままで黙って聞いていたリカルドが少し離れたテーブルの席から声をあげた。

「無論だ。当日は、リカルドとパティがわたしのそばにいてくれ」

「あれ?俺は?」

アストは自分の顔に向けて指をさすと、不服そうにアドルノに聞いた。

「おまえはセバスチャン要塞のときにもっとも重要になる人物だぞ。あぶない警護をさせるわけにはいかんよ」

「・・・」

アストはそれ以上何も言わなかった。


「ただしリカルドとパティ。君たちは、鉄砲隊にだけは注意しろよ。さすがにいきなり大勢の鉄砲隊に狙われたら、全部の鉄砲に対処するには難しいからな」

「任せてよ、アドさん。あたしの攻撃魔法で防いでみせるから」

「ふん。たしかに一気に大勢で来られると、広範囲の攻撃魔法が使えない俺より、パティのほうが役に立ちそうだな」

めずらしくリカルドはそんな弱気なことを言った。

「どうしたリカルド。いつもの勢いがないじゃないか」

挑発ではなく、素朴に疑問に思ったアドルノはリカルドにそう聞いた。

「いや。もしもおまえに何かあったら、俺はどうすればいいのかな?と思ってな」

「不吉なことを言うなよ」

「大丈夫だって、あたしに任せて」

パトリシアは右手で自分の胸をドン、とやろうとしたが、大きな胸に跳ね返されて何も音はしなかった。

「それじゃあ俺は、いざというときのための回復要員として控えておくか」

アストは納得したようで、ソファの背もたれに思いきりもたれかかると、腕組みしてそう言った。

「ああ、そうしてくれ。頼りにしてるよ」

アドルノは横のアストの顔を見てニコっと笑った。


そこでしばらくの沈黙があったのち、今度はリリーが口を開いた。

「あの、こんなことを言ったら、みなさんを混乱させてしまうかもしれないのですが」

リリーは不安そうに胸元に両手をやって祈るようなポーズを取り、上目遣いになりながらアドルノやアストたちに対してそう言葉にし始めた。

「なんだい?今は気になる情報はなんでも欲しいところだ。遠慮なく言ってくれ」

「あ、はい・・・あの」

なおもリリーはもじもじしている。

しかしアドルノたちは冷静だ。

「あ、あの・・・火薬の匂いが・・・するんです」

「かやく?」

アドルノは表情を変化させずに聞いている。

「はい。さっきプロスト総長の家の前を通ったときに、たぶん、総長の家の中からだと思うんですけど、火薬の匂いが」

アスト、アドルノ、リカルド、そしてパトリシアはそれぞれに顔を見合わせた。



その後、以上の四名はそれぞれ平民の格好に化けて、目深くフードをかぶり、プロストの屋敷前を通過してみた。

が、四人には火薬の匂いはわからなかった。

(ほんとうに火薬の匂いはしたのか?)


屋敷に戻ったアドルノたちは、全員が思案顔になってしまった。

「おい、どうするよ。リリーが言っていたことが本当なら、どこかを爆破する気なのでは?」

リカルドが当然のことを言う。

「うん。念のため。いや、最大限の警戒をすべきだな」

「ああ、なんかめんどくさいことになりそー。だってあっちこっち見回らないといけないんでしょ?」

パトリシアがそんなことを言うから、そばで聞いていたリリーが申し訳なさそうに頭を下げた。

「も、申し訳ありません。混乱させるようなことを言ってしまって」

「あ、いや、リリーちゃんが悪いわけじゃないよ」

「そうだ。むしろ貴重な情報だ。やつらが何を考えているのかわからない以上、最善の注意を払わないといけない。儀式の当日は、重要な各施設ではゴミ箱の中でも警戒しないといけなくなったな」

こうして、儀式の日の方針は決められた。


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