第十九話 エヴァの魔術
「御者である私の役割はここまでです。どうかご武運を」
ここまで馬車を運転してくれた御者に見送られ、俺たち三人は馬車を離れた。
朝日が昇ってから少し時間が経っている。
ひとまず目的地には到着したため、この後はブラックドラゴンを探すフェイズに入るわけだが――――。
「……このとんでもない魔力、ずいぶん分かりやすいね」
エヴァの言う通り、すでにブラックドラゴンらしき魔力をひしひしと感じていた。
距離にして数百メートル先。
眠っているのか、動いている様子はない。
「とりあえずは近づこう。作戦くらい立てた方がいいのかもしれないけど、ボクらはどう足掻いても即席パーティでしかないし、変に連携を取ろうとするより、各々の力でごり押しした方が強いと思う」
「……まあ、同意かな」
結局一番の課題となるのは、俺とルルがエヴァの脚を引っ張ってしまわないかという点。
今更エヴァがブラックドラゴンに苦戦するとも思えない。
しかし今回は、経験を積ませるためにこうしてわざわざルルを連れてきた。
役割を与えず、エヴァが倒して終わりでは本来の目的を果たせない。
俺たちはSランク相当の魔物を相手に、難しい立ち回りをしなければならないということ。
(……懐かしいな)
そういえば、エヴァたちがひよっこの頃、同じようにして経験を積ませようとしたっけ。
エヴァもそれを覚えていたから、ルルに声をかけたのだろうか。
だとしたら、師匠としてはかなり嬉しい。
「よし、行こう」
エヴァについていく形で、俺とルルは歩き始める。
やがてたどり着いたその場所には、巨大な生物が佇んでいた。
「感じ取った魔力から予想してたけど……こりゃでかいな」
「ブラックドラゴンの中でも、かなり長寿な個体だろうね。Sランク冒険者でも、単独討伐はちょっと厳しいかも」
そこにいたブラックドラゴンは、俺が一度見た個体よりも二回りほど巨大だった。
破壊力の塊である爪、分厚い鱗、万物をかみ砕くであろう巨大な顎。
まともな人間なら、これを見て近づこうとすら思わないだろう。
「まー、なんとかなるかな。さて、正面から挑むとしよう」
到底まとも側ではないエヴァは、容赦なくドラゴンへと近づいていく。
するとドラゴンも俺たちの接近に気づいたようで、伏せていた顔を上げた。
『……くはは、まさかこのワシに正面から近づいてくる人間がいようとは』
「おや、これは驚いた。まさか喋れる魔物とはね」
『これでも千年以上は生きている。人間の言語を理解するには、十分すぎる時間だ』
ドラゴンが体を起こす。
こうして見ると、ますますでかく見える。
ただ跳躍しただけでは、首まで剣が届くことはなさそうだ。
『それにしても、こんなちっぽけな人間を寄越すとは……人間の国というのも大したことないのう』
「ちっぽけかどうか、確かめてみるかい?」
『無論そのつもりだ。こうして向かってくる人間を殺していけば、やがて奴らがワシを魔族にしてくれるらしいからな』
「……奴ら?」
『貴様らには関係のない話だ。さて、始めよう』
ドラゴンが雄叫びを上げる。
その声には魔力がこもっており、耳にした者を硬直させる効果があるようだ。
「っ!」
俺とエヴァは耳を魔力で覆うことでガード。
しかし経験の浅いルルは、ガードが間に合わず硬直してしまった。
『ふんっ、足手まといを連れてくるとは、舐められたものよ』
ブラックドラゴンが腕を振り上げる。
俺はとっさにルルを抱きかかえ、その場を離れた。
直後、轟音と共に地面が揺れる。
地割れが起きるほどの威力を目の当たりにして、俺は苦笑いを浮かべた。
「師匠! ルルを連れて少し離れてて!」
「エヴァ⁉ 君はどうするんだ!」
「ルルの鍛錬は一旦中止。ボクはこのドラゴンに話を聞かないといけなくなった」
「……そうだな、分かった」
奴らという言葉と、魔族にしてくれるという言葉。
そのどちらも、俺たちからすれば聞き捨てならないものだ。
「先生……ごめん、私……」
「ルル、今日に関しては君はまだ気にしなくていい。今はひとまずエヴァに任せよう。彼女が全力で戦うなら、俺だって足手まといになる」
「……」
悔しげに頷いたルルを抱えたまま、俺はさらに距離を取る。
それを確認したエヴァは、ようやく腰に差していた刃を抜いた。
途端に周囲を支配する、圧倒的な威圧感。
その気配はブラックドラゴンの存在感すらもかき消し、彼女が狩る側であることを主張している。
『ふん……大したものだな、魔力量だけは』
「へぇ、トカゲでも分かるんだ」
『ほざけ! 人間の分際でワシを侮辱するなァ!』
ブラックドラゴンのギアが、一段階上がる。
千年生きたというのは、さすがに伊達ではない。
自然界で鍛え上げられた魔力は、さながら広大な湖のよう。
そこに生物的なアドバンテージが加わり、己の格を何倍にも押し上げていた。
「……さすがに魔術ナシってなると厳しいかな」
肩を竦めたエヴァは、一呼吸で完全な戦闘モードに入る。
そして一度剣を揺らし、構えを作った。
「ルル、君の実戦は先の話になってしまったけど、せめてよく見るといいよ」
人類の最高到達点。
その本領ともいえる魔術の名を、エヴァは口にした。
「――――〝星降ろし〟」
その時、エヴァに向けて天から一筋の光が降り注いだ。
光は彼女の周囲で蠢き、全身を包むようにまとわりつく。
『なんだ……その魔力は……』
ブラックドラゴンがたじろぐのも無理はない。
エヴァの魔術、〝星降ろし〟。
〝接続型〟に分類されるその魔術の効果は、空に輝く星との接続。
空の向こうで輝く星々は、研究の結果膨大な魔力の塊であることが分かっていた。
エヴァは、その星の力を体に降ろす。
接続中は星から無限の魔力を与えられ、まるで空からすべてを見下ろすかのような全能感が手に入るらしい。
「さて、やろうか」
エヴァの持つ剣に、膨大な魔力がまとわりつく。
あの剣が掠っただけで、おそらく〝魔纏〟を疎かにしている者ならば全身が蒸発してしまうだろう。
直撃すれば、たとえSランク冒険者だったとしても致命傷は避けられない。
『ま、まて――――』
「ふっ!」
エヴァが剣を振る。
するとブラックドラゴンの片翼から血が噴き出し、根本から先が地面に落ちた。
『ぎ――――――』
「へぇ、ブラックドラゴンにも痛覚ってあるんだ。まあ、生物だし当然かな?」
恐ろしいことに、あの一撃を放っておきながら、エヴァの持つ剣からは魔力が消えていない。
エヴァが魔術を発動している間は、一太刀で翼を切断する攻撃ですら特別なものではなくなる。
やろうと思えば、一瞬でブラックドラゴンの体を細切れにすることもできるのだ。
『待て……! 分かった、ワシは街を離れる……! だから……』
「ダメだよ。許してあげない」
『がっ⁉』
エヴァが剣をもう一振りすると、残った方の翼が地面に落ちた。
これでもう、ブラックドラゴンは空も飛べない。
『き……貴様ァ……!』
「翼を失って本物のトカゲになったところで……交渉の時間だよ、トカゲくん」
『なんだと……?』
「翼を元に戻してあげる。その代わり、魔族にしてやるって持ち掛けてきた奴の話、詳しく聞かせて?」
『ふんっ! 誰が人間なんぞと話なんて――――』
ブラックドラゴンがその顎でエヴァを嚙み砕こうとした瞬間、その後ろ脚が切断され、再び血が舞った。
『ぎぅ……ッ⁉』
「頭が悪いね、君。ボクは君の怪我を治してあげられるんだよ? つまり命さえ残っていれば、傷をつけ放題なんだ」
『っ⁉』
「君がうんと頷くまで、ボクは君が死なない程度に痛めつけ続ける」
ブラックドラゴンの、もう片方の脚が飛ぶ。
そして、絶叫が響いた。




