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日々を彩る、恋愛短篇集。

日々を彩る、恋愛短篇。—薔薇色—

作者: 弟切草

「日々を彩る、恋愛短篇。—新橋色—」の過去のお話となります。

環の知らなかった、そしてこれからも知ることはない、環の本当の両親のお話です。

是非最後までお読みください。

 昔の小説や広告なんかで、「薔薇色の頬」なんて表現をよく目にする。

 でも、本当の人の頬は、そう簡単には薔薇色になんて染まらない。


 初めて彼女に会ったとき、少し化粧の濃い人だなと——そう思った。

 婚活サイトでマッチングした、小柄な女性。仕事は小さな雑貨を扱うチェーン店のパート店員。コスメも扱うから、プロモーションのためにいつもしっかりメイクしているのだという彼女は、「男の人は濃いメイク苦手ですよね」とあっけらかんと笑っていた。

 確かに僕は、ナチュラルメイクどころかいっそ素顔の人の方が好印象だと思うし、化粧の濃い人は何となく我の強そうなイメージがあった。


 実際、彼女は気が強くて頑固で、ある意味最初に受けた印象通りの人だった。けれど、それと同時に、驚くほど前向きでさっぱりとした性格の人でもあった。彼女のきりっとした眉も、目尻で跳ねたアイラインも、頬骨の上に乗ったチークパウダーも、自分のためというより純粋に仕事のためのものだった。


「いろいろ研究してたら、すっかり身に付いちゃったんですよね。でも、やめるつもりはないですよ。私のメイク見てお客さんがコスメ買ってくれて……それが私の評価アップに繋がったら、いつか正社員として雇用してもらえるかもしれないし」


 本当はコスメより食器や紅茶類の販売が好きなんですけどね。彼女はそう付け足して、少しだけ困ったように頬を掻いた。



 当時営業マンで、あと一歩で昇進というところまで来ていた僕は、デートに割く時間はほとんどとれなかった。そんな状態で婚活なんてしようとしたこと自体無謀だったのかもしれない。でも、彼女はそんな僕を一度も責めることなく、あっさりと受け入れた。


『私も、今の仕事大事ですから』


 デートを前日の夜になってキャンセルした僕のスマホに届いたメッセージは、そんな端的なひとことだった。

 絵文字も記号も、スタンプもなし。僕はてっきり、このメッセージを受け取ったとき、愛想を尽かされた、と思ったのだけれど、後々やり取りを交わすうちに、これが彼女の通常運転なのだと知った。


 後日、埋め合わせのために水族館に誘うと、彼女は僕よりもずっと早く待ち合わせ場所に着いていた。

 僕は、何よりも最初に頭を下げた。


「すみませんでした。前回、突然行けなくなっちゃって」


「やだ、顔上げてください。大丈夫ですよ。前日に連絡貰えて助かりました」


「でも、その……僕たちは、婚活のためにこうして会っているわけで……。会える回数も少ない僕と関係を続けるのは、貴女にとって非効率的ではないかと……」


 目線を落として口の中で呟く僕の手を、彼女は何のためらいもなく引いた。呆気に取られているうちに受付を済ませ、水槽のトンネルをくぐったところで振り返る。


「どうして婚活始めたんですか?」


「え?」


 答える前に、彼女は続ける。


「……私、自分の好きなこと、やめたくないんです。だから、一生ひとりでもいいかなって思ってました。でも、親があまりにも心配するんで、期間限定でサイトに登録を。

 貴方を見つけたとき、真面目そうで、何だか人がよさそうだな、って思いました。だから、そんな人なら、私みたいなタイプは本気では選ばないかな、って。私が実は結婚する気がなかったとしても、後腐れなくさよならできるかな、って。……失礼だったらすみません。」


 確かに彼女は、あまり結婚生活に夢をもっているようなタイプには見えなかった。本気で相手を探しているのなら、僕のような見込みのなさそうな相手と連絡を取り続ける必要はない。さっさと別の人を探すべきだ。逆に、婚活しているという事実自体が重要なのだとしたら、会う必要のない僕との関係は好都合だ。

 僕自身、婚活サイトに登録したのは、結婚し家庭を持っているということが営業において大きな役割を果たすと分かっていたからだ。あとは、歳を重ねるごとに増していく、ほんの少しの寂しさ。

 だから、ただ、それだけの付き合い。——そう思っていると。


「でも、何だか安心したんです。私、こういう性格だし、ちょっと人から嫌われやすいって言うか、煙たがられるっていうか。それなのに、貴方はそんな私を否定しなかった。こんな人いるんだ、って、そう思いました。

 さっきも言ったけど、今の仕事、好きなので、その時間を削ってまで結婚したいとは思ってません。でも、仕事に一生懸命で誇りをもってる貴方なら、その気持ち、わかってくれるでしょ?だから……貴方となら、本気になれるかも、って思ったんです」


 それは随分と遠回しな告白だった。彼女とはほんの数回会って、ほんの数回連絡を交わしたその程度でしかなくて。それだけで、一体僕のどこを気に入ったのか、正直よくわからなかったけれど、僕は単純な男なので、いとも簡単に落ちてしまったのである。

 結局、僕が彼女にプロポーズしたのは、それから4回目のデートだった。



 ◇ ◇ ◇

「離婚してください」


 そう彼女に言われた時、そう驚きはしなかった。

 息子の環が4年生になったばかりのときだった。


「どうしても、そうするしかないのかな」


 僕は、彼女がそうすることを予想してはいたけれど、あまり納得していなかった。彼女が頑固で、一度決めたことは絶対に曲げない人だということは十分わかっている。それでも、その選択が正しいとは思えない。

 彼女は、一枚の封筒を差し出した。病院の名前が印字された、薄いピンク色の封筒だ。


「余命2年。打つ手はなし。そう言われたわ。

 私、自分の死ぬところを環に見せたくない。環を悲しませたくない。環が辛い思いをするなら、恨まれた方がましだわ」


 数年前から体調を崩しがちだった彼女。しかし、小さい頃も病弱で、胃痛や吐き気が頻繁にあったために、いつものことだと放置していた。ことが重大だと気づいたのは、職場で血を吐いたときだった。


 封筒を開き、中に目を通す。ミミズの這うような癖のある文字で書かれた、その無慈悲な言葉の羅列。

 僕は、彼女の耳に届かないように小さくため息をつき、顔を上げた。


「……離婚は、分かった。できる限り、貴女の望むようにするよ。どうしてほしい?」


「反対、しないのね」


 彼女は意外そうに首を傾げた。


「反対したって、意見を曲げるわけないって知ってるからね。貴女はそういう人だよ」


「……ありがとう」


 そして彼女は、指を3つ立てた。


「望みは3つ。1つ目は、別れたあと、絶対に環に私を探させないこと。会いたいって言っても、どこにいるか分からない、実家にもうちの親から来るなと言われてるから確認しに行けない、って言って止めて。2つ目は、私との写真を手元に残さないこと」


 そして、と区切り、続ける。


「環に、新しいお母さんをつくってあげること」


 僕は顔をしかめた。それはつまり、僕に後妻を娶れということだ。彼女の痕跡を全て消して、なかったことにして、別の女性を迎え入れろと——。


「分かってる。貴方が、そういうことを簡単にできるタイプじゃないってこと。それでも、環には母親が必要だと思う。貴方は環のこと、叱れないじゃない。しっかり者で、私くらいには気が強い人を、探してほしい。相手が見つかるまでは、私もこの家にいるわ」


 説得はもはや無意味だと悟った。彼女の目には揺らぎがない。

 結局、僕は彼女の求める全てを受け入れた。追加で、新しい母親になってくれる人が見つかったら、彼女に合わせるという条件付きで。

 

 彼女はそれからも、環の前では一度も辛そうな様子は見せなかったし、ぎりぎりまで辞めたはずの仕事に行くフリをし続けた。僕の親にも、彼女の親にも全てを話したが、環にだけは絶対に事実を伝えないと約束した。家庭をもつつもりはなかったと言っていた彼女は、最後まで立派な「母親」だったと思う。

 

 僕も、元々温かい家庭なんていうものに憧れていたわけではないし、恋愛に情熱を捧げるタイプではなかった。——けれど。


 心の中に、黒い(おり)がどんどん溜まっていく。


「貴女は、たったの一度でさえも僕を頼ってはくれないんだね」


 そんなことを、彼女に漏らしたことがある。それを聞いた彼女は、「そうでもないわ」といつものように晴れやかな笑顔を見せた。

 その頬には、いつも通り鮮やかな赤みのつよいピンク色のチークが乗っていた。



 1年後、全てを知ったうえで環の母親になってくれると——ずっと僕を密かに慕っていたのだと言ってくれた職場の後輩を彼女に会わせ、全ての準備が整った。彼女は、自分の趣味で集めていた食器や雑貨類をすべて処分し、最低限の荷物だけをまとめて、実家へと帰っていった。

 世界で最も愛する環に、「ごめんなさい」と一言残して。


 

 ◇ ◇ ◇

 彼女に再会したのは、香の匂いが立ち込める小さな小さな葬儀場だった。


「ご無沙汰してます」


 彼女の両親に頭を下げる。

 結局、環の状態を考え、すぐに新しい母親に合わせることができなかった僕は、急な出張があるからと環を僕の実家に預け、彼女の通夜に訪れていた。


 棺の、顔の部分の蓋が、小さく両開きに開いていた。そっと、覗き込む。

 両親が納棺師に彼女の写真を渡したのか、彼女の顔は、いつもの少し気の強そうな濃いメイクが施されていた。その頬は本当に血が通っているようで、実はまだ寝ているだけで、もしも環がここに駆けつけて「母さん」と彼女を呼んだのなら、すぐに「環!」と体を起こすんじゃないかと本気で思ってしまう。

 名前も知らないピアノ曲が流れる中、僕は暫く立ち尽くしていた。


「ねぇ、春義(はるよし)さん」


 鼻を啜りながら、震える声で義母(はは)は言った。


「これ。あの子から、貴方に」


 差し出されたのは、一通の手紙。

 僕は、受け取ったそれを、駐車場の車の中で開いた。


 * * *

 春義さんへ


 長い間、私をパートナーにしてくれて、ありがとうございました。

 それから、最後の最後でたくさん我儘を重ねたのに、それを全て受け入れてくれたことも。

 

 少し、昔の話をします。

 これは春義さんにも言ったことがあるよね。私、婚活サイトに登録してはいたけれど、本当に結婚する気なんてこれっぽっちもなかったの。雑貨店の仕事が好きで、自分で雑貨を集めたりお店を巡ったりするのも好きで、その時間を結婚なんていう形で奪われるのは嫌だった。

 でも、春義さんはそんな私を肯定してくれた。気が強いところも、口が悪いところも、頑固なところも、全部ひっくるめて「私」を認めてくれた。

 それって、私にとっては凄いことだったんです。


 貴方と結ばれて、不器用なくせにちゃんと貴方なりに愛してくれて、環という大切な宝物を授かって。大好きな仕事も、心のよりどころとなってくれる貴方も、可愛い可愛い環も、全部全部手に入れて。

 確かに最後、病気なんていう理不尽な理由でこの暮らしを終わらせることになってしまったけれど、それでも、私は……

 ……うん。私は、幸せだった。それは、自信もって言える。


 貴方は、「頼ってくれない」って言ってたけれど、そんなことないよ。

 だって、相手が貴方じゃなかったら、死ぬ前に離婚してほしいとも、環に新しいお母さんをつくってあげてほしいとも、言えなかったと思う。

 貴方の優しさに、懐の広さに、漬け込んだの。甘えたの。

 私がこんなことできるのは、春義さんだけだった。


 ちゃんと、伝わってるといいな。私は本当に、貴方のことが大好きだったんだよ。

 だから、本当の気持ちを言うなら。


 死にたくない。

 せめて、この世を離れるその瞬間まで、貴方の妻でいたい。

 

 矛盾してるよね。環が大切だから、環のために、貴方と別れたかった。

 でも、環がいなければ、春義さんの腕の中で、ゆっくりと弱っていけたのに、って思ってしまうの。


 ……さ、弱気な私はここまで。

 

 最後のお願いです。

 私に関わるものは全て処分してほしいって言ったけど、この手紙だけは、貴方が死ぬまで絶対に大切に持っていてください。

 今となっては、この手紙だけが、春義さんと私を繋ぐ唯一のものだから。

 この手紙を持ってくれてさえいれば、いつか空で会ったとき、その姿が変わっていても、貴方だと分かるから。


 まあ、春義さんは元々老け顔だから、あんまり変わらないと思うけどね。


 今まで本当にありがとう。

 環をお願いします。

 新しい奥さんによろしく。

 

 またいつか。

 * * *


「……最後の一言くらい、『愛してる』って言ってくれればいいのに」


 笑ったつもりだったのに、その声は酷く掠れていて、喉で詰まって、それを自覚してしまったらもう駄目だった。


「……っ、は、あっ……」


 吐息が漏れる。普段絶対に流すことのない涙が、とめどなく溢れてくる。全身が震えて、手も足も冷え切って、体中の感覚がマヒしたようになって。

 俯いたせいで、ハンドルもスーツのズボンも、びしょびしょに濡れてしまった。


 僕だって、彼女の最期に立ち会いたかった。

 最後まで、夫でいさせてほしかった。

 彼女と夫婦でありたかった。

 環の母親は彼女であってほしかった。

 僕と、彼女と、環とで、家族でありたかった。


 それを直接言わず、この手紙で初めて伝えてきたのは、きっと僕がこうなると知っていたからだろう。

 彼女に比べて、僕はずっと弱いから。

 環のためなんて考えられずに、最後まで彼女を縛り付けただろうから。


 無意識に硬く握りしめた封筒の内側が、駐車場のライトに照らされた。

 走り書きのような、小さな文字。


『私の人生は、春義さんのおかげで薔薇色でした。』


 ——ああ、そうか。

 メイクした彼女のあの頬の色は。

 僕が彼女を想うとき、一番に思い浮かぶあの色は。

  

 まさに、薔薇色だったのだ。


 僕は、彼女のその一言に、濡れた唇をそっと押し付けた。



 ◇ ◇ ◇

「ちょっと父さん。サバの塩焼きじゃなくて、こんなのただの炭じゃん」


 環が顔をしかめる。僕は、恐る恐る一口食べて、それはやっぱりひどく苦くて、べっと舌を出した。


「食べられたもんじゃないな。無理して食わなくていいぞ」


「折角春義さんが作ってくれたんだもの。ちゃんと食べるわよ。ね、環?」


 新しい妻が、にっこりと環に笑いかける。その笑顔は、女神の微笑というよりは、女帝が家臣に圧をかけているようだ。

 帰ってきたと思えばいつの間にか呼び捨てになっていたし、何かあったのだろうか。


 環はもうすぐ大学生になる。子供の成長とは早いものだ。彼女が姿を消して、環はずっと不安定だったし、新しい母親を迎えてからは更に荒れた。だが、今はすっかりこの家庭を受け入れている。参観日だって三者面談だって、両親2人とも呼んでくれるようになった。血の繋がった子供がこんなに愛おしいものだなんて、彼女と出会う前の僕には到底理解できなかっただろう。


 僕が彼女のことを環に話すことは、一生無いだろう。

 たとえ訊かれたとしても、答えるつもりはない。

 それが、彼女の望みだから。


 彼女を想い続けるのは、僕だけで十分だ。


 

 僕の車のダッシュボードには、ビニールにいれたあの彼女からの最期の手紙が曲がらないように保管されている。

 あの手紙だけは、僕が死ぬそのときまで絶対に誰にも触らせないし、死ぬときには一緒に燃やしてもらうつもりだ。

 

 そのときが来たら、僕は絶対に手紙を持って貴女を探しに行くとするよ。

 もし僕が白髪だらけでも、禿げあがっていても、深い皺が刻まれて面影なんてなくなっていても。

 

 絶対に見つけて、その薔薇色の頬にキスをさせてほしい。

最後までお読みいただきありがとうございました。

環の母親の行動は、賛否両論あると思います。

最後まで息子の傍にいるべき、そういう意見があがることもあるでしょう。

それでも彼女は、「幼いうちに家族を亡くす」という経験を環にしてほしくなかった。

そんな思いをさせるくらいなら、自分のことなんて忘れて、新しい家族と幸せになってほしかった。

彼女の願いはそう簡単には叶いませんでしたが、最終的には達成されたのだと、そう思います。


春義は、これまでも彼女を愛し続けると思います。

新しい奥さんは、あくまでも環の母親として迎え入れた人という感じで。

もちろん慈しむし、それなりに好いているのだろうけど、彼女以上には愛せないんじゃないかな、と。

相手も、彼女とも一度会って、2人の一見分かりづらいながらも強固に結ばれた絆を感じていて、でも彼女と同じように見た目によらずさっぱりした人なので、彼女に共感して全てを受け入れてくれたんじゃないでしょうか。

ご都合主義ですけどね。


天国で再会した2人が、もしくは生まれ変わって再び巡り合った2人が、薔薇色を目印に惹かれ合い結ばれる未来を望んでいます。


では、また次の作品で。

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