4.誕生日の男
恩田 徹。
白南風島で生まれ育った生粋の白南風っ子。
高校卒業後、警察学校に入学し、卒業。晴れて警察官として故郷に帰ってきたのが数年前。
現在、25歳。
昨日まで24歳だった。
そう、今日はハレの日、ハッピーバースデー恩田。
平日だよ!と朝起きて溢れる若さと、それを消費されていくだけの日々を嘆き、万感の思いと共に枕をベッドに叩きつけたことは記憶に新しい。
その後、母に、朝からうるさい!と叱られた記憶もだ。
実家では肩身の狭い恩田だが、外に出れば彼は頼りになる警察官だ。
島を歩けば道行くご老人やおじさん、おばさんによく声を掛けられる。小さい頃から島で育ち、警察官として立派になって戻ってきた恩田は島民から結構好かれているのだ。
そして恩田もまた、そんな島や島民たちの事が好きなのである。
さて、そんな恩田がこの数年間、意図的に避けてきた人物が二人いる。
毎朝行っている「地域の見守り運動」。その一環として独り暮らしのご老人の家を巡回するというものがある。
ここ、山元邸もそのうちの一つだ。
今朝、どうやらそのうちの一人がこの家にやってきているらしいことを知った。
なぜわかるのか。
恩田が山元邸の前に自転車を止めた瞬間、中から聞き覚えのある悲鳴が聞こえてきたからである。
間違えようがない、山元和人の悲鳴であった。
…なぜ悲鳴なのかは恩田にはわからなかった。
とにもかくにも、警察官としてこの島に勤務する彼が「旧友」の悲鳴を聞いてすぐに考えたのは。
(帰ろう)
職務の放棄だった。
いやいや、だってほら、見に来ているのは山元のおばあちゃんの方だし、孫が中にいるんなら大丈夫でしょ元気でしょ、決して職務怠慢とかではなく、そう、これはあれだよ、職務の効率化、働き方改革。俺、今日誕生日なんだ、このぐらいいいだろ。
と、制帽を取って頭を冷やしながらひとしきり理論武装する。
夏の朝日が直接頭に当たり、余計暑くなった。
警察官として、悲鳴が聞こえたのなら中を確認するべきだろうか。
しかし「あの」和人だ。
「あの」山元家からの悲鳴…。
うん、日常茶飯事だね!
少なくとも和人がこの島に住んでいたころは日常茶飯事だった。
山元和人はいわゆるガキ大将だった。
島中の子供たちのリーダーで、和人が東と言えば東に、西と言えば西に走った。
良くも悪くも一種のカリスマ性を持っていたと言ってよい。
男女分け隔てないし、思い切りがいいからか喧嘩も強かった、上級生さえ和人に一目置いていたほどだった。
そんな感じで、決して悪い思い出ばかりではなかったし、ぶっちゃけ恩田自身もそんな和人と一緒に結構色々やったほうだ。
会えば弾む話もあるし、和人は口も達者だからきっと近況を聞くだけで面白いだろう。
だが、恩田は帰りたかった。
恩田イズウォントゥーゴ―ホームだった。
どうしても、今日は和人に会いたくない、できればもう数か月は会いたくない。
いや、何だったら金輪際会いたくない。そんな事情が恩田にはあったのだ。
しかし、残念なことに恩田は公務員だった。
恩田が今日の誕生日を見越して先週購入したバイクは元をたどれば税金で、恩田の給料とは地域社会を守るという条件でもらうものだった。
その地域のお宅から悲鳴が上がったならばそれは事件なのでは?
いや、事件じゃなければいいのだ。
だが、無視したあげく事件だった場合は…。
あー、むりむりむりむり。むりでーす、一生後悔しまーす。
その結末に精神が耐えられる気がしなかった恩田は、帰りたいと叫ぶ手と足と心臓と肋骨肺肝臓…とにかく首から下の叫びを無視して渋々呼び鈴を鳴らすことにした。
(頼む、出てくるな!かっちゃん出てくるな!せめて静香…いや、山元のおばあちゃんであれ!)
決断した割に、往生際の悪い恩田だった。
「はい~!」
玄関扉のさらに奥から声が近づいてくる、気配から察するにそのまま扉を開けようとしているらしい。
ああ、これ都会だったら危ないよなぁ。と、島の防犯意識の低さに呆れながらも少なくとも返答が女性の声だったことに少しホッとする恩田。
あれ?でも誰だこれ。と、声に聞き覚えの無いことに疑問を覚えた瞬間、ガラッと、玄関の扉が開いた。
「えー…ホントにだれ?!」
「え…っと。警察の方です…か?」
その背の低い女性に恩田は、本当に見覚えが無かった。
大人びた中学生…一瞬お嬢ちゃんどちら?と言いかけた恩田だったが、恩田の天性ともいえる人の顔色をうかがう能力が警鐘を鳴らす!
よく見ろよく見ろよく見ろ!
LOOK!早朝から綺麗にまとめられた髪!
LOOK!薄く施された化粧!
LOOK!随分と発育の良い事!!
最後のは口に出せば懲戒免職モノだったが沈黙を守ることでその危機すら恩田の第六感は回避することに成功した!
間違いない、このクオリティは女子児童にはありえない!
良かった、きっとここでお嬢ちゃんなんて言えば、この女性から報復を受けたに違いない。
具体的には、たぶん脛にローキックをお見舞いされて悲鳴を上げながら悶絶する、なんてね。
偶然にも先の悲鳴の原因を突き止めたことに恩田は気づかなかった。
「あの…?」
と、いつまでも固まったままの恩田に、目の前の(随分と)小柄な女性が上目遣いになりながら声をかけてくる。
あ、よく見るとめっちゃ可愛い人だ!トランジスタグラマーってやつだ!ラッキー!誕生日ラッキー!等と不謹慎なことを考えながら恩田は少し慌てながら答えた。
「あ、はい!私、白南風署のおん…んっ!…白南風署の者です。先ほどこちらのお宅から悲鳴が聞こえましたが、いかがなさいました?」
恩田はとっさに名前を伏せた。
何せここは「白南風の伏魔殿」事、山元邸。少なくとも恩田の再開したくない人同率一位である和人がいることが明らかな以上、情報は秘匿すべきなのだ。
「あー…それはその…」
(え…そこで言葉を濁さないでほしい)
そこで言葉を濁されると何かあることを疑わなきゃいけないし、何かあったら確実に中に入らなきゃいけないし、入ったら確実に和人に会わなければいけない。
でも警察官だし!なんかまずいことになってたらこっちまで不味いし!と、割と利己的な恩田である。
「えっと、山元のおばあちゃんのお孫さんですか?」
恩田的最悪の事態を回避するために、とりあえず会話を誘導することにした。
もし問題になった時は、突然警察官が訪ねてきてびっくりした中学生に人道的に優しくしたことにしよう。そう、これは親切心。警察官として正しき行い。決して、誘導尋問とかではない!
何度も言うが恩田は利己的であった。
「え~と…あ、そうです」
はっきりしてぇ!と、心の中で悲鳴を上げる恩田。
しかし、言質は取った。
「ははっ、やっぱり。いえね、初めてお見かけした方だったので。それでさっきの悲鳴なんですけど…別に、誰か怪我したとかじゃないですかね?」
このままでは相手にボロが出るかもしれないと恩田は焦って答えを誘導しようとした。
明らかに目の前の女性は何か隠している。
しかしどうやら深刻な事態ではないらしい。
恩田はかつて兄妹喧嘩の末に妹を失神させてしまった兄の顔を見たことがあるが、女性の顔色を見る限りその時よりも深刻度は低そうだ、と判断した。
だとすれば、今一番厄介なのは、和人が玄関まで出てくる事態である。
そして、その可能性は時間と共に上昇していくのだ。
「そ、それはまあ!さっきのは家族のスキンシップっていうかなんて言うか…!」
「そうですか!いやぁ、よかったよかった!そんなところだろうなと思っておりました、はい!あ、では本官はこれで!」
「あ、はい!ご苦労様です!」
恩田は逃走に成功した。
いや、逃走ではない、これは無事職務を完遂したのだ!と、恩田は強く思った。
その力強い想いを足に宿し、全く無駄のない動きで自転車にまたがると、全力で漕いだ。
坂道を上り頂上から海沿いの道を思いっきり下った。
恩田は叫んだ。
「ざまーみろかっちゃーーん!逃げきってやったぜーーー!はっはーーー!!」
「楽しそうね、恩田クン」
急ブレーキ。
恩田が会いたくない人物が二人いる。
一人は山元和人。
もう一人が、和人の従姉。
彼女、斎藤恵那だった。
恩田徹、本日誕生日。
その日、島に、天敵が上陸していた。
恩田徹、おそらくこの島で一番頑張って生きている人。
自転車の上で叫んでいるところを知り合いに見られた時のダメージは年齢に比例します。
あと、自転車に限らず、車両に乗っている際は緊急時を除き急ブレーキを掛けてはいけません。
恩田は緊急事態でした。