3.父と祖母と美嘉ちゃん
「…父さんの何が悪かったんだろう?」
「…兄さん」
「んー…」
とりあえず、父・健二は食欲だけは回復してきたらしく、べそをかきながらも朝食を食べだした。
何かあるととりあえず涙が出るのは静香の父親らしい、見た目よりも涙もろいのである。
この父、別に素行が悪いわけではない。
酒は飲むがからきし弱いのですぐに寝てしまうし、女遊びやギャンブルの趣味もない。
母、清子も似たようなもので、そんなそぶりは全くなかった。
青天の霹靂とはこのことで、ある日家に男が訪ねて来たと思ったら、母との不倫を白状し、そのままあれよあれよと離婚となった。
親父も母さんも悪い人じゃないんだけどな…。と思う。
いや、むしろお互い善良過ぎたのか。
善良な母さんに不倫相手も惹かれたのか、調停の場に一度だけ行った際に見た不倫相手はいかにも真面目そうなサラリーマンって感じの男だった。
…いや、だからって真面目そうなやつがまともだとは限らないわけで。父・健二が酒に女に博打とか、世間一般で問題のある人物ならまだしも、ザ・人畜無害の旦那と二人の子供がいる母に手を出したあげく離婚にまで持って行った相手である。尋常ではないし、正気とは思えない。正直に言えば父には同情する。
それでもあえて口出しを控えた(とは言え、しなかったわけではないが)のは、和人自身が既に家を出ていた身であった事と、はっきり言って母に怒りよりも呆れが勝ったためである。
「…まあ、親父に非は無いと思うけど。それでも強いてあげればもう少し押しの強さがあれば」
「健二は昔から粘り強さが無かったからね…人と争うことが苦手だったから。…清子さんもそんな感じだったけど、かっちゃんとしずちゃんはどっちに似たのかしらねぇ」
祖母が、これまた落ち着いた口調で話す。
和人・静香、二人の性格に関しては、山元七不思議のひとつであった。
こんな感じで、この件に関して少なくとも和人と祖母は意外なほど冷静だった。
しかし、それ以外の親戚筋はそうもいかない。
それはもう、烈火のごとく怒り心頭なのであった。
特に、怒りを隠せないのが三人
一人目は父・健二の兄で長男・山元大悟。
島から排出された麒麟児と名高い、現職の外務省の官僚だ。
普段は酒好きで明るい伯父だが、今回の件を報告した際は電話越しにドスの利いた声で
「…日本にいられなくしてやる。相手の男の住所は」
と祖母に根掘り葉掘り聞いて来たらしい。
二人目が長女の斎藤由美子。結婚して山元から斎藤になっている。
普段は女性専門の心理カウンセラーであり、日本各地・テレビなどで女性の権利について熱く語る人物なのだが、父が電話すると「女の腐ったような相手とはすっぱり離婚なさい。かっちゃんとしずちゃんを産んだだけで十分よ」と、とんでもない問題発言をして、離婚を後押しした。
そして、三人目。
「モグモグモグモグモグモグモグモグモグモグモグモグ…………」
一心不乱に朝ご飯を咀嚼していた。
美嘉は、不機嫌な時ほど口数が減る。
それでも普段は仲直りのため相槌ぐらい打つのだが、この件に関して、美嘉は一切口を開かない。
「むしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃ………」
美嘉は、母さんにものすごく怒っている。
美嘉が喋らないのはつまり、「あなたと話すことは何もありません」という意思表示だと思う。
あるいは、この場において親父を除けば一番怒りを感じているのは美嘉なのかもしれない。
いや、親父は怒りよりも悲しみが増さっているので、たぶん伯父と伯母と同じくらい、美嘉は怒っている。
母さんの不倫、二人の離婚。これがどういう形で美嘉に刺さってしまったのかは推測するしかない。
…いや、怒ってる美嘉ちゃんってマジで怖いんだって。話しかけられないんだって。
だから静香、「この沈黙をどうにかしろ」的な眼で俺を睨むのをやめなさい。と隣に座る和人は冷や汗をかき続けた。
「…ハグハグハグハグハグハグハグハグ」
「…美嘉ちゃん」
「(ごっくん)」
声をかけると食事の手を止め美嘉が上目遣いでこっちを見てくる(身長差の問題でそうなる)。
上目遣いといえば可愛らしく映るが、もうその眼から不機嫌のオーラがにじみ出ている。
やだなぁ、俺が怒られてるわけじゃないのにこの美嘉ちゃんどうにかしなきゃいけないの嫌だなぁ。
しかし、めそめそしている親父は役に立たないし、ばあちゃんはこういう事に口を出さない。
静香は口だけニートなのでもちろん役に立たない。
ああ、俺がやらなきゃだめだよね、そうですよね、と和人は観念した。
「太るよ?」
「ぶっコロす」
食卓にめきょ☆って音が響いた。
…俺の悲鳴も。
「びっくりしたぁ…」
白南風島山元家前、突然響いた悲鳴に警官姿の男は本気で驚いた。
警官姿、というのは正しくない。なぜなら彼は正しく警察官なのだから。
「…ていうか、男の悲鳴だよね」
歳は20代後半、中肉中背。鍛え上げられた…というほどでもないそこそこの身体。
「いやだなぁ…」
彼の名は恩田徹、25歳。
今日が誕生日の男である。
二人は仲良し。
本当です。
…本当です。