2.朝飯前!
めそめそと泣いた静香と共に、和人は軽く顔を洗ってから台所に向かう。
山元本家では朝ご飯は居間ではなく台所のテーブルで食べるのが通例だ。
田舎戸建ての台所を馬鹿にしてはいけない。少なくとも山元家には6畳ほどのスペースが存在する。
「おはよ」
「おはよー、かっちゃん!」
台所に入ると魚の焼ける香ばしい香り、炊き立ての白米の甘い香りなど、食欲をそそる香りが立ち込めている。台所のコンロの前では祖母ともう一人、やけに小柄な人物が朝ご飯の支度をしている。
ちょこちょことコンロとテーブルを行き来する様子が微笑ましい。その様子に和人は
「えらいねぇ、お嬢ちゃんいくつ?」
と、思わず軽口をたたいてしまう。
それを聞いた女性が笑顔で振り向きながら
「ぶっコロす」
「申し訳ありません!」
と包丁を向けてきたので和人はすぐに降参した。バトル漫画の主人公でない和人に、刃物にあらがうすべはなかった。
山元美嘉。
年齢は和人の一つ下。
歳の割に随分と背が低いうえに童顔で、初見では実年齢よりずいぶんと幼い印象を受ける。
和人は思わずからかってしまうが、実際のところは身長以外はスタイルやメイクなど年相応の女性である。
今日はシンプルなシャツとパンツスタイルにウェーブのかかった長い髪をハーフアップにしている、ただまとめるだけではなく、アップにした部分がくるんと螺旋を描くようになっているのがおしゃれポイントだ。
朝からまあ、たいしたもんだなあ。と、和人は感心する。
妹の静香は、パジャマ兼・部屋着のTシャツのままだし、髪も適当にヘアゴムでまとめているだけだ。
長年妹のこの姿を見ていたので、他の女性もこんなもんだろうな、明らかに大変だし。と思っていたが、少なくとも美嘉は違うらしい。以前和人が朝から大変じゃない?と聞いたときに「えっと…くるりんぱ?別に面倒だけど大変じゃないよ?」と言っていた。
なぜ突然ダ〇ョウ倶楽部の話になったのか、女性のおしゃれにいまいち詳しくない和人には意味が解らなかった(後から聞いてみたが静香にもわからなかった)が、とにかく、山元美嘉は見た目こそ小さいが一般的なおしゃれに精通した成人女性なのだ。
テーブルの上にはそんな美嘉と祖母が作った白飯・アジの干物が人数分と、大皿に卵焼きと漬物が用意されていた。そこにいま注いでいる味噌汁を加えたのが今朝の朝食らしい。
テーブルはキッチンの壁側にくっつけるように置いてあり、その周囲に五つ椅子が置いてある。
静香は手前の壁よりの席に、和人はその斜め向かいの席に座る。
「美嘉ちゃんさん、お醤油ー」
席に着きさっそく何もしていないいいかげん代表が偉そうに醤油を要求する。
味噌汁を配膳しながら、美嘉が律儀に「えっと…食卓の上にない?」と言いながら調味料の入った引き出しを開ける。
「あ、あった」
「そのぐらい確認してから声かけろよ」
と美嘉に甘える静香に呆れる和人、そんな兄のセリフにガソリン並みに着火しやすい事で有名な静香は
「…聞いて美嘉ちゃんさん!さっき兄さんにサソリ固めされたんだけどー、痛いんですけどー!」
「貴様!」
先ほどの狼藉をすぐさま報告した。
それを聞いた美嘉の目が再び剣呑なオーラを発しながら和人を見る。
「かっちゃん、あとでお話があります」
「聞いてくれ、誤解なんだ」
かくかくしかじかと説明しながら「あ、サソリ固めはしたわ」と言ったところで頭にチョップを落とされる和人だった。
「健二。いいかげん顔上げて、朝ごはん食べなさい」
と、祖母が声を掛け、ようやく和人と静香もそれを視界に入れた。
テーブルに突っ伏している50半ばの男性。
山元健二。
二人の父親である。
運送会社で中間管理職として現場とデスクを行き来する父・健二は中々がっしりした体つきをしているのだが、今朝はそれを全く感じさせないほど(心が)やせ細っていた。
しかも目が虚ろだ。
和人も静香も台所に入ってからこの状態の父親を極力視界に入れないようにしていたのだった。
「…美嘉ちゃん」
「…うん」
この状態の健二を美嘉にはどうすることもできず。
そのために普段は後から自分で起こしに行くところを、一刻も早くと静香に頼んだのだ。
「…冷蔵庫にのりの佃煮がさ」
「そうじゃない」
ぴしゃっと和人の逃げ道をふさぐ美嘉。
言外に健二をどうにかするように言っているらしいことはわかった。
さらに祖母とも視線が合ってしまう。
…わかったよ、どうにかしますよ。と父親にかける言葉を考えながら話しかけた。
「…おやじ。その、元気?」
あ、我ながらこれはないわー、こういう時息子無力だわー。
と自分の語彙力の無さを恨む結果にしかならなかったが。
すると、父の横に座った(残念なことに定位置がそこだったのだ)静香が、小声で
「兄さんはデリカシーないな。お父さん、昨日離婚したんだよ!」
と、文句をつけてきたのですかさず言い返す和人。
「馬鹿!離婚『した』んじゃない、親父は離婚『された』んだ!」
「ひどい…息子と娘がヒドイ…」
小声だろうと、横で会話されれば聞こえるのであった。
文字通り、朝飯前の話。
和人が25歳なので、美嘉ちゃんは24歳です。
トランジスタグラマー美嘉ちゃん(24)
勝ったな。