寝室の本棚に、『残穢』がある。
※『残穢』のストーリー部分にいてのネタバレはないけど、「怖さ」についてのネタバレはあり。
K氏は自他ともに認める怖がりである。
そのくせ、ホラーものは大好きだというから始末に負えない。
ついうっかりホラー映画だのゲームだの小説だのに触れてしまった日には(頻繁によくある)、
トイレに行くのが怖い。
風呂の壁が怖い。
夜中誰もいない部屋にひとりでいるのが怖い。
電気を消すのが怖い、廊下を歩くのが怖い、鏡のそばを通るのが怖い、曲がり角でこれまで死角だったところが視界に入る瞬間が怖い、階段が怖い、押し入れの中途半端に開いた隙間が怖い、布団からはみ出した手足が何かに触れるかもしれないと考えるのが怖い。
怖がりが過ぎて、一時期小学校低学年だったお子に頼み込んで一緒に寝てもらっていたこともあったくらいである。
旦那氏には呆れられた。お子は、「いいよ。娘ちゃんおばけ怖くないから」と快諾してくれた。K氏は、己の情けなさと娘の優しさに泣いた。
そんなK氏が愛して止まない作家に小野不由美がいる。
小野不由美と聞くと、まず思い浮かべるのはやはり『十二国記』だろうか。もちろんK氏も大好きだ。
ファンタジー・ミステリーの名手として知られる一方で、小野不由美はまたホラーの名手でもある。
彼女の書くホラーは怖いのだ。
恐ろしげなモンスター、世にもおぞましい事件、残虐なシーン、などといったわかりやすい怖さではない。
ごく普通の日常がじわじわと壊れていく、気がついたときにはもう取り返しのつかないことになっているーーそんなものはわりとありふれているのではないかーーそう読者諸兄は思われるかもしれない。
しかしここからーー彼女の真価はこの先にこそある。
そもそもホラーというジャンルの「怖さ」はどこからくるのか?
K氏は、そのひとつの答えは「もしそれが自分の周りでも起こったら……と思わせること」であると考えている。
そして、小野不由美はそれが抜群にうまいのだ。
読みすすめるうちに、それがフィクションとリアルの垣根を越えてやってきてしまうのではないか、いや、それはもうすでにこの部屋の暗がりに潜んでいるのではないかーー? そう思わされてしまうのだ。
そして、その小野不由美ホラーの到達点、極みこそが『残穢』である。
この作品は、この作品を読むというこのことにこそ最大の恐怖の仕掛けがある。
触れてしまったが最後、本を介して穢れに感染し、我々読者自身が汚染源となってしまう。手遅れなのだ。
本から怪異が流れ出してくるーーそんな光景が脳裏に浮かぶ。「手元に置きたくない本」というのは、この作品が山本周五郎賞を受賞したときの選評だったか。
ーーその『残穢』が、カバーもかけられていないむき出しの状態で、K氏の寝室の本棚に、ある。
あるのだ、『残穢』が。
うっかりホラーものに触れてしまい、震えながら眠りにつくK氏は怖がりついでに思い出してしまうのだーーそういえばあの本にこの部屋に置いてあった、と。
おそろしい、ああ、なんておそろしい。




