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ショートストーリー:「狩喪」

作者: 如月 星月

「小径」は、回り続ける。

 新幹線の停車駅を抱えることになってから数年、目覚ましい発展を遂げたその都市は、住むに困らない駅近くの繁華街と、真新しいビルの間に覗く青々とした山の姿が融合した見事な景観を、新参者の私に見せつけてくれました。新しい店が建ち、新しいマスコットが考案され、新しい観光名所が注目される。これから暫くお世話になる街の未来は当分明るいだろう、と、その時一目で感じ取ったことをよく覚えています。

 その時、私がこの街にやってきた目的は、フィールドワークでした。日本の山間部に存在する、ごく狭い範囲で交流する集落においてのみ信仰されるような、謂うなれば「ローカルな神格」についての研究です。何故そんなものを?と訊かれてしまうと返答に困ってしまいますが、お仕事の一環だとお考えいただければよろしいかと思います。とにかく、この数週間はこの地に拠点を置いて、山間の集落をいくつか訪ねる予定でした。


 正直に申し上げますと、五箇所回った集落のうち四つについては、あまり良い成果が得られませんでした。というのも、その土地に住む人々は皆一様に同じ山を崇敬の対象とし、何か語ってはならない禁忌のように言葉を濁すのです。史料もなく、それは村の外に持ち出してはならない口伝の伝承だ、とのことで、ようやく三つめの集落に来て唯一確保できた成果は、この地域でもっとも古風な訛りを残す老人の音声のみでした。

 ただ、五つ目の村は違いました。人々は皆、他所者である私のことを盛大に歓迎し、その日は拠点に帰れなかったほどでした。何かをひとつ問えば、そこにわらわらと集まる村民たちが口々に、必要以上と言えるほどの答えを返してくる始末。嬉しいやら忙しいやら、私は必死にメモをとりながら聞いていました。多くは生活の知恵に根ざした教訓や禁則、聖地を定める言い伝えや、この地域を通りかかった英雄の話など、実用的で現実的な説明のつく内容でした。しかし、彼らはあの山のことを口にしませんでした。中でも一つだけ、とても興味深いお話がありました。



 カリモ、って町を知ってるかい。


 村の端にある水田で農作業をしていた、おそらく齢六十前後と見える男性が、ぽつりと私に尋ねました。カリモ。おそらくこの村の南方にある、加里母町のことを指しているのでしょう。男性は続けます。


 あの町はなぁ、本当はオレたちが住んでるはずだったんさぁ。大岩様のご恩かぶってねぇと、もう生きていけんようになったからね。そうはいかんけどよ。

 

 私は彼の言葉に、とにかく惹かれました。大岩様。ご恩がなければ生きていけない。加里母は、本来彼らの土地。何かの理由で追放された、とでも言いたいのでしょうか。聞けば、大岩様というのは、ここまで通りかかった四つの村で崇敬された山にある、大きな一枚岩のことなのだと言います。それがあるおかげで、「加里母の小道」から守られているんだ、と、彼は煙草に火をつけながら言いました。

 加里母の小道。私はその「道」については初耳でした。加里母はそこそこ大きな町なので、その中で町の名を冠するような小道、ともなれば、きっとたいそうな遊歩道だろう、と思いました。しかし、「守られている」と、彼は言いました。それはまるで、道の存在によって彼らの魂か、名誉か、そういったものの安全が脅かされている……つまり、村が道によって呪われているかのような印象を受けました。


 加里母の小道というのは、どこにあるのですか?


 私は思い切って尋ねました。男性はひとこと、神社だよ、と答えました。それ以上は、急に口数が少なくなって、何も教えてはくれませんでした。




 私は、加里母町へ向かいました。移動中の調査で、町内にはいくつかの神社があることを確認していましたが、その中で「小道」に関わる話題が上っていた一社に向かうことにしました。幸いにもバスが近隣まで通っていて、案外簡単に辿り着けてしまいました。

「かりも台神社」と名付けられたそのお社は、決して綺麗とは言えませんでした。ただ、辺りに茂る雑木林の、風が通るたびにざわざわと音を立てる様子が、とても異質な空間を作り出していました。周囲には水田と、いくつかの家屋が見えますが、人通りはほとんどありません。少しだけ緊張しながら鳥居をくぐり、長い石の階段をひとり登りました。

 木々の陰に佇む本殿は、陰鬱な雰囲気を醸していました。決して荘厳ではなく、お世辞にも手入れが行き届いているとは思えないその建物には、立派な賽銭箱が置いてありました。慎重に手順を踏みつつ、調査にあたってのご挨拶という意味も込めて参拝すると、賽銭箱の中身はほとんど空であることに気付きました。境内は広いのに、小さな遊具も置かれていない。ここに来る人間がどれほど少ないかを如実に物語るような、寂しい現実でした。さて、小道を探そう、と振り返った時、私は思わず素っ頓狂な声を発してしまいました。


 鹿が一頭、参道からこちらを見ているのです。

 

 それはひどく痩せ細っていて、よたよたと頼りない歩みでこちらへ近寄ってきました。立派な角も、いまや頭に生えた重石に等しいとばかりに、首を大きく垂れてふらつく鹿の姿を見て、私は駆け寄りました。それがどこから、いつの間に現れたのかはわかりません。私の前で倒れ込んだ鹿は、「ひゅう、ひゅう」と必死に息をしていました。私は荷物に入っていたペットボトルの水を取り出して、紙コップに移して差し出しました。鹿の食べ物など何も持っていませんが、このまま鹿を見殺しにすることはできませんでした。鹿は重い頭をもたげて、必死に水を飲みました。顔にどれだけ水がかかろうともお構いなしに、一心不乱に水を飲んでいました。私は中身が空になる度にそれを満たし、哀れな鹿に与えました。やがて、ペットボトルの中身が完全になくなってしまう頃に、鹿は首をもたげて鳴きました。良かった、一命は取り留めたかもしれない、と胸を撫で下ろし、社務所にでも報告しようと立ち上がりました。



 とがもの、どこだ。



 私は人の声を聞きました。辺りを見回しても、私のほかには誰もいません。それどころか、気づいた時には鹿の姿すらありませんでした。溢された水の跡だけが、そこに残されていました。


 なんとも不思議な体験をした、と思いつつ、私は境内を歩き出しました。ここに来た目的を早々に済ませて、さっきの鹿のことをあの男性にでも訊いてみよう、と思っていました。目的の道……「加里母の小道」は、その隅にひっそりと存在していました。それを最初に見た時、少し拍子抜けしてしまいました。神社の道というなら、裏の参道か何かと思っていたのですが、その予想は外れてしまいました。雫形に閉じた小道は、どこにも繋がっていないことが一目でわかりました。辺りが雑草だらけの境内で、その道の内側にある雫形の土地は完全に土が露出していて、海外の土葬墓地に似た異常な空気が漂っていました。雫の窄み、小道の入り口には丸太が立てられていて、「かりものこみち」と彫刻されているのがわかりました。

 引き寄せられるように、私は「かりものこみち」に足を踏み入れました。左回りに、一周して戻ってくるその道は、こうして歩く道というよりは、まるでこの内側にある土地を囲って封じているかのような、ごく原始的な結界のように見えました。一周してみたとき、脳裏に先程の鹿の姿がよぎって気味が悪くなった私は、足早に「こみち」を去ろうとしましたが、入り口の丸太を過ぎようとした折、私は見つけてしまいました。

 


『狩喪の小径』。


 丸太の裏側、どう見ても人々の目に触れさせないように、という意図を感じる場所に、そう彫られていました。私はそのまま、できるだけ何かを知ってしまわないように階段を降り、鳥居をくぐりました。できるだけ早くここを去ろうと思い、そそくさと帰路につきました。




 それから数日の間、私は眠りにつくたびにあの小径に迷い込みました。毎晩ひどく魘されては、背中を汗でぐっしょりと濡らして目を覚ます。仕事など進んだものではありませんでした。必ず、同じ夢を見るのです。水滴形の道の先、結界を左回りに歩いた先で、小さな鹿の角を拾う。何かに追われるように道を走り続け、振り向くと何かがこちらを見ている。舞台は急に見覚えのある景色に変わり、私はあの鹿の角を持って走る。なにせ、何かが私の後をつけてくるのです。

 未だ、あの鹿の角を返せた試しはありません。


 もうひとつ、余談ではありますが、途中で立ち寄った村についてお話します。

 あの時立ち寄った五つの村には、あれ以来長らく訪れることができずにいました。自分自身が立ち寄り、出会ってしまった神格は、彼らにとって最も悪い結末を招いてしまったような気がしてならないのです。というのも、私はフィールドワークから帰宅してすぐに、いくつかの考察に辿り着いてしまいました。

 ひとつ目は、「とがびと、どこだ」という私への問いかけ。

 ふたつ目は、五つ目の村で語られたカリモ町と集落の関係。

 みっつ目は、いつのまにか消えていた私の調査メモ。




 彼らが神に見つかっていないことを、ただ祈るばかりです。





狩る、借りる、刈られる、涸れる。

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