008 異世界の宿
暗然としながらも飲食店が立ち並ぶ通りで二人に店を選んでもらい、地球で言うところの世界三大料理の一つ、トルコ料理の店に入った。
「俺はケバブぐらいしか知らないけど、異世界でトルコ料理って……」
「言い張ってしまえばいいだけです。私達は本物がどんなものか知りませんから」
「尖った味付けはしない料理だから、食べやすいと思うわよ?」
「私は野菜料理が豊富なのが嬉しいです。あと、アイスが美味なのです!」
「ああ、伸びるやつ。あれは俺も知ってる」
やがて料理が運ばれてくると、大皿から取り皿へロールキャベツのような料理を移して俺に渡したあと、目の前にある肉が山盛りの皿を引き寄せて、ルーが言う。
「金策の前に、キミの宿泊先も決めないとね」
温野菜のサラダにオイルドレッシングをかけながら、ラファも口を開く。
「私が宿泊予定の宿でしたらすぐ近くにありますが、いかがでしょう?」
「つ、ツインじゃないでしょうねっ!」
ルーが顔を赤らめながら食い気味にツッコミを入れたので、俺はそんなの当り前だろ? と、ラファを見ると――
「いえ、ダブルです」
ルーは面白い顔のまま絶句しているが、どうせまた冗談だろう。
ラファは言葉を続けた。
「それしか部屋が空いていなかったもので。私はソファーで眠れますから、大丈夫ですよ?」
――って、ガチかよ!
「そんなの、他の宿を探せばいいだけでしょ!?」
「つい先日、近隣の村が魔人《ライゾ》の襲撃で壊滅した影響で、この町の宿には空きが少ないのです」
「《ライゾ》って、誰が斃したのかが不明な魔人よね?」
「はい。ギルマスは『誰がやったかは分かっているので気にするな』と――いずれにせよ、そういった状況ですので、低ランクの初心者が一人で泊まるには少し問題のある部屋が多いのです」
『問題のある部屋』とはどんなものなんだろう? 俺は男だし、大部屋でも別に構わないんだが。そう思っているのを察したのか、ラファが諭すように言う。
「危険なのは、女性だけとは限らないのですよ?」
ああ、そっちか。そっちね……。
ラファ曰く、「鍵を開けて侵入する例も珍しくない」とのこと。嫌すぎる。
そんな中、何やら一人で思案していたルーが口を開く。
「だったら、ダブルの部屋に三人で泊まればいいんじゃないかな?」
「もう言葉の定義がおかしくなってるよ!? ダブルに三人って」
「会ったばかりの若い男女が、ど、同衾なんて、お母さん許しませんからね!!」
「私は『ソファーで寝る』と言いましたが? それのどこに問題があるのですか、お母様?」
また始まった……こうなるともう阿吽の呼吸だ。
俺は睨み合う二人の天丼芸を呆れ顔で眺めつつ、本当に空きが無いのなら三人で
ダブルの部屋というのも可能なんだろうか……と考える。
もし俺が二人を襲っても瞬殺されるが、俺が誰かに襲われたら昇天させられてしまうだろう。いろんな意味で。
――考えるまでもないか。
「でしたら三人で。料金を上乗せすれば、おそらく大丈夫でしょう」
ラファの言葉に即同意した俺に半眼を向けてからルーも頷き、食後のデザートを楽しみながら宿屋に入るまでの行動を話し合う。
「問題は風呂だな。あと着替えとか」
「着替えの服は明日になるわね。もう店も閉まる時間だし」
「着替えはなくても死にませんから」
「武器があっても俺は死ぬぞ? 生まれたばかりの雛のように慈しんでほしい」
「うーん。そんなに可愛いもんじゃないわね……雨に濡れた捨て犬とか?」
「拾われた俺は『すっと礼抱く』。おあとがよろし――」
「さ、そろそろ出ましょうか」
女子二人は預けてある荷物を引き取るためギルドに向かい、座布団をもらえなかった俺は、外でステイしながら黄昏時の町を眺めていた――
時刻を告げるためか仕事終わりの合図なのか、鐘の音が鳴り響く。
優しく、控えめな音色だ。
「この世界では、ウェストミンスターの鐘や、ドヴォルザークのあの曲が聞こえてくることはないんだな……」
感傷に浸って独りごちていると、荷物を背にした二人が出てきた。
それぞれ、ちょっとしたサンドバッグのような背負い袋を担いでいる。
「重くないの? それ」
「巨大な魔獣を運ぶのに比べれば、綿菓子のようなものです」
「キミが持つと、ちょっとしたトレーニングになるけどね?」
カッコつけて「持つよ」とか言わなくてよかった。
綿花も綿菓子もあるんだな……今着ている服も綿製なのだろうか。
宿屋は二階建ての大きな建物で、ラファが予約していた部屋に割増しした料金を払って宿泊許可を得た。
共同浴場の予約を済ませて二階の部屋に移動し、ひと休みしていると先に女湯が使用可能と知らせがあり、少し経つと男湯が使用可能になったので、浴場に向かうべく腰を上げたタイミングで気付く。
入浴に必要な物を何一つ準備していない――が、時既に遅し。
諦めて手だけで身体を洗って入浴を済ませた。
そもそも、この世界に石鹸――いや、あるんだろうな。
「ガウンなんて初めて着るなあ……ボクサーの気分だ」
タオルと共に置かれていたガウンは、清潔そうだったがバカみたいに大きい。
仕方なく腰のところで折ってから腰紐を絞めて袖を捲り上げると、ボクサーどころか大人の服を着た子供みたいになってしまった。
ずっと気になっていた下着は、ブリーフでもトランクスでもなくボクサーパンツだったが、この入場スタイルはいかがなものか。
不格好な『ボクサー小僧』が部屋に帰ると二人は既に風呂から戻っていて、ドアを開けたルーは微妙に視線を逸らしながら、無言で俺を室内に招き入れた。
部屋の中は石鹸のいい香りが漂っている――やっぱりあるんだ。
「おかえり……っ……なさい」
「さっぱり、した……でしょ……」
俺の姿を見て、二人とも笑いを堪えきれず肩を震わせている。
「酷いな! 俺だって恥ずかしいんだぞ!!」
二人も部屋着に着替えているが、俺とは違って自分で用意した服だろう。
ルーはゆったりした七分袖のカットソーと太腿までのハーフパンツ、ベッドに腰掛けたラファは襟の無い長袖のチュニックと、下は――――
「あなたそれ、下着じゃないの!?」
俺と同じ目線だったルーも気付いてしまった。
ちゃんとボトムを穿いている女子がやる、めくれても気にしない座り方だ。
「失礼しました。寝る時はいつもこうなので、癖で」
ゆっくり立ち上がって荷物からショートパンツを取り出し、その場で穿く。
俺は変なガウン姿のまま硬直して一部始終を見ていたのだが、何故かルーも半分口を開いたまま眺めていた。
「信じらんない! あなた露出狂なの?」
「普段は一人なものですから。つい、うっかりです」
「ルーも一緒にいて気付かなかったのか?」
「まさかショートパンツすら穿いてないとは思わなかったもの」
ああ、そうか――立ってるときは隠れていたんだな。
よくそんな扇情的な格好のまま浴場から部屋まで戻ってきたものだ……と感心していると、半眼になったルーが言う。
「着替えたのは部屋に戻ってからよ?」
「心を読まないで……」
「ところでノースフィールド女史は、苦しくないのですか?」
質問と同時にルーはラファの肩をがしっと掴み、部屋の外へと連れ出した。
柔らかい残り香の漂う部屋で思う――
その格好のまま部屋から出てもいいのか……?