073 死線
魔王の腕は既に接合され、戦闘に支障があるようには見えない。
【峻厳迅壊】の重い打ち込みを受け流している。
これがランクS同士の近接戦――
足を止めての連撃ではなく、強い一撃を打ち込み、防ぎ、瞬時に間合いをとってまた踏み込む――その一連の動作が超高速の打ち合いに見えているだけで、すべて一撃必殺。極限の攻防だ。ほんの僅かでも受け損じれば即死する。
呆然と眺めるあたしに、張り詰めた声が飛ぶ。
「こちらの接近は感知されているはずだ。気を抜いた一瞬で死ぬぞ」
「はい。集中します!!」
【黒橡の魔王】――すべての魔王には色の名前が付いている。
人間として扱わないという理由もあるけど、討伐されても次々に出現するため、色名で表すことで識別しやすくなるのだ。
いつか魔王とランクSの戦闘を見る機会があれば――とは思っていたが、まさかここまで凄まじいものを見られるとは。
けれど、遠目からも【峻厳迅壊】は本調子には見えない。捌く動きが多く、踏み込む動作にキレがない。
それでは決め手に欠ける。まるで魔王の体力が落ちるのを待つ戦い方だ。
「魔王の持久力はどんなものなんですか?」
「俺達もこうして見るのは初めてだが、一日やそこらで疲れたりはしないだろう」
「だったらあの戦い方は……」
「あまり意味は無いだろうな。意味があるとしたら――」
「先生は、ああしか動けないのかもね……」
それはよくない。
決定打を与えられないのに、相手は疲れないのだ。
あたしならどうするだろうか……。
そう考えていると、刺突による衝撃波が飛んできた。
大太刀で割れるか試したい気持ちもあったけど、ここで応戦状態になってしまうのは危険なので、躱しておく。
「このぐらいは頻繁に飛んでくるから気を付けろよ?」
「はい。あれを逸らしてみたりしましたか?」
「咄嗟にやろうとして、このザマだ……避けるべきだ。かなり重い」
脇腹に傷跡はなかったけれど、裂けたままの服をひらひらさせた。
受け流すつもりが、重くて勢いを殺せなかったということか。
それにしても――これほど綺麗に治せる彼の治癒魔術も、大したものだ。
いろいろ追い抜かれちゃったな……出会った頃はあんなに貧弱だったのに。
「ちょっとまずいかもしれない……」
「ええ。時々抜ける感じがあるわね」
「【峻厳迅壊】が動けるうちに、加勢したほうがよくないですか?」
「それはそうなんだが……君は絶対に離脱してくれよ?」
「そうね。全員で死にに行くことはないわ」
『勝てないかも』という空気が、場を支配しつつある――
ランクSでも、身体の状態が万全でなければ苦戦する相手なのだ。
こちらへ飛んでくる攻撃も増えた。
これは……今までこちらへ飛ばないように捌いていたものが、処理しきれなくなっているのだろう。
魔王が【峻厳迅壊】の状態を見抜いた上で、あえて広域殲滅魔術を使わなかったのだとしたら……奴は相手が潰れるまで遊んでいるのか?
【峻厳迅壊】の限界は、こちらが考えるより近いのかもしれない。
「ルベルムさん、下がって!!」
流れ弾ではなく、完全にこちらを狙ってきた。いよいよ遊んでいる。
周囲の大木が吹き飛び、あたし達は散開せざるを得なくなった。
「あたしは下がります! 二人は加勢を!!」
こうなってはもう、離れるしかない。
しかし一瞬で距離を詰めた魔王に、テッドさんの両足が貫かれた――
にいっ、と笑った魔王がマチルダさんに狙いを変えた瞬間、【峻厳迅壊】が割って入り、怒声を上げる。
「来るなって言っただろうが! 馬鹿野郎!!」
その隙に、マチルダさんがテッドさんを引き摺ってきた。
「止血を! もう血を流しすぎてるのっ!!」
「分かりました。マチルダさんも行かないでください! 狙われてます!!」
「それならそれで囮ぐらいにはなってみせるわ!」
行ってしまった……このままでは魔王の狙い通りの展開になる。
急いでテッドさんの止血を済ませて治癒を始めたものの、刺突による傷は深刻な状態で、大腿骨まで砕かれている――簡単な治癒ではない。
視線を上げると魔王は【峻厳迅壊】と交戦しながら、執拗にマチルダさんを狙った攻撃を放っている。
焦燥するあたしに、テッドさんが声を絞り出して言う。
「に、逃げろ……俺は置いていけ」
「嫌です!」
「君までここで死ぬことはない」
「マチルダさんが死んでもいいんですか!?」
「仕方ないさ……お、俺が怒り狂えば、魔人化……かも……しれない」
糞食らえだ――
あたしは激情を呑み込み、立ち上がる。
憤っても状況は変えられない。冷静に、できることをやるしかない。
だから――涼平、早く帰ってきてよね。
「これで攻撃対象がまた一つ増えたでしょ?」
「おい、やめとけ小娘っ!!」
「やはり人間をやめられない連中は、例外なく愚鈍で哀れなものだな」
「魔族の想像なんて軽く超えるバカが居るから、楽しみにしときなさい!!」
時間稼ぎとはいえ、到着を待つしかない身で酷いこと言ってごめん。
いや……別に酷くも無いか。
「何が魔王よ! 自分の弱さと向き合えず、悲劇に酔ってるだけでしょ?」
「そんな感傷があると思うのか? 俺はただ、弱い生物が這い蹲って苦しみながら死んでいくのが面白いだけなんだがなあ?」
「っ!? 避けろよ馬鹿野郎ども!!」
「範囲攻撃っ!?」
魔王が地面を穿つと周囲に衝撃波が飛び、薄暗い森の広大な範囲が太陽の光に直接照らされ、木々の残骸だけが残る空間となった。
大木は文字通り粉砕されながら衝撃波で吹き飛んだため、魔王を中心にまるで爆弾でも落としたかのような惨状だ。
マチルダさんはテッドさんを庇い、背中に致命的な傷を負ってしまった。
早く治癒しなければ、このままでは助からない。
あたしも衝撃波を受け流そうと試みて流しきれず、左腕を抉られたが、この程度なら大したダメージではない。
「ほんとに重いわね……」
「流すな! 叩っ斬れ!! その方がお前には合ってる」
初見であたしの特徴まで把握したのか……教導者をやってただけはあるわね。
感心しているあいだにも、魔王はマチルダさんのほうへ向かう。斬撃を飛ばし、魔王の足元の地面を大きく抉って邪魔をすると、こちらへ向き直って刺突の衝撃波を飛ばしてくる。
持てる限りの力で叩きつけ、どうにか衝撃波を粉砕すると、左腕の傷口から血が噴き出す。
魔王がこちらに向かって踏み込んだ瞬間、【峻厳迅壊】が立ち塞がった。しかし魔王の動きはフェイントで、向かった先にはマチルダさんが倒れている。
背中を切り裂かれ失神した彼女の首を掴み上げ、魔王が言う。
「俺の目の前でどんなことがあったか、今から再現してやろうか? なんの感情もなくやれるぜ? まず服を全部ひん剥いて――」
「させるかよっ!!」
これが【峻厳迅壊】の本気!? ――まったく見えなかった。
一瞬で魔王の右側まで接近すると、掴んだ右腕を切りつけてマチルダさんを開放すると、そのまま魔王を蹴りつけて遠ざけた。
「小娘、受け取れ!!」
彼女をこちらへ放り投げ、魔王に向かおうとするが――
一歩踏み出した瞬間、地面に崩れ落ちた。
限界が来てしまったのだ……。
それを見て、にいっと笑いながら魔王が言う。
「もう終わりかな? 遊び飽きたし、この国も地図から消えてもらおうか」
広域殲滅魔術を使うつもりだ。
「させないっ!!」
左腕から血を吹き出しながら、最大剣撃を風魔術で加速させて飛ばす。
魔王が左手を振り払っただけで斬撃は霧散し、その場所目掛けて火炎魔術を放った瞬間――既に目の前まで肉薄していた。
咄嗟に鞘二本と刀で受けると短剣の刺突で呆気無く粉砕され、バックステップで直撃は免れたものの、衝撃波によって吹き飛ばされて、背中から激突した大木の、圧し、折……れ……お、と……が――――
§
「死んだか……加減も煩わしい。やはりすべて消し去るのが楽だな」
「てめえの相手は俺だろうが。魔術なんぞで決着させて面白いか?」
「もう戦いにすらならんだろう。それの何が面白いんだ?」
「はっ! よく言うぜ。ランクの低いガキをやっただけで勝ったつもりかよ」
「そうだな。全員を生かしたまま並べて、じっくり潰すのも面白いかもな?」
――いい歳した大人が、何が面白いかで熱く語り合っている。
だから俺は、水を差してやることにした。
「魔王ちゃんは、またこんなとこで何してるのかなあ?」
「声掛け事案ですか? 涼平さん」
「「なっ――!?」」
もっと速く到着していれば……ルーが大木に激突する寸前、減速させながら背後に障壁を張っておいたので、ダメージは幾分軽減しているはずだが、怪我の程度は不明だ。
「ラファ。ルーを頼む! 他の二人にも治癒を」
「はい。全員集めてから治癒に移行します」
そうだな、防壁作ったほうがいいもんな……ラファは賢いな。
そんなことを思っているあいだに、魔王が攻撃してくる。
「糞餓鬼のくせに気配消しやがるとはな!!」
「やっぱ脇臭とか気になるじゃん? そっちも加齢臭が気になるお年頃だろ」
やはり初見より躱せるな。動きの癖さえ覚えれば、師匠より遅い。
彫刻のように膝を突いた老人も気になるが、攻撃を受けたわけではなさそうだ。
「貴様一人来たぐらいで状況を変えられると思うなよ? 糞餓鬼!」
「いや、お前はラファの凄さを知らない。来たのは俺一人じゃないんだぞ?」
「おい小僧……全員抱えて離脱しろ!!」
「だから介護が必要なら、徘徊する前に言っといてくれないと……」
「俺以外だよ馬鹿野郎!!」
抱えて離脱か……なるほど、それはいいな。
『この世界には魔法陣も詠唱も無いから厄介だ』ってルーが言ってたっけ。
俺にはよく分からない。そもそも何故そんなものが必要なのかを知らないのだ。
ならば、魔王に厄介な広域殲滅魔術を使わせないために、俺は離脱しよう。
海へ――――




