072 極限領域
彼が言ってた『要介護の老人』って、やっぱり【峻厳迅壊】だったのね……。
町の冒険者が緊張で凍り付いている。
二つ名の通り、厳格なことで知られる人物だ。
二人がエイネジアへ向かって間もなく町にやってきたので、涼平が言っていた膝の具合なんて訊けやしなかった。
「低ランクどもはとっとと失せろ! それを言いに戻った。手間かけさせんな馬鹿野郎!!」
「魔王はそんなに早く戻ってくるんですか?」
「なんですぐには戻れないと思うんだ? お前は」
「それは……腕を落とされた、と聞いたので……」
「それぐらい自力で治して戻ってくるだろ! 治癒魔術も低ランクかお前は?」
「すみませんでした……」
無理。……彼はこんなのと、どう会話してたんだろうか?
他の冒険者は遠巻きに見ている中、遅れてやってきた二人の男女がこちらに近付いてくる。
男性は金髪碧眼で幅広の剣を背負い、女性はウェーブのかかったブルーアッシュのセミロングにグリーンの瞳で、穂の長い大身槍には親近感を覚える。
「ラス先生! 無事でしたか!!」
「お前らはウロチョロ邪魔しやがって! よく顔を見せられたもんだな!!」
「すみません、先生……俺はまだまだ修行が足りないみたいだ」
「お前、真っ青だぞ。怪我してんのか?」
「怪我は通りすがりの冒険者――滝原君に治してもらったんだ」
「ああ――あいつか。だったら肉食っとけ肉!!」
「あの……ラス先生、膝はもう大丈夫なの?」
「五月蝿え馬鹿野郎!! お前も肉食え。ひょろひょろしやがって。そこの嬢ちゃんみたいにバーン! とならねえとな!!」
「あのね先生……もうバーン! とはならないから……私は」
なんであたしを弄って会話を続けてるのよ!!
でも、膝の話題が出たので乗っかろう。
「あの……その滝原から、『膝を診てあげてほしい』と頼まれたのですが……」
「ああ!? 俺が大丈夫だって言えば大丈夫なんだよ馬鹿野郎!!」
「でも先生! 魔王が来る前にちゃんと治しておかないと……」
「どいつもこいつも俺を老害扱いしやがって!!」
怒って立ち去ってしまった……。
駆け付けた二人も顔を見合わせて困った様子だ。
「お知り合いなんですか? 【峻厳迅壊】と」
「ああ。先生が教導担当でね。ただ、膝の具合は本当に心配なんだよ……」
「あなたの連れなの? 滝原君は」
「はい。パーティーのリーダーです」
「凄いね、彼は。俺の傷をあっさり治してあの戦いに突っ込んでいったよ……無事に戻ってきたのか?」
「今、エイネジアまで飛んでいってます」
「何それ!? 結構な距離なのに? 無茶苦茶なのね……あなたのパートナーは」
既に無茶苦茶に慣れつつあるあたしは、苦笑いするしかなかった。
それより、【峻厳迅壊】の具合が気掛かりだ。故障を抱えて魔王相手に戦えるのだろうか? 二人も懸念の表情を浮かべている。
「【峻厳迅壊】は、膝に大きな怪我でもしたんですか?」
「どちらかというと、長年かけて壊れた感じかな……もう歳だからな」
「『もう引退する』って何度も言ってるのにこれだもの……さすがに今回ばかりはちょっとね……」
「あたしも助太刀するつもりですけど、仲間が戻らないと厳しいと思います」
「そうね。ランクBでは自殺行為だわ」
「うっ……」
その時、遠くから冒険者の叫び声が響く――
「【峻厳迅壊】が『もう来てる』って向かったぞ!! 低ランクは即刻退避しろ!」
まだ近くまでは来ていない――が、行くか留まるか……。
先程の男女二人は、声と同時に走り去った。
「なんで怪我人ばかりが向かっていくのよ!!」
救護ぐらいならできるか……あたしは戦闘に参加するべきではない。
町に混乱の声が響く中で、その場に居合わせたランクB冒険者に三人分の荷物を預け、「あとで取りに戻るから!!」と言い残して三人を追った。
§
「まったくどいつもこいつも……」
ガキどもに心配されるとは、俺も焼きが回っちまったな。
だが、今回の相手はどうも動きが奇妙だ……俺が始末を付けておきたい。
【黒橡の魔王】こと元ランクA冒険者、リンバード・エドニー。
ランクS昇格候補にも名前が挙がっていた人物だ。
だが去年、中央大陸ギルガニナ共和国でランクAパーティーが【藍鉄の魔王】に惨敗した。
凄惨な現場には、リンバードの恋人の遺体もあったらしい。
時代が流れようと、演者を入れ替え何度でも再演される悲劇だ――
それでも、原因は行為を正当化できない。人の道から堕ちた者には、相応の末路しか残されていない。
魔族化すれば理性の箍は外れ、その渇望は死ぬまで続く。
箍が外れた人間は欲望の化け物だ。野生動物でも限度を逸脱すれば死ぬんだよ。
ランクS相当の魔族は他とは違い、そこらを徘徊しているわけではない。魔人を遥かに凌ぐ能力を持つ魔王も、獰神によって行動を制御されている。
ならば今回の目的はなんだ?
引っ掛かるのは広域殲滅攻撃ではなく、ただ町を目指していたという事実だ。
可能性があるとすれば、【ブルレスケ】だが……あんな誰にも扱えない剣を脅威に感じるのなら、とっくに襲撃して返り討ちの憂き目に遭っているはずだ。
【幻砂の白鳥】ジゼル・トゥオネラとは面識がある。『若き天才』と謳われた女性で、ランクS到達に手間取っていた俺にとっても羨望の的だった。
そんな当時最強の冒険者が、最古の幻獣との本格的な交戦を前にして、撤退を選択した――――それは『逃げるか死ぬか』の二択。その慚愧と屈辱は、想像に余りある。
だが彼女は、恥じ入り絶望し、暴走するような弱い人間ではない。
あろうことか、自らを剣に変えたのだ。
遅れて数年後、俺もランクSに昇格したが、それでも【ブルレスケ】を持つ資格は無い、選ばれないという確信があった。
彼女の屈辱を晴らせるほどの人物――居るのか? そんな奴。
ただ強いだけでは意味が無い。そんなもので、あの偏屈女は救われない。
「――っと、考え事しながら走ってたら、再戦開始か」
近接戦が可能な距離に、魔王が居る。
奴が近接戦を望む理由は分かっちゃいるが、あんなガキにナメられたままじゃあ後進にも示しがつかねえ。
「さあ、悲劇ごっこはここらで終幕といこうぜ?」
§
悔しいけど速い――なんて速さだ。
あたしも【峻厳迅壊】の後を追ったものの、後ろ姿すら一度も捉えていない。
途中で合流した【フィオーレ・マネッテ】のテッドさんは血が足りなそうだったので、携帯していた肉と豆のタンパク質と鉄分を混ぜた丸薬を渡しておいた。
消化吸収は自分で頑張ってくれとしか言えない。冒険者なのだから。
肉か……あたしは『近接戦偏重だから燃費が悪い』ってラファに言われたなあ。
重力魔術も使っているけれど、瞬間的な加速時の効率が悪いみたいだ。
涼平とか、その辺どうやってるのか分からないのよね……無茶苦茶すぎて。
やはり天才――いや、バカでしょあれは。
「滝原君は戻ってこられるかな?」
「その辺は心配してません……理由を訊かれると困るんですけどね」
「ははっ! 面白い奴だな、彼は」
「私はちょっと無理かな。付いていけそうにない感じがして……ごめんね?」
「いえ、至極真っ当な判断です。あたしも振り回されてますから」
「俺達も向かっているが、戦闘領域内にはとても入れそうにない。彼はそれをやって平然と戻ったみたいだし、来てくれると助かるんだけどな」
「来ますよ。そういう人ですから」
「そんな余裕顔で言えるなんて、信頼してるのね」
「俺達みたいに彼氏彼女の関係なのかな?」
「え!? 違います! 有り得ません!!」
「ふーん。そういうことにしときましょう」
「マチルダさんっ!? 意味深に微笑まないで!」
この二人は、ラファという超越存在を知らない。
彼女は……筆舌に尽くし難い、名状し難い何かなのだ。
世の中には周囲に押されて――なんてこともあるのかもしれないけど、あたしは絶対ないから!!
でも……ラファが居なかったら……いや、そんな要素はどこにもない。
「絶対ありませんからね!」
念を押すあたしに、ニヤニヤ顔で「はいはい」と答える二人。
なんで!?
そんな二人を頼りにしばらく進むと、「止まって!」と制止された。
「そろそろ危険な距離だ。君はこの辺で待つほうがいい」
「でも、二人は行くんでしょ? あたしも行きます」
「あなたに何かあったら、滝原君に申し訳が立たないわ」
「いえ、あたしがどうなろうと、あたしの責任です!」
「死ぬかもしれないぞ?」
「死にません!!」
「いいか――俺達は加勢ではなく状況を見に行くだけだ。それだけは間違えないでほしい。魔王には掠り傷一つ付けられないからな?」
「やってみないと……いえ、手は出しません」
そんなにか……でも、そうなんだろうな。
どうすれば、ここから上の領域に行けるんだろうか……もどかしい。
既に交戦は始まっている。
大地は揺れ、破砕と倒木で森が叫び、黒煙と土煙が舞う。
まだ十キマ以上の距離があるのに、まるで巨獣が戦っているようだ。
あたし達は少しずつ距離を詰め、視認できる距離になったけれど――
「あれで膝は大丈夫なんですか……」
「うん。だから心配なんだよ……俺達も」
凄まじい速度の攻防が繰り広げられていた。




