064 断絶の大海
「さて、問題はここからだな!」
国境から海岸へ向かうまでにも何度か実験してみたが、まだ長距離飛行のコツは掴めていない。このままでは東の大陸に戻るまでに半日近くかかってしまう。
可能な限りの最速で跳躍しても、加速と減速のロスが避けられない。
そして既に辺りは真っ暗だ。目印は星の位置だけか……北半球でよかった。
そもそも地球ではないので、新たに覚えるのも大変なのだ。
ただ、今後は『南天の星など知らぬ!』とか言ってられなくなるけど。
時差計算もややこしいが、こちらが夜になったところなら、向こうは昼前だ。
断絶の大海の移動中に深夜から朝になり、ハシャートクに到着するのは夕方か、モタモタしているとまた夜になる可能性もある。
二十四時間内で夜を二回迎えるのは、変な感じだ……。
「まあ、とにかく飛んでみるしかないな!」
我ながら無茶苦茶だ。だが、師匠との修行なんてそれの連続だったのだ。
琵琶湖どころではない広さのミシュクトルの湖を、水溜まりを越えるように跳ぶ師匠に、『最低この程度の速度でなければ的になる』と言って背中を蹴られたときの恐怖……低ランクがやるような鍛練方法では無い。
俺は湖で五、六回ほど魚型魔獣に襲われ、うち二回ほど丸呑みされた。
それに比べれば最近はぬるい――というとラファやルーに怒られそうだが、成長曲線が横這いになっているような危機感がある。
まあ、何よりも強力な武器が必要なんだけど……壊しすぎだ、俺。
跳躍は緩やかな放物線を描いて下降を始める。
必要なのは演算ではなく、魔術の出力調整と配分だ。
魔術はラファのように綿密に構築するタイプと、俺のようにテキトーに勘でやるタイプがいる。
どちらが正しいかではなく、やるか、やらないか――それは、最高難易度の飛行魔術であろうと同じことだ。
『無理だ』と苦笑いで諦める者には、高みは見えない。
ロディトナの惨状を見て心が折れる冒険者は、この世界がずっとそうであった事実から目を背けていたことになる。千年前から、この世界は不条理なのだ。
それでも笑顔で暮らす人がいる。みんな強い。
だが――俺にも少しずつ分かってきた。その強さは肯定するべきではない。
嘆き、抗う弱さを肯定してこそ、見えるものがあるはずだ。
みんなは笑っていればいい。俺は抗ってやろうじゃないか。
あんなものは災害ではない。人の弱さではない。面白半分に殺されてたまるか。
どれだけ強くなっても勝てない相手が居るならどうするか。諦めて半笑いで死ぬまで生きるのか。ドン・キホーテのように笑われながら冒険者を続けるのか――
答えはまだ分からない。
俺は自分に足りない要素について、何度も跳躍を繰り返しながら考察を続ける。
『氷山を作って着地しては再び跳躍』を数回、数十回と繰り返すうちに、ついに夜が明け始めた。
時間がかかりすぎている。まだ大した距離を進めていない。
更に水平飛行を意識すると、少し感覚が掴めたが、やはり落ち始める。
これまでと同じように、着水地点に氷山を作ろうとしたとき――
大きな穴が、海の底からこちらに向かって上がってくる。
「いや、これは口か!?」
巨大な魚だ。口の部分だけで直径十マト――いや、二十マトはあるか。
俺は一瞬剣を握ろうとしたが、折れていることを思い出し、瞬間的に水平に引かれるように移動した――――
「ん? この感じは!?」
跳ねる巨大魚を障壁を蹴って躱しながら、あらためて着水場所に氷山を作って跳躍すると、巨大魚が着水して派手に水柱が上がる。
これで諦めたりはしないだろうな……と思いながら、さっきの感覚を脳内で反芻して『引かれる』状態を作り出そうとするが、やはり下降が始まってしまう。
そうなれば、下にはまだあの巨大魚が並走――並泳? している。あれが魔獣の一種なら、どこまでも追ってくるだろう。
やはり先に倒すしかない。
「しかし……このサイズだと一撃で仕留めるのが難しいな」
剣が使えれば斬撃を飛ばすだけで斃せる相手なのに。
魔術で使えそうなものは……こうなったら突っ込むか!!
「必殺! パクリキック!!」
俺は炎の螺旋を纏い、下方から迫り上がる巨大魚の口へと突っ込む。
プロディジー先生やそれをパクった俺の技は、『火炎』ではなく『温度』の魔術操作となるため、酸素は必要ない。
障壁周囲は円錐形に高温発光しているが、その周囲に纏う螺旋の炎は視覚イメージであり、単なる気分の問題だ。
パクリキックの超高温によって、巨大魚の腹の中で爆発が起こる――
そこまではよかったが、急いで深海から脱出しなければならない。
海の魔獣は遥か遠くからでも音を感知してやってくる。
これ以上、お魚さん達と戯れている余裕は無い。空に退避しなければ。
重力障壁が身体の周りを覆っているため、内側の圧力は一定に保たれているが、急速上昇の推力制御が上手くいかない。水の抵抗がこれほどだとは……。
結局、水に落とした氷が浮いてくるような状態になってしまった。
さっさと離脱するために海中から飛び出し、海面に張った障壁を蹴って上空まで上昇後、再び斜めに降下。海面に作った氷山を蹴り、その場を離脱した。
魔術の精度を上げる鍛練のために、障壁と氷山の両方を使っている。
「空を飛ぶのが大変なように、水中移動にも訓練が必要だな……」
大気と比べて水の質量は厄介だ。バショウカジキが最速と知ってからその速度を見て、地上の最速と比べたら遅すぎるな……と、軽く考えていた。水圧さん凄い。
とりあえず謝っておこう。
「魚類よ、すまなかった。人類の海中移動はしょっぱかったです」
これはこれでいい経験になった。
水中から空中に出る瞬間の、浮力が圧力を跳ね除ける感覚も、いい感じに加速に活かせそうだ。
さっきのは緊急離脱用の動きだったので、次で試してみよう。
また降下し始めたところで、今度はスキーのジャンプ台のような形状の氷山を作り、蹴るのではなく、つるんと滑って仰角を加えるだけにする。
本格的な飛行実験に入り、円錐の障壁に引かれて飛ぶ感覚を身体に叩き込む。
これにはジェイの上で得た感覚も役立っている。
後方から押される推進力ではなく、前方に引かれる状態を意識するのは、実際に体感しなければピンと来ないものだ。
そこからは跳躍ではなく、飛行の精度を上げる工夫を何度か繰り返し、仕上げに高高度での音速超えに挑戦してみることにした。
高高度では大気中の塵による摩擦やバードストライクの危険性も軽減されるが、何より重要なのは浮遊岩の存在だ。
浮遊岩の高度は『地中の魔石との距離』『内包する魔石の大きさ』『斥力と質量のバランス』で決まるため、高高度に到達するのは小型のものが多くなる。
巨大な浮遊島は地表から離れすぎると斥力が弱まるため、ほんの少し傾いただけでもバランスを保持できずに落下してしまう。
すべての均衡が維持されている浮遊岩だけが空に浮かび続け、経年変化でもバランスは変わっていく。
飛行入門者である俺は、高高度のほうが比較的安全に超音速飛行ができる。
低高度での跳躍で眼前に浮遊島があった場合は、手前に障壁を張って蹴れば避けられるが、飛行魔術で同じことをやろうとすると、落ちるか間に合わず激突する。
俺は雲の上まで上昇してから前面の障壁制御に集中するために、温度と酸素量の調節と体内器官の制御配分を四割程度まで落とし、超音速飛行に入る。
あまり長時間だと危険だが、一時間程度ならこの配分でいける……はずだ。
そしてどんどん速度を上げて、あの水面から上がる瞬間の感覚で――――
「――あれ? 速度上がりすぎ!?」
おまけに意識が遠のいてきた……血流操作で血は流れているのに、そこに含まれるべき酸素量が微妙に不足している。
更にやや俯角になって無駄に加速してしまい、今度は水平状態に立て直すことができない。そのままかなりの距離を進み、実質的には墜落コースだ。
薄れる意識の中、眼前には青い海ではなく、陸地が近付いてきた。
クレーターを作るわけにはいかない。慣性飛行に移行してから、地表に突き刺さる前に重力障壁のジャンプ台で身体を滑らせると――今度は仰角すぎた。
慌てて後方宙返りすると、地表に背を向けた『大の字』ポーズになってしまい、間抜けな姿で一回転して空へと戻った。
これが戦闘機のマニューバであればきっとカッコいいに違いない。だが、それを『大の字』の人間がやると、もうお嫁に行けないぐらいみっともない姿となる。
いや、お婿か。
そして間抜け宙返りをしている一瞬、眼下に人の姿が見えたような……。
俺の中のリトルTSタキハラが、「嫌! こんな姿見ないでっ!!」と泣くので、更に加速してその場から遠ざかる。
「もう二度と、こんなところに来るんじゃないぞ……リトルTSタキハラ」
試行錯誤の結果、着地なしで飛び続けられるようになったが、超音速への加速と減速の制御に難渋しているようでは、飛行魔術を会得したとは言えない。
この程度では、師匠には背中を蹴られ、ジェイにも笑われるだろう。
そんなドタバタの空中移動を続けるあいだに、断絶の大海を越えたようだ。
ランクSに認識できるように速度を落としておく。
『俺、冒険者ですから、撃たないで』というアピールだ。
あまり速いと、『面倒だから撃墜してから正体見るか』となるらしい。雑だな。
眼下は既に東の大陸なので、さっきの陸地はジィスハということになる。
やはり人が居るんだな。会う確率は低いとは思うが、ジェットコースターで撮られる写真のような、恥ずかしい瞬間を見られてしまった……。
既に夕刻。眼下に見えているのはエイネジアの町だ。
寄りたい誘惑もあるが、またラファがハムスターみたいな顔になってしまう。
ただ、剣も買っておきたいし時間も微妙なので、次の町に降下する。
もう一つ、やっておきたいことがあるのだ――




