閑話 点は線に、糸は縄に
放課後――
ノギエリちゃんこと乃木絵理ちゃんに付き合って、いろんな授業で使う教材の置かれた資料室に入ると、中で英語の鹿生先生が待っていた。
「なんだ、雛竹も来たのか? まあ座れ」
「あたし一人で来たら、またセクハラされるかもしれないじゃないですかー」
「『また』ってなんだよ!? 一度でアウトだろそれ。――それより、ちゃんと反省したのか? 乃木は」
「しましたー。塾があるから早くセクハラルームから帰らせてください」
「俺を退職に追い込みたいのか!? 反省文は?」
「書きましたー。だから、これ以上エッチなことしないでくださいー」
「そんなに俺を辞めさせたいのかよ!?」
カノっちこと鹿生先生は、弄られ役として面白すぎて、みんなに遊ばれている。
授業は分かりやすくて楽しいし、いい先生だ。
だから私は味方してあげよう!
「ノギエリちゃん。あんまり先生を困らせると、先生の奥さんに社会的に抹殺されちゃうから、程々にね?」
「俺の嫁さんの話、どんなふうに広まってるんだ!?」
「えーっと……音楽業界を裏で牛耳ってるハッカーで、音大の教授と世界的音楽家に土下座させた超絶天才って聞きました!!」
「一部事実だけど、それと社会的抹殺がどう繋がるんだよ……」
どの部分が事実なんだろうか……気になる。
すると、ノギエリちゃんが青褪めた顔で反省文を差し出して言った。
「こ、殺さないでください……」
「もう無茶苦茶だな!?」
先生がノギエリちゃんを呼び出したのは、社会的抹殺のためでも校内殺人のためでもなく、彼女が英語の授業中に読んでいた小説を返すためだ。
そもそもノギエリちゃんが悪い。さっさと謝って小説を返してもらえば済んだ話なのに……。
「ちゃんと反省文書いてきたから本は返すけど、他の先生の授業でも絶対やっちゃダメだぞ?」
「すみませんでした……殺さないで……」
「まだ言うか!? そんなに面白かったのか? この小説」
「寝る前にちょっと読んだら寝落ちして、続きが気になって……」
彼女が授業中に読んでいたのは、綺麗なイラストが表紙のライトノベルで、お昼休みに聞いた内容は、こうだ――
『異世界に転生したら公爵家のお嬢様になっていた主人公が、社交界と政略結婚に嫌気が差して、世界を巡る漁師として釣り竿一本を担いで逃避行に出るが、旅の途中、数多のイケメンに言い寄られて煩わしいので、スープレックスで千切っては投げ千切っては投げしながら、本当の漁師とは? 魚釣りの奥深さとは? を知る物語』
何読んでるの、ノギエリちゃん……スープレックスは投げて固める技だよ……。
「異世界転生ものが流行ってるらしいな。転移するのもあるのか?」
「ありますよー。ゲーム世界っぽいところに行くのが多いですけど」
「ああ。ステータスとかレベルとかスキルとかあるやつな」
「鹿生先生、詳しいんですねー。現役オタクなんですか?」
「いや、知り合いの漫画家さんに無理矢理押し付けられたんだよ。『若者の読んでいる作品にも触れておかないと、脳が硬化していくぞ?』とか言われてさ……」
「心配するほどの歳でもないですよね?」
「まだ二十七だ。相手が変人なんだよ。それより異世界か……懐かしいなあ」
「学生時代の話ですよね? 勇者とかそういうやつですか?」
「真愛ちゃん……カノっちゾーンに引き込まれちゃダメだよ?」
「どんな空間だよ!? 行って帰ってきただけで、なんにもしてないけどな」
「うわあ……始まったよ……」
そう。鹿生先生は『異世界でも英語は必要だ』とか言うせいで、弄られキャラに定着してしまったのだ。
だけど、私は嘘だと思えない――異世界の話をするときの、先生の優しくて少し寂しそうな目は、お父さんが田舎の思い出話をするときと同じ目だ。
ウケを狙って作り話をしているようには見えなかった。
「とにかく、授業中に読んじゃダメだからな。早弁ぐらいにしとけよ?」
「女子に早弁とか、デリカシー無いなあ……カノっちは」
「悪かったな!!」
「私は休憩時間に早弁してます!!」
「雛竹は、頑張って成長しろよ……」
「うう……セクハラですよう……」
「身長の話だよ!?」
§
宿からティルス家までの道程を、そんな地球での出来事を話しながら歩く。
メリンダさんは「まったく変わってないですね」と、優しく微笑んでいた。
家に着いてからも、鹿生先生から聞いた漫画家さんの話をすると、メリンダさんは更に嬉しそうな表情になった。
「最後の言葉が『また会おう!!』でしたから、いつか会えるかもしれませんね」
やっぱり先生の話は本当だったんだな……しかも、ただ会っただけじゃなくて、フリシーの名付け親が、その漫画家さんだったなんて!!
やっぱり出会いは必然。ノギエリちゃんは深く反省を!!
いろんな話をしていて話題になったのが召喚された時期のズレで、私の場合は、死んだのが二〇一五年、この世界に召喚されたのが地球の二〇一九年になる。
そのまま生きていたら十九歳だけど、十五歳だ。なんか不思議……。
「過去にはいくらでも遡れるって凄いですよね! これからジャンヌ・ダルクとか戦国武将とか、来ちゃうかもしれませんね!!」
「そこまで古い時代の人が召喚されたのは最初期の十年間ぐらいで、経年の知識と知恵とペナルティのバランスを考慮して、現状に至ったみたい」
「そっかー。確かに『今の時代にそれはダメ』みたいな、倫理観の違いはありますよね……でも、本当は年上なのに年下になるのも変な感じですよねー」
「え? う、うん。そうかもしれないわね……」
フリシーのやる気に満ち溢れた計画書を見せてもらったあと、何故か不思議な反応をするルーさんと一緒に宿に戻った。
その翌朝、午前四時――
といっても、目覚まし時計は無い。時限式魔術の破裂音で目覚めた。
考案したのはラファさんだ。
ヴィスティードの人達はあまり時間を気にしないので、太陽の傾きと鐘楼の鐘、そして時計塔にある大きな時計を目安に生活している。
何時何分何秒が大事な人は、個人で懐中時計を隠し持っているみたいだ。腕時計は人目に付くので危険らしい。
つまり、ラファさんが目覚まし魔術を考案したのは、滝原さんのためだ。
やっぱりラブラブなんだな、二人って。……羨ましい。
私と同部屋のルーさんは、既に着替えを始めている。
思わずじっくり眺めてしまったら、怒られた。
こんな時間から起きだしたのは、私の鍛錬のためだ。
ハシャートクの町に来てから、毎日の朝練に付き合ってもらっている。
部屋を出ると、滝原さんとラファさんが待っていた。
「みなさん早起きって平気なんですねー」
「睡眠制御もできるようになるからね。本当はしばらく寝なくても平気なのよ」
「睡眠は一種の自己補修時間ですから。自分を治癒できるようになれば、無睡眠でいつまででも過ごせるようになります」
「だけど俺は、ふかふかベッドで寝たい派だなー」
「早朝エロバズーカですか? 涼平さん。ささ、部屋に戻りましょう」
「戻らないぞ? なんだよエロバズーカって!?」
ルーさんはジト目になって二人を見ている――
私も滝原さん派だなあ。寝なくてよくても、ふかふかベッド最高!
まだ暗い中、門番さんに挨拶して通用門から壁外に出ると、何故かメリンダさんが待っていた。
「さて、始めましょうか」
「メリンダさん!? なんで居るんですか?」
メリンダさんが、滝原さんにキスするのかと思うぐらい顔を近付けて話す。
「『こっそり鍛錬』がバレてしまったのですから、見抜いた人物にお相手願うのは当然ではないでしょうか?」
「俺? なんで!?」
ルーさんはジト目になって二人を見ている――
ぐいっと滝原さんの肘を引いたラファさんが言う。
「早朝エロは私のものです」
「誰のものでもないよ!?」
そんな二人のやり取りを、メリンダさんは笑顔で見ていた。
みんなで軽くストレッチしてから、鍛錬の開始だ。
リヴィーさんにも基礎は教わったけど、まだ双剣の使い方が覚束なかったので、そちらに多くの時間を割いていた。
今は、より実戦的な動きが学べる。私も少しは成長してるといいな……。
私の基礎的な鍛練だけでなく、個々人の鍛錬も並行して進められる。
跳躍する滝原さんの動きをじっと眺めてしまって、ルーさんに怒られた。
「真愛ちゃん。跳べば落ちるのよ? まず身体を作らないとね?」
「う。すみません……だけど、トン、ビューン! って凄い高さまで……」
「まずはルベルムさんのように、浮き袋を育てなければ危険なのです」
「斬るわよ!?」
『一緒に過ごした期間は長くない』と聞いたけど、みんな仲良しで羨ましい。
いつか私も、ぺしっと頭をはたかれるぐらいの関係になりたいなあ。
そして朝練の最後は、組み合わせを変えての模擬戦だ。
とにかく滝原さんが凄い。剣を使わず素手で攻撃を躱し、捌いてしまう。
メリンダさんも「ランクSには及びませんが、ランクAの中では既に突出した才能ですね……」と感心していた。ランクSは更に凄いのか……。
「そういえば、メリンダさんも元ランクAなら、二つ名はあったんですか?」
「ええ。【絢爛剣戯】といいます。フリシーが産まれる前の話ですが」
「ずるいなあ。なんでみんなカッコいいやつなんだよ……俺とかギャグじゃん」
「【疾走する諧謔】って、カッコいいですよ! 私も早く二つ名欲しいです!!」
「そうですね。素敵な二つ名だと思いますよ? 誇るべきです」
「うう……変な服を『似合う』って連呼されたような、複雑な心境……」
「ちょっと! あたしの攻撃無視して会話しないでよね!!」
滝原さんはルーさんの鞘も含めた三刀流を、軽く躱している――
ルーさんも既にランクA相当の実力だ。リヴィーさんより強いのは間違いない。
それでも、雑談しながら相手をできるほどの差があるんだ……凄い!
まったく剣を使わずに模擬戦を終えた。――と思っていたら、何回か抜いて鞘のブレードを弾いていたらしい。まったく見えなかった……凄すぎる!!
すると、メリンダさんが滝原さんに駆け寄り、ぎゅっとハグしてから言う。
「素晴らしい!! これでフリシーの未来は安泰です!」
ルーさんはジト目になって二人を見ている――
どういう意味かは分からないけど、メリンダさんがそこまで言うなら、やっぱり凄いんだな。……私は貧困なボキャブラリーも、どうにかしないと。
町へ戻るとき、私の鼻歌にメリンダさんとラファさんが同時に反応した。
「その歌は……地球で流行っているのでしょうか?」
「地球というか……インターネットなので、確かに世界規模ですね。先生の奥さんがやってる『レオノーア』っていうユニットの曲で、凄く有名なんですよー!!」
「ああそれ、俺もよく聞いたなあ。『アンタイトル』って英語の曲だよな。動画がまた泣けるんだよな。プロの漫画家さんがやってて」
「そう……ですか……」
何故かメリンダさんとラファさんが、涙ぐんでいる――
もしかして……この世界でも知られてる曲なのかな?
「それでは、みなさん一緒にお風呂に参りましょう。混浴で!」
「いいですね、行きましょう!! 混浴で!」
「真愛ちゃん、感化されちゃダメよ? ほんとにやるからね、メリンダさんは」
「え? 何か問題が?」
「宿に戻ったらお説教タイムね……」
首を傾げつつ、ふと気付くと――滝原さんが居ない。
遥か遠くを走っていた。何故か投げ縄を回しながら、ラファさんが追っていく。
ラファさんも混浴賛成派なんだな。




