004 月刊ノスタルジア
紅蓮の槍が魔獣に突き刺さり、火炎の柱が立つ。
《フクロライオン》は叫びながらこちらへ走ろうとするが、その足にはいつの間にか木の根が絡み付いていた。あれもラファがやったのか?
「やっぱり魔法がある世界なんだな……」
「『にほんご』で表現すると『まじゅつ』になるわね」
「ルーは日本語の発音が上手いな。異世界で正確に意思疎通できるようにするのって、いろいろと大変なんだろうな」
「あたし達は自動翻訳の【加護】があるから問題無いわよ? 地球言語に関しては専門家もいて、細かいニュアンスまでフォローされてるし」
「専門家って……妙なとこまで行き届いてるんだな」
そんな会話をしている間に《フクロライオン》は炎に焼かれて絶命し、黒い煙が立ち昇っている。
「さっきのスミロドン――じゃなくて《サーベルタイガー》といい、目の前で動物が殺されているのに、あまり忌避感がないのは一体どういうことだろう?」
「それは天人に与えられた【加護】の一種ね」
「この世界で生まれ育った者は、物心が付く前から『危険とその対処』を刷り込まれていますが、天人の皆様はパニックを起こさないように、恐怖や憐憫の感情が鈍化させられているのでしょう」
「頭の中まで弄られてるなら、もっと賢くしてほしかったなあ」
「死んでも治らなかったんだから、きっと手の施しようがなかったのよ」
「この世界に寿司ってあるのかなあ」
「なんの話よ!?」
「森の石松ですね」
「死んでも治ってないけどな……って、なんでラファが知ってるんだよ!?」
詳しい話を訊いてみると、今から十年以上前に天人によって創刊された、『ノスタルジア』というベタなネーミングの雑誌があって、各国の昔話や小説、劇や歌などを覚えている部分までざっくりと取り上げて、それを読んだ天人や後輩達がまた補完していく形式のようだ。
そのために、各ギルドには投稿ボックスが置かれている。
断片的な情報が一定量に纏まってくると、それらをハードカバーの本として製本していく。そちらは『フォックス&ストーク』というタイトルらしい。
「ノスタで読めるのはあらすじとか触りの部分ぐらいね」
「それも略すのか。触りって一番重要なとこだっけ?」
「そうです。あまり強すぎてはいけません。優しく、相手の反応を見ながら――」
「なんの話よっ!?」
インターネットの無い世界で、記録が編纂される過程を見られるのは、なかなか興味深いな。
科学や化学知識のような悪用の恐れがある内容については、冒険者ギルドの検閲が入って情報管理されているようだ。
「冒険者ギルドってそんなことまでやるのか……バカには務まりそうにないな」
「順を追って知りたいこともあるとは思うけど、そうやって積み重ねた文化も権力も財力も、一瞬で蒸発する世界だから、何よりも『強さ』が優先されるのよ」
「世界まるごと戦闘民族なんだな」
「う、うーん……ニュアンスはなんとなく分かるけど、違うわよ?」
「魔族でなくても獣は人を襲います。身を護るために強くなった人が自分より弱い人を襲えば、更に上位ランクの冒険者がそれを罰します」
「最弱だろうと最強だろうと力は護るためにあるってことか」
「そう。誰かと競い合うようなものじゃないのよ」
「俺はもし強かったら、旅でもしながらのんびりと生きていきたいなあ」
「無理」
「無理です」
「全否定かよ!?」
というか、二人とも俺と年齢が近いのにしっかりしてるなあ。
「この暗黒世界の支配階級は、みんなランクSクラスの強さなんだろうか?」
「暗黒世界って……否定はしないけど」
「そこは否定してほしかったよ!」
「国によって違いはありますが、力による支配はむしろ難しいと思いますよ?」
「そうね。天人には『ペナルティ』もあるし」
「ペナルティ?」
「知ってのとおりペナルティは大きく二つあって――」
いや、知らないんですけど。ペナルティって何!?
「ちょっと待って、情報の洪水で土左衛門になりそうなんだけど」
「青い猫ですか?」
「それとはちょっと違うやつだよ」
「かなり違うでしょ! 言語変換されてるのに複雑なネタ挟まないで!!」
異世界言語によるボケツッコミの成立によって、あらためて『ノスタルジア』の存在意義と、地球言語の専門家の優秀さを確認できたところで、少し休憩をとることになった。
上面が切断されたように水平な、丁度いい高さの岩に俺達が腰掛けると、《ゴーレム》も少し離れた場所で歩みを止めた。
二人はウエストバッグから金属製の水筒を取り出す。蓋はコルク栓だ。
「どうぞ、ただのお茶です。天人のみなさんは毒耐性がありますし、細菌や寄生虫についても心配ありませんので」
ラファが水筒を差し出す傍らで、ルーは飲み口を布でしきりに拭っている。
「えーっと、コップは……無いよね……」
「お気になさらず。まだ沢山残っていますから」
「あなたは少し気にしなさいよっ!」
ルーが念入りに飲み口を拭いた水筒を差し出す。
「そちらは何やら汚れているようですので、こちらをどうぞ」
「違うわよっ!」
この場合、俺はどうするべきなのか……。
「じゃあ……ラファの方を貰おうかな」
「全部飲まないでくださいね?」
ルーは無言で赤面したまま、差し出した水筒を自らの口へ移動させた。
なんだか申し訳ないようなこれでいいような、複雑な心境のまま異世界のお茶を飲み、ラファに水筒を返す。
初めて飲む異世界のお茶の味は――よく分からなかった。