003 まず調律が必要です
この世界にも太陽がある――今は正午前後だろうか。
気温はやや肌寒く、日本ほどはっきりしていないが、この世界も今は秋だろう。
空中から見た景色も周囲の木々も、新緑というよりくたびれた色だ。
俺が着せられていたのは、ズボンは当然として、上はTシャツと、その上から厚めの長袖シャツだけだった。もう一枚あるとよかったかも。
下着がどうなっているのか気になるが、女子の前でズボンを下げて確認するわけにもいかず、『なんか穿いてる』という感覚だけを認識していた。
この世界は国による多少の発音の違いはあれど、概ね『ヴィスティード』という日本人には発音しづらい名称で呼ばれていて、ここは『ミシュクトル王国』の王都からは遠く離れた僻地のようだ。
そして『冒険者』と呼ばれる人達は、『魔族』と呼ばれるモンスターと戦うだけではなく、様々な仕事を請け負っていて『冒険者』が正式な職業名らしい……他に候補は無かったのだろうか……。
既に他の関係者はすべて立ち去ってしまい、この場に残っているのは俺達三人と謎の石像こと、魔族の《ゴーレム》だけだ。
女性二人はここに来る前に軽く挨拶しただけと聞き、俺は三人の自己紹介を提案した。
金髪の少女が『ルベルム・ノースフィールド』十五歳でランクC。
略称は『ルビー』ではなく『ルー』でいいらしい。
ローブ姿の少女が『ラファイエ・アルノワ』十四歳でランクB。
略称は『ラファ』だ。
俺。『滝原涼平』十五歳。ランクって何?
「略称か……日本では『こーおつ』なんて捻った呼ばれ方もあったなあ」
「ややこしいわよ! 涼平でいいでしょ」
「ルーは日本語分かるんだな」
「す、少しだけよ? 日本からこっちの世界に来た人も多いし」
「マジで!? 会えるといいんだけどなあ」
「そ、それにしても……あんなのがランクAだっていうんだから困ったものね」
封筒のようなものを拾い上げながら、ルーが嘆息する。
『あんなの』とは、さっきの青い顔の紳士のことだろう。
「それが放棄されたのって、『ああコイツ死ぬわ』ってこと?」
「ええ。自宅に招いた客人が自殺したような、面倒な案件だから」
「【氷の戯曲】リュック・ハウアーは、あまりいい噂を聞かない冒険者です」
「現場の責任者がこれだもの……今後も要注意人物かもしれないわね」
言いながら、ルーは封筒をひらひらさせる。
一方で俺は、少し引っかかったキーワードについて確認しておく。
「ひょっとして……異名みたいなのがあるのか? 冒険者って」
「二つ名ですね。そして引かないでください。慣れてしまえば名前を覚えるよりも楽なのです」
「二人にも二つ名があるの? 引かないように努力するので教えてほしい」
「それ、引く前提で訊いてるでしょ……無いわよ?」
「ランクAに達するとギルドから候補を渡されて、自ら選ぶのです。嫌なら拒否もできますが、二つ名があると高額依頼など有利な面もあるようです」
「付加価値になるってことか……なるほどなあ」
ともあれ、俺達はここから一番近い『エデルクア』という町へ徒歩移動する事になった。
「どれぐらい歩くのかな? あと、あの《ゴーレム》は放置でいいの?」
「一般人の足でも、夕方までには着くわよ」
「《ゴーレム》は放置で構いません」
「どうせ突っ立ったままだもんな。さっき集まってた人達も、みんな徒歩で来てたのかな?」
「自力か馬車です。馬が怯えないように、少し離れた場所に繋がれていました」
「キミも天人として扱われるんだから、ホントだったら馬車に同乗して行けたんだけどね」
「あはは……馬も居るんだなあ、この世界……」
乾いた笑いしか出なかった。そして《ゴーレム》は動かない。
「――というか、『天人』って?」
「ああ、いきなりそう言われても分からないわよね」
「異世界から招かれた人々のことを、この世界ではそう呼ぶのです」
「なるほど。そういった独自の言葉も覚えなきゃいけないんだな」
「ま、ここで立ち話を続けるのもなんだし、そろそろ行きましょう」
俺たちが召喚儀式用の開けた場所から町に向かって歩き始めたとき、ふと、後方から異質な気配がしたので振り返ると――
「あの……《ゴーレム》が付いてくるんだけど……恐いんですけど」
「あれは監視のようなものです。お気になさらずに」
「新たな召喚者に興味津々なんでしょ」
俺は一抹の不安を抱えたまま、黙って二人に従うことにした。
ルーの溌剌とした声がバイオリンなら、ラファの優しい声はフルートだ。
二つの音色で語られる、この世界の文化水準、国や都市の在り方――内容すべては頭に入らなかったが、ざっくりと概要だけ把握しておく。
「あの《ゴーレム》って、本当に触れるだけで攻撃してくるのか?」
「これは仮説ですが――敵意のようなものを感知する可能性はあります」
「俺がバカだから助かったってことか」
「自分で言うかな……まあでも、そうかもね。キミがバカで助かったわよ」
「ああ、そこは任せてくれ。自信があるんだ。さっきのモンスターも魔族ってやつなんだろうか?」
「先程の《サーベルタイガー》のように獣が巨大化、凶暴化したものは『魔獣』と呼ばれ、『獰神』と呼ばれる邪神を頂点に人間に害を為す種族は、総じて『魔族』と呼ばれています」
「本当にゲームみたいな世界なんだな」
「ゲームと違って死んだらそれっきりだけどね? 遠距離広範囲攻撃で即死とか」
「不意打ちで死ぬのは嫌だなあ……」
「そこまで高威力の攻撃は、そう頻繁にはないわよ? ランクC以下に相当する魔獣は数が多いから、遭遇する頻度も高くなるけどね」
「そうですね。丁度あそこにも――」
ラファの指差す方向を見ると、十メートルほど先に有袋類の一種である、ティラコレオのような魔獣が居た。
やはり巨大だ。体長は三メートルを超えているだろう。
これも地球では新生代の生物だ。肉食だが走力は高くないらしい。
数的不利を理解しているのか、いきなり襲いかかってはこない。鋭い牙を見せて威嚇しながらこちらの様子を窺っている。
「ああ、《フクロライオン》ね」
「なんで和名なんだ……そんなことより、いつの間にあんなところに?」
「木から襲いかかる前に落ちてしまったのかもしれません」
「鈍臭いな!? あんな巨体で木に登れるのか?」
言ってから気付いたが、そうだ、木も巨大なんだっけ……その辺に生えてる木が地球ならば最大級で、人間が気軽に木登りできるようなサイズではない。
視線をラファに移すと、その左右には細長い槍のような炎が、漢数字の『三』を描くように並んで浮かんでいる。
彼女が手にした短杖を、タクトシュトックを振るような優雅な動きで魔獣に向けると、炎の槍は右、左と時間差を置いて、三連符を奏でた――