037 砂礫の湖
砂が流れる――湿地の流砂ではなく、魔獣が流動化させているのだ。
そして、砂地に渦が発生する。
リヴィーの顔が真っ青なのは恐怖ではなく、自責の念からだろう。
残る二人は、状況を把握できないまま混乱状態にある。
逃げろと言われても、どの方向が安全なのかを知る術がないのだ。
周囲の砂が徐々に速度を上げ、《バジリスク》の背中の『クレスト』と呼ばれる帆の部分だけが流砂を切って進む。その光景は、まるでパニック映画の鮫だ。
頭部のクレストは地中を進むために使うのか、地表には出てこない。
クレストだけで全長を把握するのは難しいが、おそらく二十マト以上だろう。
水の上を走る小さなトカゲの魔獣化とは思えない――本当は幻獣種で、トカゲの名付け元となった幻想生物の生態なのか?
「砂に呑まれたら助からない。足場を作って跳んで逃げろ!!」
それが可能なのは真愛以外の三人だが、サーフェアは跳躍距離が短い。筋力が足りているのはリヴィーと俺だけだ。
初手で詰んだ……。
「リヴィー! 逃げるぞ!!」
「二人はどうするのですか?」
「俺達まで動けなくなったら、二人を助けられないだろっ!」
既に救出は困難だ。砂の渦は、じきに俺ですら離脱できない速度に達する。
リヴィーなら流砂の上でも移動可能だとしても、二人を抱えて《バジリスク》と交戦するのは不利だ。爆炎魔術は砂に潜られ、硬質化の魔術は無効化される――
そして相手が単純な物理攻撃のみでも、流砂の上では飛行魔術に近い歩法が必要になる。砂礫の湖上で戦うようなものだ。
地に足を着けて戦えないのが、これほど厄介だとは……。
「マックス! 私達のことはいいから逃げて!!」
「そうだよー。マックスが生きていれば、わたしは幸せだからー!」
俺とリヴィーは間一髪で流砂の領域を離脱し、二百マト以上の距離を取った。
俺を愛した――愛させた少女達が、視線の先で砂に呑まれようとしている……。
その時、《バジリスク》が流砂から跳ね上がった。三十マト級だ。
奴は大量の砂ごと彼女達を呑み込み、再び砂に潜った――――
「遠距離攻撃も難しい相手だが、この剣なら斃せる」
「ま、待ってください! まだ……二人が助かる可能性はあります!!」
「俺達がいてこのザマだ。せめて《バジリスク》を仕留めないと」
「彼女達は大切な仲間でしょう!?」
「だからこそ、二人の犠牲を無駄にはできないだろ?」
「まだ生きています! 魔獣の腹を裂けば救えます!!」
「喚くなリヴィー。少し、静かにしてくれないか」
「――っ!?」
嘆き、慟哭しても力など得られない。俺は剣に怒りを込める。
憎い……俺に努力の無意味さを思い知らせ、虐げた人間が憎い。
天性の記憶力を以て、順風満帆の人生を送れる奴が憎い。
お調子者の馬鹿なのに、何をやっても上手くいく奴が憎い。
すぐに浮気するクズなのに、美人の彼女や嫁が居る男が憎い。
己を律する規範も持たず、他人のせいにして流される女が憎い。
俺より――――強い奴が憎い。
「だが、俺は負の感情を力に変えるっ!!」
感情を吸った聖剣【カセクシス】が、数十マトの長大な剣と化す。
砂の地表に出現したクレストが、高速でこちらに迫ってくる。
俺は頭上に掲げた聖剣を《バジリスク》に向けて振るう。
その巨大な剣は、魔獣を真っ二つに――――する前に霧散した。
「馬鹿な!? 《バジリスク》には魔術障壁を作る能力まであるのか?」
「君は、冒険者を続けるべきではない」
流砂の上、宙に浮いている男が居た――今のは奴がやったのか?
その背後の流砂から、狙いを変えた《バジリスク》が跳ね上がる。
だが、魔獣の巨体はそのまま空中で静止し、尻尾から順に輪切りにされて地表へ落ちていく。
「サーフェア! 真愛! ……ああ、なんてことを……」
リヴィーの悲鳴が響く。当然だ。あれでは呑まれた人間まで切断されるだろう。
――俺が言えた義理ではないが。
しかし、《バジリスク》の輪切りが下腹部までくると、外皮と肉だけが林檎の皮を剥くように螺旋を描きながら瞬時に切除され、骨と内蔵だけになって落ちると、やがて流砂も停止した。
朦々と舞い上がる砂煙の中、二人の少女を抱えた男のシルエットが、ゆっくりとこちらに飛来する。
「剣技を使うなら、最低でもこのぐらいはやってもらわないとな」
「なんだよお前は!?」
「リアン・カーベル!! 【最強】のランクS……っ!」
リヴィーがその名を口にしたことで、ようやく男の正体が分かった。
理想的な男性像をそのまま顕現させたような容姿と、それに見合った実力――
俺が最も嫌いなタイプだ。
「なんであんたがここに居るんだよ!」
「近くを通りがかったら魔獣の反応があったので、様子を見に来ただけだ」
「あ、ありがとうございます!! 私、ランクAなのに何もできなくてっ……」
「当然だ。その状態では、君の実力を引き出せない」
「え!? どういう……意味でしょうか?」
「リヴィー! 俺はこの男と二人だけで話したい……二人を、安全な場所に連れて行ってくれないか?」
「……はい」
気を失った二人を抱えてリヴィーが離れるのを確認した俺が、リアンに話しかけようと一歩踏み出したとき、奴が右手を無造作に一振りすると、その一瞬の動作で周囲の砂煙が晴れた。
「そういう余興はいらないな……それで、どこまで知ってるんだ?」
「その前に、君はもう一体の魔獣を感知できているのかな?」
「はあ? いちいち苛つく言い方だな。俺がそいつを始末してやるよ!!」
「それは頼もしい。だが、あんなやり方で女性を虜にしても、君の命令が彼女達の潜在能力を抑制してしまう。いずれ命令だけを待つようになってしまうぞ?」
ムカつく野郎だ……俺は先刻、それを思い知ったところだ。
俺の指示が枷となり、個人の意志で臨機応変に戦えなくなる……だが【加護】の力によって彼女達は自己判断で行動せずに、俺の指示を仰ぐ。
それは『あらゆる面で』俺が絶対的存在になっているため、揺るがない――
神は俺の要求を、無条件に叶えるつもりなどなかったようだ。
「正しく招かれた人物ならば、上手くやれたかもしれない。だが、君には無理だ。何故なら――」
「何が正しいかは俺が決める。俺は他にもチートスキルを持ってるんだよ」
「ほう。それで強くなれると?」
「自分のステータスが見える。強くなるためにはどの能力をどれだけ伸ばせばいいか、戦闘中なら、あとどのぐらい無理ができるかも、全てが数値化されて見えるんだよ。こればっかりは、努力したってあんたには真似できないだろ?」
「なるほど。どう役に立てるか次第だが、面白い能力だ」
「数値を見ながら無理なく効率的に力を付けていける。実際、たった一年でランクCだ。あと二年もあれば、最強はこの俺だ。聖剣【カセクシス】もあるからな」
「君、それは魔剣だぞ?」
「うるさいなっ!! あんただってこの剣の力を見ただろ? 俺が更に強くなれば、この剣の威力も上がる。この星だって割れるほどになるさ」
「それは困るな。住むところがなくなってしまう」
「だから待っとけよ、【最強】!! 俺が越えてやるまで!」
「残念ながら、君は真実を知る機会を逸してしまった。その無謀な願いも実現することはないだろう。向こうに出現したもう一体も、僕が始末しておくよ」
言葉の終わりと同時に、その姿は消えていた――――
「ムカつく野郎だな!!」
§
『北の荒野に《エラスモテリウム》が出たらしいぞ!』
今頃は、そんな情報がギルドに飛び込んでいるところだろうか?
「ややこしいときにややこしいことって重なるものなんだな……」
「冒険者には付き物でしょ」
「ですが、今回の場合は厄介者のパーティーが厄介な魔獣に挑もうとしていると、そこにもう一体厄介な魔獣が接近しているわけですから」
「ああ面倒臭い……って話よね」
「せめて厄介者のパーティーが自重してくれたらなあ……」
俺達が《バジリスク》の出現地点におよその見当を付けて向かっていたところ、付近にもう一体、ランクA相当の魔獣が出現したのだ――
その方向から来た冒険者の話なので確実な情報なのだが、二体のランクA相当の魔獣が近い距離に居るのなら、マックス達が危ない。
事前に気付くべきだった……北の荒野は雑な地図でも分かるほど、地面の大半が砂地と化している場所なのだ。
俺達は臍を噬むような思いで現場に向かう。
人が死んでから悔やんでも意味が無い。止めようと思ったなら、無理矢理にでも止めるべきだった。
それでも俺達は、『まだ絶望するべきではない』と理解する――
遠方に、体長二十マトほどの黒い魔獣と対峙する一人の冒険者が見えた。
「あの巨大なサイみたいな魔獣は……《エラスモテリウム》だな」
「応戦しているのはリヴィーさんではないでしょうか?」
「先行する!! フォローと周辺警戒を頼む!」
俺は二人を残し、魔獣の居る場所まで一気に跳躍する――およそ八百マトだ。
冒険者が一人しか見えないのが気掛かりだ。他の面子はどうなった?
俺の接近に気付いた褐色さんが瞬時に機転を利かせて、攻撃しやすい角度を向くように魔獣を誘導してくれたので、跳躍の加速をなるべく殺さないように回転してから、隙だらけの巨大な横っ腹目掛けて飛び蹴りを喰らわせた。
百マト以上吹っ飛ばしたが、体毛を硬化させられる魔獣だ。ただの蹴り程度では身体を貫けない。それでも少しは時間を稼げるだろう。
「大丈夫ですか? 他のみんなは?」
「えっと……滝原さん、でしたよね? 何故ここが分かったのですか?」
「勘です。他のみんなは?」
「だ、大丈夫です! サーフェアと真愛は気を失っていますが、あちらに」
指差す方向に一瞬視線を移すと、そこは高台になっていて、二人を防壁で囲んだところに光魔術で光学迷彩を施してあるようだ。
やはりランクAだな。ちゃんと安全な場所に隔離している。
その方向をラファとルーに指し示し、こちらに向かって突進してきた《エラスモテリウム》のツノを切断。重力操作を併せた回し蹴りで相手の巨体を再度遠方まで吹っ飛ばしてから、問いかける。
「マックスは?」
「少し離れていますが、あちらに【最強】と二人でいます」
「【最強】って、二つ名ですか? それじゃ無事なんですね」
「はい。《バジリスク》は【最強】に斃されましたので……無事、です」
少し声のトーンが沈んでいる気が……【最強】とかいう小っ恥ずかしい二つ名の人物に、何か問題でもあるのだろうか?
それはさておき、全員の無事が確認できたなら、あとは遠くで突進の準備をしている魔獣を斃すだけだ。
「俺が斃しちゃってもいいですか?」
「構いません。私は……全力が出せませんので……」
この感じは――よく分からないが、やはり向こうで何かあったみたいだな。
だが話は後だ。まずは《エラスモテリウム》を仕留めてしまおう。




