034 さらば長い友達よ
夕刻を告げる鐘が鳴り響く。
「もう、そんな時間か……」
のそのそと起き出した俺は、顔を洗うために宿の共用洗面所へ向かう。
学校にあったような、横にずらっと並んだタイプの手洗い場で洗顔していると、隣にルーが立った。
「おはよ。……でもないわね」
「なんかこういうのも、新鮮というか懐かしいというか」
「学校みたいな?」
「うん。ルーの国でもあったの? こういう手洗い場」
「え、ええ。……あったわよ?」
そこへ洗顔と着替えを済ませたラファがやってきて、ルーを横からじっと眺めてから言う。
「俯いたとき、弾けたりしないのですか?」
「なっ!? しないわよっ!!」
「あのなー、ラファ。俺は男だから言及せず堪えてるってのに、そういう――」
「じっくり見るなバカ!!」
真っ赤な顔で部屋に駆け戻ってしまった。
押さえているのは分かる。そして、かなりの物量を押さえているのも分かる。
更に成長を遂げている――実に素晴らしいことじゃないか。
ラファは平然とした顔のまま、両手で空気に豊かな山を描く。
「このぐらいかと」
「やめてあげて……きっとルーにはルーの事情があるんだろう」
着替えた俺達は夕食へと出掛け、これからのことを話し合う。
この町の飲食店のことは知らないので、ルーに任せると――
「……やはりこうなるか」
「何よそれ!? 二人ともお腹空いてるだろうなーって思っただけじゃない!」
焼肉メインの店だった。
「俺はいいけど、ラファはどう?」
「見てください! ライチ杏仁豆腐アイスがあります!!」
「……いいみたいだな」
個人的に焼肉はタレが重要だと思っているのだが、味噌も醤油もある世界だ。
なんの不満もなかった。むしろ絶品だった。
「これまでの話は聞いたけど、これからルーはどうするつもりだったんだ?」
「そろそろ中央大陸に行こうかと思ってたんだけど、最近、南のほうにもきな臭い話があってね……」
「魔王とか? ギルドでは特に聞かなかったけど?」
「今の段階ではまだなんとも言えないかな……南の海で巨大な水柱が上がったり、ちょっと様子がおかしいみたい」
「もし相手がランクS相当であれば、私達だけでは対処できません。南の国で動きがあれば、ギルドにも情報が上がってくると思いますが……」
「そうね。何よりあたしも早くランク上げたいし」
「だったらまず先に、ランクA昇格試験か……」
「問題は、相手が居るかどうかですね」
ミシュクトルと比べれば、ルトクーアのほうが高ランクの魔獣が居るようだが、それでもランクAクラスとなると簡単には見付からないらしい。
魔獣は向こうから襲ってくるのに遭遇しないのだから、絶対数が少ないのだ。
そういった国にランクSの冒険者は長く留まらないため、『ついで仕事』を依頼することも難しくなる。
それにさっきのルーの話を聞く限りでは、ランクSは南方の国へ向かう可能性が高い。
「五年、十年といった長期目標は置いといて、短期的にどうしても変更できない予定がなければ、俺達と一緒に旅をしないか?」
「私はどちらでも構いませんが」
「それはいいんだけど……本当にキミ達は『そういう関係』じゃないの?」
「私のほうは、心の中の歓迎式典が何度もリハーサルしている状態ですが」
「ほらラファ、アイスが来たぞ? ――そうは見えないのかもしれないけど、別にキスしたりそれ以上のことしたり、そういう関係じゃないから」
「ばっ、バカじゃないの!? 誰もそんなこと訊いてないわよ!!」
ほんと、今まで一人でどうしてたんだ……と心配になる反応をするなあ。
火照った顔を手でぱたぱたと扇ぐルーが面白くて、からかいたくなる。
「これからルーとそういう関係になる可能性だって、ゼロじゃないだろ?」
「なっ!?」
肌ってこんなに赤くなるのか……と感心するほど色付いたルーの隣で、ぽとり。とラファがアイスを落とした。あーあ、子供じゃないんだから。
「ふふ……ふふふ……そうですか……涼平さんはそうなんですね」
「へ!? な、何が?」
「肉なのですね……」
「う、うん。美味いな、ここの肉」
「……あたし、やっぱり別行動しようかな」
なんということでしょう。
三人旅になるどころか、一人旅になる様相を呈してきたぞ?
今、俺にできるのは全力で謝ることだけだ。
「ごめん! ふざけすぎた!!」
テーブルに頭をつけるとそこには焼き網。ここは焼肉店。
燃える髪、飛び散るアイス。ラファの悲鳴とルーの爆笑――――
火傷はラファの治癒魔術で治ったものの、俺は新たなパーティーメンバーと引き換えに、頭髪の大半を焼失した。あとで剃るしかないな……これ。
まあ、戦闘で火炎魔術を使う世界だし。なんてことはない。
「お腹痛い……こんなに笑ったの久しぶり。ビデオカメラがあったらなー」
「スマホじゃないのかよ?」
「え? うん。……それもありね」
「すみません……涼平さんの頭髪が天に召されてしまいました……」
「召されてないよ!? また伸びるから! ……たぶん」
店を追い出された俺達は、もう一度治療室を訪ねておく。
介添えを続けている女性冒険者のナァーリさんに、現在眠っている少年の容態を訊くと、既に意識は取り戻していて命に別状はないらしい。
俺達は「エイネジアに用事があるので帰途にまた立ち寄ります」と告げて、少年の世話をナァーリさんに委ねることにした。
「気にしなくていいよ。各々がやるべきことをやって世界が回るんだから」
ナァーリさんは終始笑いを堪えながら快諾してくれた。
「少しぐらい話せるとよかったんだけどな……」
「弱った身体にそのルックスは危険よ。笑い死にさせるつもり?」
「酷いな!?」
宿に戻って話し合った結果、しばらくのあいだルーは仮入部状態で、ギルドへの正式なパーティー登録は先送りにすることになった。
「入部って何よ? 部活なのこれ?」
「じゃあ仮入団?」
「ルベルムさんは仮乳ではないのですか?」
「仮乳って何よ!?」
「『こんしーらぶる』ということです」
「なんで変な発音で言うの!? たぶん違うわよっ!!」
「たぶんってなんだよ……」
そして翌日。
綺麗に剃髪した坊主頭の男と美少女二人という謎の集団が、目下の目的地である大陸東端の町エイネジアを目指すべく、サーシュを離れた。
「『エイネジア』って、『アジア』に近い響きなのが気になるんだよなあ」
「涼平さんの出身地のある地域ですよね。父様から聞いたことがあります」
「海の向こうにある島国が魔族に侵攻されたとき、大陸に避難した人達と天人とが中心になって作られた町らしいわよ。それまでは未開拓の地域だったみたい」
「なるほど……考察するほどの意味は無くて、なんとなくって感じかな」
「地域毎の文化は天人の影響が反映されてるから、なくとなくが正解かもね」
この世界にも廃城や遺跡がある。そして各地域にある湖の多くは、太古の戦闘によってできたクレーターらしい。どれも積み重なった歴史だ。
やはり旅に出ると、そういった歴史の重みを肌で感じられるのがいい。
地球であのまま生きていたら、俺は海外に行っただろうか……治安が悪かったり紛争地域に遺跡があったり、やはり気楽に世界を周るのは難しいだろう。
そう考えると、うちの母さんは凄いな。
そんな話をしたら「なるほど。涼平はマザコンなのね」とか言われた。
「男はみんなマザコンらしいぞ? 容姿ではなく精神的な意味で」
「そうですね。師匠さんとも仲睦まじい様子でしたし……」
「いやいやいや。師匠はカテゴリーが『師匠』だからな?」
「何それ? っていうか、ずっと女性に囲まれて生活してるのね」
「囲まれてはいないぞ? だが、それは男の夢ってやつかもしれないなあ」
「サイテー」
「私の夢は、小さな浮遊島に二人きりでゆったりと過ごすことですね」
「俺と師匠じゃないかそれ!?」
「サイテー」
ルーは勘違いしている。ラファは意図的に勘違いを活用している。
師匠と俺の修行の日々は、そんなに甘いものではないのだ。……たぶん。
今の状況も他人から見れば、月の両手に萩か。仙台銘菓だな。
ただ、万葉集の『早稲を刈る娘子』のような風情あるものではなく、別のものを狩――何かを察した二人が半眼になったので、別の話題を振ってお茶を濁そう。
取り留めのない会話をしながらサーシュの町から遠ざかり、そろそろ次の宿泊地となる町を決めようかと相談していたとき――遠くに魔族の気配を感じた。
その気配と相手の有効射程距離からみて、おそらくランクA相当だ。
直後、大きな土煙の柱が上がる。
「誰かが戦ってるのか!? それにしては……」
「魔獣じゃないわね。一番強い気配は――」
「魔人です! 急ぎましょう!」
戦闘現場へ全力加速で急ぐ。すぐに現場を視認できた。
一体の魔人と四人の冒険者パーティーが戦っているようだが、失礼ながら冒険者側が格下だ――連携もおっかなびっくりで、明らかに動きの悪い人物が一人。
「あれじゃ総崩れになるな……」
「一度引き剥がしましょう」
俺達は纏めて置いた荷物の周囲を硬質化させた土で囲み、すぐさま戦闘モードに移行した。
ラファが魔人の前に重層防壁を作り、俺とルーは冒険者達を抱えて距離を取る。
魔人は三叉槍を持っていたが、近接戦タイプだろうか?
「おい、なんだよお前ら!? 邪魔すんなよ!」
赤髪の少年が叫んだ。背が低く、俺より幾つかは年下に見える。
その少年のランクはC。通常であれば魔人と戦えるようなランクではない。
「少し落ち着いてほしい。あのままでは危険と判断した」
「何様だお前? 俺達だって考えて戦ってたんだぞ!」
「怪我人に戦闘を続けさせるつもりなのか?」
あらためて見ると、左腕に怪我をしている褐色肌の女性はランクAだ。見た目も大人の女性で、通常ならば指揮権は彼女にあるはずなのに……。
だらりと下げられた左腕は、かなり深刻なダメージを受けている。
負傷した仲間は離脱させるべきだが、見たところ彼女以外はランクが低すぎる。
戦術がどうであれ、これでは無謀な挑戦をしたようにしか見えない。
俺はざわつく不快感を押し殺しながら、「あとで謝るから、今は退いてくれ」と言葉を残し、魔人に向かって走った――




